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魔女の槌(まじょのつち)  作者: 榎本慎一
第一章 『魔女の弟子』
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第1節 ミリーシャ(6)



 ミリーシャがリベリオス村に戻る頃には、空一面が茜色に染まっていた。西の森に入ったことを誤魔化すために森の中を迂回し、わざわざ北側から村へと入ったミリーシャの顔は疲労感で一杯だった。肉体的な疲労ではなく精神的な疲れである。より具体的に言えば頭の……。


 魔法の授業を終えた後のミリーシャは、大抵が今日のような状態になる。魔法実技に関しては魔力量という絶対的な限界があるためそこまで大変なことにはならないのだが、座学にはこれといった肉体的な限界がないため、ミラティエナの指導は基本的に実技よりも座学の方が過酷になりがちだった。いわゆる詰め込み型の、時間の許す限り続けられる無限地獄。しかもそれがミラティエナの基準で課されるため、ミリーシャも付いていくのに一苦労だった。

 今日求められた二十ページの学習内容も、結局は八ページしか終えることが出来なかった。ミリーシャは森の中を歩く最中も、そして村に戻ってもなお、今日覚えたことを決して忘れないよう必死に頭の中で反芻し続けていた。


 そのせいで、道の真ん中に佇む気配に気付くのが遅れてしまった。


「よう、今日も相変わらずクソムカつく顔してるなぁ、ミリーシャ」


 その声で我に返るミリーシャだったが、話しかけてきた人物の顔を見るなり進路を道の端へと移し、気付かなかった振りをして再び思考の海へと没頭した。


 何か小言をブツブツと呟きながら通り過ぎていくミリーシャに感情が逆撫でられたのだろう。ミリーシャへ話しかけた人物は怒りの表情を浮かべ、乱暴にミリーシャの肩を掴んだ。


「おい、無視するなよ!」


 元から無視を決め込むのは無理だろうと予想していたとはいえ、いざ本当に突っかられるとそれはそれで辟易とした気分になる。ミリーシャの声音は自然と冷たくそっけないものになった。


「……痛いんだけど。一体何の用? ラウル」


 ミリーシャをわざわざ呼び止めたのは、彼女にとっての因縁の相手、村長の孫のラウルだった。体格は同年代の子供達よりも一回り大きく、そばかすの浮いた顔は全体的に丸みを帯びている。


「俺がお前なんかにこれといった用があるわけないだろ。ただお前、今日一日村にいなかったよな。どこに行ってたんだよ?」

「アンタには関係ないでしょ」


 ミリーシャはラウルの手を払いのけると、そのまま足早に立ち去ろうとする。だがラウルはミリーシャを解放するつもりはないらしく、ミリーシャが立ち去ろうとする気配を感じ取ると、すぐさま目の前に回り込んで進路を塞いできた。


「……邪魔、どいて」

「何で逃げるんだよ」

「別に逃げてない」

「逃げてるだろ。何だよ、もしかして誰にも言えないようなやましいことでもしてたのかよ?」


 ラウルのその発言に、ミリーシャは内心で盛大に顔を歪めた。ハッキリ言って面倒臭いし、それ以上に不快だった。


 当然ながら、ミリーシャが休息日に何をしてようがそれはミリーシャ個人の自由であって、家族でも何でもないラウルにそれを報告する義務も必要性もありはしない。それなのになぜ、目の前の男はいつもこう粘着質に絡んでミリーシャの予定を聞き出そうとするのか。全く以って理解出来なかった。別に知ったところで何の得もないだろうに。


「別に、北の森で探検をしてただけ。悪い?」


 それにたとえ何があっても、ミリーシャは休息日の予定を村の人間に知られるわけにはいかなかった。村の掟を破って西の森に立ち入っていることは元より、御伽話に出てくる人喰いの魔女本人から直々に魔法の手解きを受けているなどと知られてしまえば、ミリーシャはきっと村から出られないよう軟禁されてしまうだろうし、何より魔法を教えてくれているミラティエナに多大な迷惑をかけてしまう。それだけは絶対にしたくなかった。


 そんな心境など露知らず、ラウルはミリーシャの返答をバカにするように鼻で嗤った。


「何だよお前、その歳になってまだ冒険ごっこかよ。俺達はもう成人したんだぜ? そろそろ女らしい慎みって奴を身に付ける努力をしたらどうだ? そんな猪みたいな性格じゃあ、嫁の貰い手が見つからなくて将来困るぞ」


 余計なお世話であるし、この男に心配される義理もない。そもそもそれを言うお前はどうなんだとミリーシャは言い返してやりたくなったが、喉元でその衝動を必死に抑え込んだ。


