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アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第二章 グレイス
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二人のジョン

 1745年の秋のこと、ハンティンドン伯爵夫人がジョン・ウェスレー の元を訪ねて来てこう告げた。

「ウェスレー 先生、グレイス・マレイさんをニューカッスルの児童養護施設に復帰させてみてはどうですか?」

「グレイス・マレイさんを? いや、それはどうでしょうか……」

 ジョンはハンティンドン伯爵夫人の提案に戸惑いを覚えた。


 グレイスがニューカッスルの児童養護施設でトラブルに巻き込まれ、そこを退職してから三年ほど経過した。実はロンドン滞在から半年後に一度職場復帰を試みていたのだが、依然として残る職員たちとのわだかまりに気を病み、失意の内に再びニューカッスルから引き返して来たのだった。

 それからグレイスは鬱状態となってしまった。当時は精神医学もまだ確立されておらず、鬱を回復させるのは難しい時代でもあった。それでハンティンドン伯爵夫人のケアにより心身の回復を図っていた。

「彼女の心の状態は随分良くなって来ました。私はそろそろ彼女に責任ある働きをさせる方が精神衛生上も良いと思うのですよ」

「グレイスさんは気丈そうに見えて案外折れやすいところがあります。責任ある働きをするにしても、ニューカッスル以外が宜しいのではありませんか?」

「それが、あそこでやり直すことが彼女のたっての願いなのです」

「彼女の?」


 そこでジョンはグレイスと面談し、直接話をすることにした。

「グレイスさん、私はあなたがまた厄介なことに巻き込まれて嫌な思いをするのではないかと心配なのです。他の施設も紹介出来ますが……」

「ご配慮ありがとうございます。でも、やはり私はニューカッスルの施設に復帰したいのです。どこにいても嫌なことはありますし、彼の地では何かやり残してきた感じがあってどうしても納得いくまでやり遂げたいのです。どうか私をもう一度遣わして下さい、お願いします!」

 グレイスの熱意に圧されてジョンは心配しながらも、彼女をニューカッスルに送ることにした。所長には事前に連絡し、くれぐれも彼女が気を病むようなことにならぬよう、最大限の配慮をするよう頼み込んだ。


 それでもジョンの杞憂は収まらなかった。

(グレイスさんは大丈夫だろうか、ニューカッスルの人達は優しくしてくれているだろうか)

 そのように思い煩っている最中、ジョン・ベネットが体調を崩し、療養が必要になった。そこでジョンは彼を呼び出しこう言った。

「ニューカッスルでしばらく療養して来なさい。それで君にたってのお願いがあるのだが……」

「何でしょうか、何なりとお申し付け下さい」

「以前あそこで勤めていたグレイス・マレイさんが、先日また復帰したのだよ。知っての通り彼女はあの職場でトラブルに遭遇し気を病むことになったのだが、あそこに戻って精神状態がまた悪化することがないかと心配なのだよ」

「つまり、私がそこで療養する間、彼女がトラブルに巻き込まれたりしないよう、よくよく注意してフォローして欲しいと、そういうことですか?」

「そういうことだ。わかってくれたら話は早い。頼まれてくれるかな?」

「かしこまりました。彼女が再び気を病むことのないよう、細心の注意を払ってまいります」

 こうしてジョン・ベネットはジョン・ウェスレー の頼みを聞き入れた。しかし、このことが後々思わぬ弊害を引き起こすことになるのである。


      †


 復帰後のグレイスの職場環境は、ジョンの心配とは真逆にとても良好であった。グレイスに反感を感じたり嫌がらせをしていた職員は退職し、同僚たちはみな親切かつ従順であった。そしてグレイスは施設内にとどまらず、近隣住民への奉仕も積極的に行い、地元での評判も良かった。

 療養を兼ねてジョン・ウェスレー の頼みでグレイスの様子を伺っていたジョン・ベネットは、生き生きとしたグレイスの働きぶりを見て、ジョン・ウェスレー の案じたことは取り越し苦労に過ぎないとの思いを日々強めていった。

(それにしても素敵な女性だな。あのダニエル・バーレイが執心したのも無理はないな……)

 ベネットのグレイスに対する評価は日々高まり、仄かな好意も抱いた。しかし根が真面目なベネットは、ダニエル・バーレイの愚行でグレイスが傷ついた事実をよく胸に刻んでおり、自分の気持ちが高まるのを自制した。

 そんなベネットであるが、まさかジョン・ウェスレー がグレイスに好意を持っているとまでは思わなかった。そしてその点で彼もまた誤算していたのである。


 ベネットはマメな性格で、本来介護を受ける身でありながら、職員たちが何か困っている様子を見せると、積極的に助けてやった。大抵の職員はさらっと礼を言う程度であるが、グレイスは満面の笑みを浮かべて「ありがとうございます」と心を込めて言うのだった。美しい女性から満面の笑みで「ありがとう」と言われて心の揺れない男性はいないだろう。ベネットのグレイスへの思いは知らず知らずのうちに育っていき、恋愛感情に発展するまで紙一重の状態になっていた。


 ベネットがニューカッスルに滞在して数ヶ月経ち、かなり体調が回復してきた頃、近隣の村々へ巡回して欲しいという依頼があった。早速ベネットはとある村へ出かけたのだが、語り口が堅苦しいということで不評だった。それで落ち込んでいるところにグレイスが語りかけてきた。

「ベネット先生のお話はとても素晴らしいと私は思います。ただ率直過ぎてある方々にはきつく感じるかもしれません。でも、一度お話の真髄を理解していただければ、その方々も先生を支持するようになると思います」

「理解してもらうには……どうしたらいいのでしょうか?」

「もし宜しければ、今度先生が巡回される時、私も同行させて下さい。私は以前、巡回訪問のお供をしていたことがあります。もしかしたら何か先生のお役に立てるかもしれません」

 そしてベネットはグレイスを伴って巡回訪問した。すると、グレイスは完璧にベネットをフォローアップし、行く先々でベネットは支持されていった。

「グレイス姉妹のおかげで助かりました。でも、人の助けを借りなければ支持されないとは、私は説教者としてまだまだですね」

「そんなことはありません。先生は素晴らしい説教者です。でも、もし私がお役に立てるのでしたら……私はいつでも先生のお側におります」

 ベネットの心はこの一言でノックアウトだった。もうどうしようもなく、完全に恋に落ちてしまった。

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