海に浮かぶ要塞
オグルソープの駐屯地であるフレデリカ要塞はサヴァンナから南に75マイル下ったところにあるセントシモンズ島にあった。ジョンの弟チャールズはそこでオグルソープの秘書を務める傍ら、島内の教会で礼拝式を取り仕切っていた。この教会は要塞都市という土地柄から軍人の家族が多く集い、また夫が軍務で礼拝に出れないことが多いことから、婦人たちの権限が強くなっていた。
そのような共同体では女性特有の感情のもつれ合いや衝突が発生しやすく、ついには二人の代表的な婦人同士が激しく反目しあった。チャールズは当然二人を宥め、仲裁に入ろうとするのであるが、二人の婦人はそれぞれ自分の方にチャールズをひきつけようとして張り合ったり、競いあったりしていた。
「あの人、誰にも相談なしに勝手にことを押し進めて行くんですよ。助けになるどころか、周りの迷惑になっているってわからないのかしら。頭悪いんじゃないの、考えたら誰でも分かるっていうの!」
「もうあの人と一緒にはやって行けないわ。自分は偉そうに踏ん反り返って何もしないくせに、人には何しろかにしろって命令ばっかりして、気に入らないところがあると、えっらそおに小言、説教よ! 文句を言うんだったら自分でやれっての!」
そんな愚痴を二人からそれぞれ毎日のように聞かされ続けていたが、独身で家庭を持ったことのない……その上女性と付き合ったこともないチャールズには激しく反目し合う二人の婦人を捌き切ることが出来なかった。しかも、チャールズが少しでも相手側に味方する発言をすると、その相手がチャールズに色仕掛けを使ったということを、……双方共に噂として教会の婦人たちの間に流した。小さな島の中で噂話が広がるのはあっという間である。そんな根も葉もない醜聞は、やがてオグルソープの耳にも入った。そこでチャールズに弁明を要求した。
「チャールズさん、あなたについて良くない噂を聞いています。……何でも、教会の婦人たちと道ならぬ関係を持っているとか」
「そんな、誤解です。私には身に覚えがありません!」
「そうですか、それなら良いんですがね」
ところがオグルソープはチャールズの地位を降格させた上、サヴァンナにあるインディアン事務局への出向を命じた。言うなれば左遷人事である。サヴァンナに着いたチャールズはその怒りの丈を兄ジョンにぶつけた。
「あのオグルソープって人、最初はいい人だと思ったけど今回のことでは失望したよ」
「チャールズ、気持ちは分かるが少し冷静になったらどうだい。その婦人たちとの噂は誤解なんだろう? きっと時間が経てば汚名もすすがれるさ」
「兎に角、僕はもう金輪際あのオグルソープの顔を見たくない」
「なあ、いきり立っている時に事の進退を決めるのは良くない、判断を誤るぞ」
ところが兄の忠告にも耳を貸さず、チャールズは辞職願をオグルソープに送りつけた。それに驚いたオグルソープは必死にチャールズへの慰留を試みたが、一旦臍を曲げたチャールズの意志は動くことなく、出国に向けて準備を進め、ついに8月16日、サウスカロライナのチャールストンから英国へ向けて出航した。そして二度とジョージアの地を踏むことはなかった。
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優秀な秘書であるチャールズを失ったことは、オグルソープにとって大きな損失であった。そこで正式な後任が決まるまで、ジョンにその穴埋めを頼んだ。しかしジョンもやはり弟の事で一言言わざるを得なかった。
「弟はあなたのことを尊敬し、忠誠を尽くして来ました。それなのにあなたはそれを踏みにじったのです」
オグルソープは非常に気まずい思いで答えた。
「私とてチャールズさんにまつわるスキャンダルを鵜呑みにした訳ではありません。しかしあそこまで噂が大きくなってしまった以上、上役として何かをしなければ管理責任が問われることになるのです」
「お言葉ですが、そんな自己保身のために部下を犠牲にするような方の下で働くことは出来ません。せっかくですが、フレデリカ赴任の件はお断りします」
「ちょ、ちょっと待って下さい。もちろん私は自分の身を犠牲にしてでも弟さんの無実を晴らすべきだったと深く反省しています。いえ、これからもあれは根も葉もない噂であったと人々に説いていくつもりです。どうかジョンさん、フレデリカで私のために働いていただけませんか?」
ここまで頭を下げられてはジョンとしては断るわけにも行かなかった。そこでジョンはチャールズの暫定的な後任としてフレデリカに赴くことになったのである。
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「オグルソープ閣下、フロリダ飛地を巡ってのスペイン人との交渉、うまく収まりそうです」
「そうですか! よくやってくれました、ミスター・ウェスレー!」
ジョンとオグルソープは固く握手した。そして報告が済んで退室していくジョンの後姿を見送りながらオグルソープは思った。
(ジョン・ウェスレーは想像以上に優秀な人材だ。弟チャールズもそれなりに使える男だったが比べ物にならない。気になるのは未だ独身であること……独身者など、言ってみれば極楽とんぼでいつどこへ行くかわからない。誰か嫁になりそうな女性でもいないものだろうか)
そのように思案に暮れていると、ふと、コーストン長官が「ジョン・ウェスレーと姪のソフィー・ホプキーが懇意にしている」と話していたのを思い出した。そこでオグルソープはトーマス・コーストンを呼び出し、ジョンとソフィーの仲を取り持ってくれないかと頼んだ。コーストンは大喜びでサヴァンナの自宅に飛んで帰った。そしてソフィーを自分の部屋に呼び出した。
「おじさん、話って何ですの?」
「ソフィー、ジョン・ウェスレー先生のこと、どう思っているかね?」
するとソフィーは顔を染めて静かに答えた。
「とても良い先生、そして……素敵な方だと思います」
トーマスは我が意を得たりと口角を上げて本題を切り出した。
「ソフィー、フレデリカまでジョン・ウェスレー先生に会いに行きなさい」
「……えっ!」
叔父の思わぬ発言にソフィーは目を丸くして驚いた。