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アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第二章 グレイス
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ニューカッスルでの療養

 ベネットはニューカッスルでの療養中、定期的にジョン・ウェスレー に手紙を書いていた。それはグレイス・マレイのケアという任務のための報告であったが、毎度の如くグレイスの回復と活躍ぶりを書いた。そして巡回訪問の件も報告した。

「当初、私の説教は堅苦しいと言われておりましたが、グレイス姉妹のフォローアップのおかげで彼らは見事に耳を傾けてくれるようになりました。彼女はとても素晴らしい賜物を持っており、福音前進のために大いに役立つ器となるでしょう」

 そのように褒めちぎりはしたものの、ベネット自身の彼女への思いは伏せておいた。もっともジョン・ウェスレー も彼女に好意を持っていることには全く気づいていなかったのだが、ジョンに自分の気持ちを打ち明けることには何か抵抗があった。ジョンもまた、ベネットの心情の移ろいに全く気づかなかった。


 それからも、ベネットの巡回訪問にグレイスが同行した。そして彼女が尽くしたおかげで訪問は毎回成功を収めた。もはやベネットにとって彼女の存在はなくてはならないものになっていた。しかし……

(必要な時、彼女はいつでも私の側にいてくれると言った。だがニューカッスルから離れても私の側にいてくれるのだろうか、それとも……)

 ベネットはニューカッスルでの一時的な働きだけではなく、ロンドンでも、英国のどこででも、……ひいては生涯の伴侶として彼女を求める気持ちになった。だが、彼女の意志も大切だ。果たして自分の気持ちに応えてくれるだろうか。それを確かめようとベネットはグレイスに話してみた。

「最近、グレイス姉妹が同行してくれてとても助かっています。私はまもなくここを去ることになりますが、……グレイス姉妹はずっとここにいらっしゃるおつもりですか?」

 グレイスは満面の笑みで答えた。

「はい。私は鬱状態が明けて、無理を言ってここへの復帰をお願いしたのです。ここでやり残したことがあるということで。ですから、何かをやり遂げたと確信するまではここにとどまり続けるつもりです」

「そうですか、その確信が早く与えられるといいですね」

 この瞬間、ベネットはニューカッスルを、そしてグレイスの側を離れようと決意した。そしてその翌週、ベネットは半年間に渡る療養に終止符を打ちロンドンへと引き上げて行った。


      †


 それから数年たったある日、ジョン・ウェスレー を原因不明の頭痛が襲った。最初は数日経てば自然に治るだろうと高を括っていたが、一向に良くならず、医師は長期的な休養の必要を宣告した。それでジョンはニューカッスルへ行き、しばらく心と体を休めることにした。

「今までは同労者たちを送り続けて来ましたが、今回は私自身が療養を必要とするようになりました。どうぞよろしくお願いします」

 ジョンが到着早々そのように挨拶すると、グレイスは深々とお辞儀をして答えた。

「ウェスレー 先生の療養のためにご奉仕出来るなんて、身に余る光栄です。微力ながら精一杯お世話させていただきますので、ご要望があればどうぞご遠慮なくお申し付けください」

「ありがとうございます、でも総長だからと特別扱いなどせずに、どうか普段通りにやって下さい」

 そう言ったにもかかわらず、グレイスは全身全霊身を粉にしてジョンの身の回りの世話をした。それはまるで痒いところに手が届くという言葉がぴたりと当てはまるような気の利きようであった。その上、全くジョンに気を使わせないよう配慮が行き届いているのがジョンの気に入った。

(親切な人は多い。だが、彼らの多くは自分のしていることをアピールしていて、こちらが気を使ってうんざりしてしまうものだ。だが、彼女には全くそういうところがない。評判が良くなるはずだな……)


 そんなグレイスの懇切丁寧な介抱が功を奏して、ジョンの具合は日々回復していった。そんなある日、グレイスがこんなことを言って来た。

「実はこの近くの村々から巡回訪問をして欲しいという要望がありまして、ついウェスレー先生がいらっしゃっしゃっていることを私が喋ってしまったのです。そうしたら是非来て欲しいと言われてしまいまして……先生、ご療養中で大変と思いますが巡回訪問にお出かけすることは可能でしょうか? もちろん私もお伴して全力でサポートします。でももしご無理でしたら先方にはお断り申し上げますので、どうかご遠慮なく言って下さい」

 ジョンは一瞬驚いた。療養中の者に施設の職員が仕事を頼むなど前代未聞だ。しかし、グレイスの類い稀な聡明さを考えると見方が変わってくる。

(私は伝道することに生き甲斐や充実感を感じる。何もせずにじっとしているよりむしろその方が私には良い療養となる。グレイスはそのことを良く知った上で、このようなお膳立てをしてくれたのではなかろうか)

 そう思うと、有り難くて涙が出そうになった。これほど自分に理解を示してくれる人など滅多にいないだろう。

「近隣の住民の方に私のことを話してくれてありがとう。是非とも巡回訪問に出かけたいと思います」

「ありがとうございます!」

 そして数日後、ジョンはグレイスの案内で近隣の村々を訪問して回った。ベネットやバーレイがグレイスに助けられた話は耳にしていたが、想像以上に彼女のフォローアップは優れていた。伝道者は本当に語ること集中すれば良い。しかも聞く者の心を耕してくれるのだ。伝道者のパートナーとしてこれほどの器はない。奉仕が終わった帰り道、馬車の中でジョンはグレイスに賛辞を送った。

「噂には聞いていましたが、あなたの奉仕の素晴らしさには驚きました。どうしてそのように他の人の気持ちを理解し、配慮出来るのですか、いや、単純に伝道者として興味が湧いたのですが……」

「そんな、大したことではありません。でも、ロンドンに出て家政婦として働いたのですがご主人がとても厳しい方で……私は逃げ出したい気持ちで一杯でしたが他に生きる道もなく、やむなく忍耐しておりました。そんな折、スコットランド人の若い船乗りと出会い、逃げ込むように彼との結婚に漕ぎ着けました。でも、夫となった彼も結婚すれば横暴になり、結局私の生活は変わりませんでした。でもそのおかげで先生のおっしゃる人への配慮が身についたのかもしれません」

「そうでしたか、そんな辛い目に遭われたのですね。軽はずみにどうして人に配慮出来るのかなんて聞いてすみません」

「いえ、そんな……でも、それで男の方に対する恐怖みたいなものを感じて、それでバーレイ先生にも失礼な態度を取ってしまったんです。本当に申し訳なかったと思います」

「いや、あれはどう見てもバーレイが悪い。グレイスさんは気にする必要はありません」

「そう言っていただけると少し安心します。でも、ウェスレー先生は逆ですね。初対面ではちょっと怖い方なのに、だんだん優しい方だとわかってくる。……僭越ながら、ご結婚されたらきっと良い旦那さんになると思います」

「そうですか?」

「ええ、そのようなご予定はないのですか?」

 心躍るような問いだった。だが、ジョンは心を鬼にして言う。

「実はジョージアで婚約寸前までいったことがあるのですが、ご縁がなかったばかりかそのことが原因でトラブルとなり、帰国せざるを得なくなったのです。その時に思いました。私は使徒パウロのように独身の方が良いのだろうと……」

「そうですか……」

 そう言ったグレイスはどことなく寂しそうだった。それから施設に戻るまで二人は殆ど会話をしなかった。

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