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アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第一章 ソフィー
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アルダスゲイトの回心

「主イエスは言われました。『私が来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである』と」

 刑務所のチャペルでジョンがマタイの福音書9章から説教した時、一人の囚人がやって来て質問した。

「私はある時期、毎日そこばっかり読んでいましたが、読むたびにこう思うんですよ、『そんなわけないだろう』って。私のような罪人が実際に教会で歓迎されたことはない。これはイエスが嘘をついたか、教会がイエスと全く関係ないかのどちらかですよ」

「なるほど。あなたの言うことは尤もです」

「そして殆どの聖職者は言うでしょう。正しいのは後者だとね。でもそうだとしたら聖職者自身がイエスと関係ないか、教会と関係ないかのどちらかになりますよ。ウェスレー 先生、あなたはどちらだと思いますか?」

「どちらかとお尋ねになるのなら、どちらともと答えましょう」

「……随分あっさりと白旗を上げるのですね」

「実はついこの間まで、私は新大陸でインディアンに宣教していたのです。最初はインディアン達を変えてやろうと息巻いていたものですよ。だけど、帰りの船の中でずっと考えていました。じゃあ、誰が私を変えてくれるのかと」

 それから時間が来て、ジョンは面会室を出た。看守が声をかけて来た。

「彼が教誨師に質問なんて初めてですよ、ウェスレー 先生には何か感じるところがあったのでしょうね」

「あるとすれば、失望じゃないでしょうか。自分自身にも、あらゆる事柄に対しても」

「まあ彼も模範囚ではあるんですけど何を考えてるのかよくわかんない気味の悪い奴ですよ、あのトム・メリチャンプって男はね」


──1738年1月末、ジョンは英国の地を再び踏んだ。上陸した途端、ジョージアでの伝道の不毛さが思い出され、自分の信仰がどれほど世の荒波を乗り越えるのに無力、いや無意味であったことへの深い絶望感が押し寄せた。

 そのような心境からか、あまり一目につきやすい華々しい奉仕は好まず、どちらかと言えば重々しく地味な活動を選んだ。その一貫として教誨師としてニューゲイト監獄に派遣されたのである──


「どうだった、悪名高いニューゲイト監獄は?」

 監獄訪問を終えたジョンに弟のチャールズが半ば興味本位で訊いた。

「噂で聞くほど酷い場所ではなかったよ。それより面白い人物に出会ったよ。トム・メリチャンプ……ソフィーの元婚約者と同姓同名、いや、本人で間違いないだろう」

「それはまた偶然にしてと皮肉な巡り合わせだな……兄さんの元恋人の元婚約者は一体どんな人物だったんだ?」

「ならず者と聞いていたからもっと単純な男を想像していたけど、違ったね。根は真面目で、物事を必要以上に考え過ぎるタイプというか……」

「ふうん、兄さんと似たところがあるのかな。それでソフィーも兄さんに惹かれたのかな」

「さあな。そういう意味じゃ彼女の今の旦那は僕らとは全く違うタイプだ」

 チャールズはこれ以上兄の古傷に触れるのはやめて話題を切り替えた。

「それはそうと、兄さんにジョージアから手紙が届いているよ。シュパンゲンベルクさんからだ」

 ジョンは思わずひったくるように手紙を取り、中身を確認した。このような内容であった。


──親愛なるジョン・ウェスレー 先生。この手紙が届く頃にはロンドンの生活も落ち着かれていることでしょう。その後お変わりありませんか。実は私の友人でありモラヴィア兄弟団指導者であるペーター・ベーラーが現在ロンドンにおります。一度訪ねてみてはいただけないでしょうか。心からのご挨拶を込めて。アウグスト・ゴットリープ・シュパンゲンベルク──


