セントシモンズ島
コーストンの計らいで、ソフィー・ホプキーはセントシモンズ島に滞在することになった。当初、コーストンはソフィーをジョンの家に待女として派遣することを画策したが、それは聖職者であるジョンが憚るであろうというコーストン夫人の助言により一件の家を都合し、彼女の友人ルーシー・フォーセットと同居させた。そこではサヴァンナの時と同じようにジョンによるフランス語レッスンも行われた。
しかし、ジョンとソフィーの会話は相変わらず他人行儀で堅苦しかった。これでは進展がないと思ったオグルソープはコーストンと相談し、船を一隻チャーターして二人のためにゴールデンアイルズ周遊クルーズを企画した。もちろん船に乗るのは二人きりという訳ではなかったが、他の乗組員にはくれぐれもジョンとソフィーの邪魔にならないようにとのお達しがあった。
「何だか、僕みたいな者がこんな船に乗せてもらっていいのかなって思いますよ、ミス・ホプキー」
「あの、そろそろ私のこと?ソフィー?と呼んで欲しいです……」
「え、じ、じゃあ僕のこともジョンで……」
「はい、わかりました、ジョン!」
「よろしい、ソフィー!」
そのぎこちなさに二人は顔を見合わせて吹き出してしまった。それからの会話は互いに名前で呼び合う練習のようで、周りから見ればぎこちないなりに随分楽しそうだった。
「ジョン、あの辺はブランズウィックの町ね」
「うん、ソフィー。ブランズウィックってジョージ二世の生まれ故郷ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国に因んだ名前らしいけど、そっちのブランズウィックには昔、英国から嫁いだお妃さんのために建設した英国風宮殿があるんだって。そのお妃さんがホームシックにならないようにって」
「まあ、優しい王様なのね。ねえ、もしジョンが英国からお嫁さんを呼び寄せたら同じようにする?」
「ソフィー、僕はお嫁さんを英国から呼び寄せたりしないよ」
「ええ? どうして?」
「僕がお嫁さんをもらうなら……今こうして同じ船に乗っている人がいい」
ジョンはそう言って顔が真っ赤になった。ソフィーも言葉を失い顔を赤らめた。そして、二人は熱い眼差しでしばらく見つめ合っていた。
ここまで来ればもう恋愛関係になっておかしくないのだが、そこがやはりきまじめ屋=メソジストのジョンのことである。その後もソフィーと島内を散策することは多かったが、決して二人きりにはならず、いつもルーシーが一緒だった。それはジョンにとってはソフィーと二人きりでいると燃え上がる情念が抑えられなくなるからであり、口数の少ないソフィーにとっても饒舌なルーシーにいて欲しいという需要からの成り行きであった。
「んでさー、ロドリゴの気を引きたいってスペイン語で喋ってるわけ。だけどさ、あたしにまで、オラ・ミーゴって、おかしくない? ……で、最近何かあったのかなって思うの。ほら、エイミー近頃愚痴が多いじゃない? いや、いいんだけどね、そんな後ろ向きな話ばっかだと、こっちも気が滅入るって言うかさ……え? ううん、嫌いじゃないよ、むしろ大好き! あ、ちょっとゴメン、あたし向こうの方見てくるわ!」
ルーシーはいつもこのようにマシンガントークを最初に思う存分解き放った後、ジョンとソフィーを残して去って行く。つまり、引き立て役としての自分の役目をちゃんと心得ているのであった。
ルーシーが去ってしまうと途端に静かになり、ジョンもソフィーもしばらく話す言葉が見つからなかった。ジョンは講壇に立てばいくらでも言葉が出てくるのに、こういう時になると何も話せなくなるのが不思議だった。
やがてソフィーが広い海を眺めながら語りだした。
「海を見ていると思うの。神様の心ってこんなに広いんだなって。私がどれほど穢れていても、包み込まれてしまうなと思って安心するの」
たしかにそうだとジョンは思う。特に長い航海で何度も激しい嵐に遭遇すると、海は何でも分け隔てなく飲み込んでしまうのを目の当たりにしている。神の心が海のようなら、自分の罪や咎の大きさなどまるで問題ないかのように包み込まれてしまいそうな気がする。しかし……
「でも、僕はどれほど神様に許されている気がしないんだ。どれほど良い事をしても、救いの確証となるまでには至らないんだよ」
「まあ、ジョンみたいに品行方正な人がそうなら誰が救われるのかしら?」
「人間同士の比較であの人の方がいいとか、自分の方がましだと言うことにはあまり意味がないんだ。完全か、そうでないか、それが大切なんだ」
「でも……前から思っていたけど、ジョンは自分に注目しすぎではないかしら。自分がどうであるかが判断基準だけど、もっと神様の愛が根底にあっていい気がする」
奇しくも後になってジョンは「キリスト者の完全」という著書を出版するのだが、そこで説かれている中心的命題は「完全とは絶えず神の愛に支配された状態である」ということだった。しかしこの時のジョンにはまだそれがわからなかった。
「神の愛か……」
ジョンはふとモラヴィア兄弟団の信徒たちのことを考えた。そして彼らに会いたいと強く願うようになった。そしてモラヴィア兄弟団の農場を訪ねることになった。
しかし、このモラヴィア兄弟団農場の訪問が、後になってソフィーとのささやかな淡い蜜月を揺るがすきっかけになろうとは想像すらしなかった。