 最近になってようやく理解したことだが、ラウルが他人を貶したり従わせようとしたりするのは、普段の生活では満たされない自身の承認欲求を満たすためであるらしい。他人の価値を貶め傷つけることで、自分が相手よりも優位になったことを実感する。彼はそうやって己の自尊心を守っているのである。


 だからここで感情的になるのは敵に塩を送るのと同じだ。こちらが労力を割けば割くほど相手が元気になるなど、そんな馬鹿げた話があるだろうか。


「用件はそれだけ? ならさっさとどいて。私はもう家に帰るから」


 ミリーシャはラウルの肩を押し退けながら、一言そう言って彼の脇を通り過ぎる。ラウルの悪口に付き合う以上に時間の無駄遣いはない。ミリーシャはラウルのことを頭からさっさと追い出し、再び今日勉強した内容についての反芻を始める。ラウルはそんなミリーシャの後ろ姿を暫く黙って見続けていた。


 だがふと唐突に、ラウルは口を開いた。


「なあミリーシャ。お前は今日、本当に北の森に行ってたんだよな?」


 溶けた砂糖菓子のような粘つく雰囲気を帯びたその問いかけに不穏なものを感じて、ミリーシャは足を止めてラウルの方を反射的に振り返った。


「……そうだけど。それが何?」

「いや別に。ただちょっとおかしいなぁ、って思ってさ。確かに今日、お前が北の森に入っていったのは間違いないんだろうな。けどさお前、北の森に入ってからすぐに進路を西に移動させたよな? 何でだ?」


 ラウルの指摘に、ミリーシャは遅ればせながら己の過失を自覚した。まさか尾行されているなどとは思いもしてなかった。


「何でも何も、そっちの方に行ってみたくなったからよ。別にどこに行こうが私の自由でしょ」

「そうだな、確かにそれはお前の自由だ。でも、それが西の方角だったってのが俺は問題だと思うんだよな。お前さ、森に入ってからずっと西に進み続けてたよな? 本当は北の森を探検するんじゃなくて、最初から西の森に入ることが目的だったんじゃないか? 俺達に隠れて、こっそりと」


 この男は一体どこまで後を付けて来ていたのだろうかとミリーシャは内心で思考を巡らせる。ラウルは常に他者に対して傲慢な態度を取っているが、その実根性のない腑抜け男だ。一年前恐怖に負けて逃げ出した彼に、再び西の森に踏み入ろうとする度胸はおそらく無い。だからミリーシャが西の森に入ったという決定的な瞬間は見られていない筈だ。ならば弁解の余地はまだ十分にあるとミリーシャは考える。


「何? もしかして私がまた村の掟を破って西の森に立ち入ったとでも言いたいの? 冗談も大概にしてよね。一年前あれだけ騒ぎになったんだから、さすがの私でもあんな馬鹿なことはもうしないわよ」

「ふぅん。まあお前がそう言うならそうなんだろうな。でもどちらにしろ、お前が今日森の西側に向かったってことは事実なんだ。そのことはしっかりと親父と爺ちゃんに報告させてもらうぜ。お前には一年前、掟を破って西の森に入ったっていう前科があるんだ。俺の報告を聞いたら、きっと親父達はお前が森に入ることそれ自体を禁止するだろうな。まあお前にとってはむしろそっちの方が良いんじゃないか? 村の中で女らしさを磨く良い機会になるだろうからさ」


 ラウルの言う通り、事実がどうであれ、前科のあるミリーシャが再び西の森に入ろうとしていたなどという話が大人達の耳に入ってしまえば、ミリーシャは二度と森に立ち入ることが出来なくなってしまう。特に村長のドミニクは規律に厳しい人物だ。彼に知られればその時点で弁解の余地はなくなるだろう。


 だからラウルの言っていることは、ミリーシャにとっては正直かなり都合が悪かった。ミリーシャは頭の中でラウルの行動を止める何か良い手がないものかと算段を始める。言葉での説得はおそらく無理だろう。暴力に訴えるのはそれはそれで騒ぎとなるため良い手段とは言えない。スカートのポケットには今日の授業で作った爆発の魔法石が入っているが、威力が強すぎてラウルに大怪我をさせてしまう可能性がある上に、そもそもミリーシャが魔法を習っていることを村の人達に知られてしまうため論外である。


 結局、ミリーシャの中で有効な手段は思い付かなかった。そのためミリーシャは恨みがましくラウルを睨みつけることしか出来ない。そんなミリーシャの態度からラウルは自身の勝利を確信したのだろう。優勢に立ったラウルはお得意の嘲りをこれでもかとミリーシャに対して浴びせ始めた。