 この手紙を読んで、ジョンはペーター・ベーラーに会いに行くことにした。ベーラーとはアルダスゲイト通りにあるモラヴィア兄弟団の利用している集会所で会った。

「ウェスレー 先生、わざわざお越し下さるとは光栄です」

「こちらこそ、ベーラー先生に出会えて嬉しいです」

 ジョンはそう言って、ジョージアでモラヴィア兄弟団に出会い、本物の信仰に感銘を受けたこと、また彼の地での宣教失敗により自身にいたく失望していることなどを話した。

「でも、ウェスレー 先生は信仰をお持ちなのでしょう?」

 この質問は聖職者に対してはいささか奇異とも思えるが、当時高収入目当てに聖職に就く不信者が大勢いたので、このようなクエスチョンを持つのは自然なことだった。

「ええ、持っていますよ……悪霊でも持っているような、ゲッセマネでイエスを見捨てた弟子たちが持っていたようなものであれば」

「ふむ、たしかにヤコブの手紙では『悪霊でもイエスを神の子と信じている』と書いています。しかしあなたについての評判を聞く限りは、あなたの信仰にはヤコブが太鼓判を押すほどの行いも伴っているように思えますが」

「とんでもないことです。神との約束の契約については未だ不案内なのですよ……イエスを信じている、しかし世に打ち勝つ信仰ではなかった……情欲にも、自然災害の脅威にも、人々の陰謀や悪意にも全く歯が立ちませんでした! 私の欲している信仰(faith)とは、我が罪がキリストの功徳(merit)を通じてもはや神に思い出されず、慈しみだけがあることを固く信頼(trust)し、信用(confidence)することなのです」

 それを聞いてベーラーは両手を上げた。

「驚きました。あなたの神学はとても完成されていて、複雑でありながら微に入り細に入り正確です。しかも私にはあなたの言う信仰(faith)があるように思えます」

「残念ながらそうではありません。あればこれほどには悩まない筈です」

「ウェスレー 先生、もしここが場末のビヤホールで、私が呑んだくれの酔客だとしたら……あなたはジョージアでの2年間の出来事の中で何を話そうと思いますか?」

「え?」

 ジョンは思わず赤面した。彼がジョージアで最も熱望し、失い、そして傷ついたのは間違いなくソフィーとのことであった。

「神はあなたが本当に欲しがっているものをずっと与えようとされていた。しかしあなたは受け取る手に余計なものをいっぱい持っていた。おそらくジョージアでの経験は、それを払い除けるために神がお用いになったのだと私は思います」

 それから二カ月ほどの期間、ジョンはベーラーと度々会って信仰についての議論を交わした。


 そして5月24日の夜、ジョンはベーラーの講演を聴くために、アルダスゲイト通りの集会所へ向かった。どういうわけか、ジョンは行く道の途中で集会への参加が億劫になったという。しかし、集会所に入るとそのような迷いは一掃された。

 講壇ではベーラーはマルティン・ルターの「ローマ書への序言」の講解を行なっていた。


「信仰があると思って何も良い成果が見られないと、彼らは自力で心の中に考えを作り出し、それが正しい信仰だと思うのです。しかし、これは人間の思考に過ぎず、人を変えるものではありません。信仰とは、私たちを神によって生まれ変わらせ、アダムの古い性質を殺し、そして聖霊を私たちに与える神の働きなのです」


 これを聞いたジョンは心が震え、大きく目が開かれる思いがした。その時のことをジョンは日記にこう記している。


「8時45分、ベーラーがキリストを信じることによって神が心のうちに働かれる変化について語ると、私の心は不思議に熱くなるのを感じた。私は救いに関してキリストを信頼していると感じた。そして、主が私の罪と咎を取り除かれ、私が罪と死の律法から救われたという確証が与えた」


 すなわち、これまで頭で理解していたが感情において、心においては感じられなかったこと、揺らいでいたことが確信へと変えられたのである。このあと、何度も敵が心に語りかけ、この確信を取り去ろうと試みたが、ジョンはそれに勝利することが出来た。


 この出来事はキリスト教史ではアルダスゲイト体験と呼ばれ、プロテスタントの歴史を二分する分水嶺とも言われる。実際にはジョンの確信が確かなものになるにはもう少し時間がかかるのであるが、教史ではこの日を記念して5月24日をアルダスゲイト記念日と定めている。

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