恵みという名の婦人
「目から鱗が落ちる」という諺があるが、これはパウロが回心した時に目から鱗のようなものが落ちた、という新約聖書のエピソードに由来するものである。この記事によればパウロは回心してすぐに鱗が落ちたのではなく、一旦目が見えなくなって数日後にアナニアという信徒と出会って鱗が落ちるのである。
ジョン・ウェスレー は5月24日、いわゆるアルダスゲイト体験をしたのであるが、実際にジョンの目から鱗が落ちるまでにはまだあと数段階必要だった。
6月から9月にかけて、ジョンは修養のため、モラヴィア兄弟団の本拠地であるドイツのヘルンフートに滞在した。そこで共同生活を営みながら、様々な会話をした。
「ベーラー先生のお話で、私は変わることが出来ました。それまでは言うなればあと一歩のキリスト者(almost christian)だったのです」
「では、今はウェスレー 先生の信仰が完成されたと?」
「完成されたとは言い切れません。それにアルダスゲイト以降もまだどこか欠けている気がしてならないのです。どうしたらいいでしょうか?」
モラヴィア兄弟団の指導者は苦笑して答えた。
「ははは、困りましたね。私にはウェスレー 先生ほどの神学知識もないし信仰者としての訓練も積んでおりませんのでお答えしようがない。ただ、もし我々の何かを参考にしたいというのであれば……自分からは何もしないことです、そしてただ神がなさるままにお任せするのですよ。特に、先生の気が進まないことをお断りにならないよう、ご注意下さい。そこには神の御手があるやもしれませんから」
その「気が進まないこと」は、年が明けてからメソジスト指導者の一人、ジョージ・ホワイトフィールドがもたらした。
「ジョンさん、ブリストルの炭鉱町で野外説教をしませんか?」
「野外説教だって?」
ジョンは途端に眉を寄せて顔をしかめた。
「まるで乞食党(16世紀ネーデルラントで暴徒と化した国粋主義者の一群。カルヴァン派が多かった)の野外説教じゃないか。カルヴァン派の連中ならともかく、そんなやり方で神のみことばを伝えるのはどうもしっくりこないな」
「ジョンさん、山上の説教や五千人の給食を思い出して下さいよ。キリストだって不特定多数の大衆を相手にお話しされたではありませんか!」
「そうは言ってもね。この私の気が進まないのだよ……」
と、その時ジョンはモラヴィア兄弟団の指導者が言った「気が進まないことを断るな、そこに神の御手があるやもしれぬ」という助言を思い出した。
「わかった、その話、乗ってみよう」
1739年の春、ブリストル炭鉱町の広場でメソジスト集会が開催され、メインスピーカーとしてジョン・ウェスレー が立てられ、三千人もの大衆を前に説教した。その時ジョンの心にルカの福音書4章の言葉が響いた。
「主の霊が私の上におられる、貧しい人々に福音を宣べ伝えるために」
すると、天から炎の舌のようなものが会場に降りて来て燃えつくす幻が見え、人々はジョンの語る言葉に熱狂し始めた。何より驚いたのは語っているジョン本人であった。
「こ、これは私の言葉に感動しているのではない、この場にいる聖霊に動かされているのだ、そしてこの私自身も!」
ジョンは圧倒され、何度もその場に倒れそうになった。それに堪えるように力を振り絞って情熱的な説教を行なった。すると会衆はますます燃え上がり、まだ肌寒さの残る初春の野外広場は熱気で満たされた。
単なる自分自身の体験のみでは実感出来なかった聖霊の働きを、ジョンはひしひしと感じ、これが彼にとって目から鱗が落ちる体験となった。
そしてこの全霊を揺さぶるジョンの説教はたちまち評判となり、噂を聞いた人々が英国中から説教を聞きに押し寄せた。ジョンたちはこのような生きた神の言葉を求める人々に答えるためにメソジスト・ソサイエティを結成し、英国各地に説教者を派遣した。さらに救いの証である善行を施すために、各地に福祉施設を展開した。こうしてメソジスト運動は全国的規模での広がりを見せていった。
その年の夏のある日のこと、ジョンは目覚めた時にこう祈った。
「主よ、今日の恵みをどうかお与え下さい。私が取りこぼすことのありませんように」
その日ジョンはロンドンのメソジスト・ファウンダリー(本部)で仕事をしていたが、助手の一人が求道者の来訪を告げた。
「最近、小さなお子さんを亡くされたということで心に深い傷を負っておられます。一度先生の方でお話を聞いてあげて下さい」
「わかりました、お通しして下さい」
そしてジョンの目の前に現れたのはまだ若い……二十代前半と思われる、とても美しい女性だった。ジョンはソフィーとの恋に破れて以来忘れていた感情がフィードバックそうになった。
「どうぞ、おかけ下さい。ジョン・ウェスレー です」
「グレイス・マレイと申します。今日は突然お邪魔して申し訳ありません……」
悲しみの最中にあるだけに、その表情には翳りがあったものの、ほんの少しだけ浮かべた微笑みに生来の優しさを感じた。
(それにしても、恵み(grace)を下さいと祈ったらグレイスという女性が現れた……これは偶然だろうか)
などと浮ついた考え事を払拭するようにジョンは話を切り出した。
「失礼ながら、少しだけお話伺っておりました。小さなお子さんを亡くされたと……」
「はい。とても元気な子だったのに、具合が悪くなっても気づいてやれなくて……私が殺したようなものです」
「ミセス・マレイ、あなたのせいではありません。神は全ての人にご計画をお持ちです。あなたのお子さんにも何かご計画があったのだと思いますよ」
「でも先生、あの子はまだ洗礼も受けていないのです。天国へは行けないのではありませんか?」
「神は善悪を知らない幼子に裁きを与えることはなさいません。今頃は天の御国で神の懐に抱かれていることでしょう」
「先生……」
グレイスは嗚咽してその後何も言えなくなった。彼女が帰ってからソサイエティのスタッフに聞いてみると、グレイスの夫であるアレクサンダー・マレイは船乗りで家を留守にすることが多く、悲しみに打ちひしがれながらも、孤独な夜を過ごす毎日だという。
ジョンは何とか彼女の力になりたいと思う反面、自らの内側に潜む強い願望の力に警戒心を抱かずにはいられなかった。ウリヤの妻バテシェバを寝取ったダビデ王の過ち(旧約聖書サムエル記下巻に出てくるエピソード)を自分も繰り返すまいとジョンは自分に言い聞かせるのであった。