「それによ、俺にはずっと疑問に思ってたことがあるんだよ。どうしてお前は一年前、魔女の森を三時間も彷徨ったにも関わらず、無事に村に戻って来ることが出来たのかってな。けど今日のお前を見てようやく確信したぜ。お前も、実は人喰いの魔女の仲間だったんだろ? だから魔女の森に入っても喰われることがなかったんだ。今日だって西の森に行って魔女と一緒に悪魔を召喚する儀式でもやってたんだろ? いや、違うか。そもそも……」


 ラウルは実に楽しそうに、口の端を三日月型に持ち上げた。


「お前自身が魔女に召喚された悪魔なんじゃないのか? リベリオス村に忍び込んで、村の人間を魔女の下へ連れて行くための。だってそうじゃなかったらおかしいだろ? お前のその煤被ったみたいな真っ黒い髪は、普通の人間には有り得ない色だもんな。それだけでも十分な証拠だろ?」


 ラウルのその暴言に、ミリーシャは何も言い返すことが出来なかった。彼女にしては珍しく、喉が引き攣り、胸の奥底から何か込み上げてこようとするものがあった。その感覚は幼少期以来、久しく抱いていない感覚だった。


 ラウルの指摘通り、肩口で短く切られたミリーシャの黒色の髪は非常に珍しいものだ。この村に住む人間達はその殆どが茶色か金色、もしくは赤色の髪を持っている。一部白色の髪を持っている大人もいるが、それは加齢によって色が変わったに過ぎない。リベリオス村で生まれながら黒色の髪をもっているのは、ミリーシャ一人だけである。


 幼少期のミリーシャは、同年代の子供達から黒色の髪のせいでよくいじめられた。ミリーシャはその全てを拳一つで黙らせてきたが、子供の頬を殴ると同時に心の中では自分も傷付き、悲しみを抱いていた。なぜ自分だけ髪の色が違うのか、なぜ髪の色が違うだけで他人から攻撃されなければならないのかと、そう叫びながら。幸いにもミリーシャの黒髪を(なじ)るのは子供達だけで、マルクやイザベル、村の他の大人達はミリーシャの髪が黒色だからといって差別するようなことはなかったため、それには随分と救われていた。そして子供達も次第にミリーシャの暴力性に恐れをなしてちょっかいをかけてくることはなくなっていたので、自分の髪色について何か言われるのは随分と久しぶりだった。


 自分も成人を迎える歳となり、今更何も言われても平気だとミリーシャは思っていた。だが改めて、こうして面と向かって言われて自分の心が萎縮しているのを感じると、昔負わされた傷が完治など全くしていなかったことを自覚する。そんな弱い自分への悔しさで、ミリーシャは両手を強く握り込んだ。


「……アンタ、それ本気で言ってるの?」


 ミリーシャの珍しくも不安定に揺れる声音に、ラウルは更に勢いづく。


「当然だろ? 俺はずっとお前の髪が悪魔みたいで気持ち悪いって思ってたし、村の他の人達も口には出さないだけできっと同じように思ってる筈だぜ? だってお前は明らかに普通の人間とは違うんだからな。俺は村の総意を代弁して言ってるだけだ」


 ラウルの容赦のない言葉が矢のように次々とミリーシャの胸に突き刺さっていく。ミリーシャの心は、疑心暗鬼という名の黒い渦に囚われていった。


 自分は、村の人達から愛されていると思っていた。髪の色は普通の人とは違うけれど、自分もリベリオス村の一員だと胸を張って毎日を過ごしていた。けれど、それはただの思い上がりだったのだろうか。ミリーシャがこれまで村の人達と交わしてきた笑顔や言葉は、上辺だけの偽りに過ぎなかったのだろうか。そうであって欲しくないと思うけれど、ラウルの発言はミリーシャの理想を無常にも両断する。


 普段は決して弱いところを見せないミリーシャだが、堪えることが出来ずに自然と涙が零れ落ちる。それでも絶対に譲れぬ矜持がある。ミリーシャは涙を流しながらも表情は一切変えず、目を見開いたまま力強くラウルを睨み続けた。


 さすがのラウルもミリーシャが泣くなどとは思っていなかったらしい。先程までの傲慢な態度はどこへ行ったのやら、彼はミリーシャの視線から逃げるように急に顔を右往左往させ始め、自信無さげに辿々しく言葉を返した。


「おい……、べ、別に泣くことないだろ……。俺はお前の髪の色が普通と違って気になるって言っただけで……、悪魔みたいだっていうのは単なるモノの例えというか冗談の延長線上というか。別に俺は、お前にこの村からいなくなって欲しい訳じゃなくて……、ただでさえお前は何もしなくても目立つんだから、もっと普通になる努力をしろって忠告したかっただけで……」


 ラウルの言うことは支離滅裂で、気まずくなったこの場を何とか乗り切ろうという魂胆が丸見えだった。単なるモノの例え? 冗談の延長線上? ふざけるなとミリーシャは思った。少なくともラウルが先程まで投げかけてきた言葉の数々は、ミリーシャの気持ちや存在そのものを否定するだけの重さを内包していた。単なる冗談の一言で済ませられるような軽い言葉では決してない。保身のためであれば自分の発言を無責任に覆そうとするラウルの腑抜け具合いには当然ながら怒りが沸くし、何よりそんな小物に泣かされた自分自身にも腹が立った。


 面倒だとか騒ぎになるとかは最早関係ない。ミリーシャは狼狽えるラウルへズンズンと近づいて行き、その勢いのまま一発ぶん殴ろうとした。だがそうするよりも早く、二人の間に割って入る人物が現れた。


「ラウル‼︎」


 村全体に響かんとするくらいに大きな胴間声。近付いてきたのは、偏屈そうな毛むくじゃらの顔に修羅の如き怒り湛えた、村の顔役の一人であるバサノバだった。村の中心部、ミリーシャの後方から太鼓腹を揺らして歩いてくるバサノバは、ミリーシャの横をそのまま通り過ぎ、有無を言わさずラウルの頭を大きな拳で思いっきりぶん殴った。その衝撃でラウルの体は一メートル程真横に飛んで行った。


 突然のことに固まるミリーシャと、痛みで物理的に動けないラウル。バサノバは地面に突っ伏したままのラウルに構うことなく、鼻息荒いままに怒りの言葉を吐いた。


「ラウル、テメェ男の癖して女を泣かせるとはどういうことだ‼︎」


 バサノバのその言葉に、痛みと衝撃から何とか立ち直ったラウルは、左の側頭部を押さえながら苦言を述べる。目尻には僅かながらに涙が滲んでいた。


「いきなり何すんだよ、バサノバのおっちゃん! 何も言わずに殴ってくるなんて酷いじゃないか!」

「うるせえ‼︎ テメェがミリーシャ泣かせたからだろうが‼︎」


 ラウルの甘ったれた態度はバサノバの癇に障ったらしい。問答無用で今度は膝蹴りがラウルの腹に撃ち込まれた。ラウルの体は更に二メートル程空中を滑空する。あれは痛い。間違いなく痛い。ミリーシャも涙を流すのを忘れてしまうくらいに同情的な光景だった。


 その衝撃を物語るように、地面に落下したラウルはそのまま腹を抱えて二分間もの間蹲っていた。そしてラウルが痛みから復活したのを見計らって、バサノバは言葉を続けた。


「これに懲りたらミリーシャに謝ってさっさと家に帰れ! 今日のことは後で俺からドミニクに知らせておくからな。覚悟しておけよ!」


 バサノバはラウルの襟首を掴むと、そのままミリーシャの目の前まで運んでくる。中々口を開こうとしないラウルに、バサノバは無言の圧をかけ、ミリーシャへの謝罪を強要する。


「……その、わるかった」

「声が小さい‼︎」

「俺が悪かった!」

「謝るならちゃんと頭を下げろ‼︎」

「申し訳ございませんでした‼︎」

「お辞儀ってのはもっとこうすんだよ‼︎」


 バサノバは三十度ほど傾いていたラウルの頭を力一杯押し込む。そのせいでラウルの頭は下がり過ぎて、お辞儀ではなく単なる伸屈運動のような格好になった。見方によっては余計に失礼な感じもするが、それ以上に今のラウルは滑稽だったので、まあ差し引きは取れているだろう。


 それでバサノバの機嫌もようやく晴れたらしい。一言「よし‼︎」と言うとラウルの尻を思い切り蹴飛ばした。


「じゃあさっさと帰れ糞餓鬼! これに懲りたら二度とミリーシャをいじめるような真似すんじゃねえぞ!」


 ラウルはバサノバに怯えるような視線を向けながら、蹴られた尻をさすって村の中心部へと逃げて行った。ラウルの目にはもうミリーシャは映っていない様子だった。


 夕焼けの村影に消えていくラウルの情けない姿を二人で見届けた後、唐突にバサノバが口を開いた。


「すまんな、ミリーシャ。もしかして余計な世話だったか?」


 その声音には先程までの嵐のような苛烈さはなく、ただミリーシャを労わる優しさだけが込められていた。


「いえ、正直とても助かりました。もしバサノバおじさんが来てくれなかったら私、あのままラウルの顔が二度と元に戻らなくなるくらい殴っちゃってたと思います」


 冗談とも本気とも取れるミリーシャの発言に、バサノバは豪快な笑い声を上げた。


「そうか、なら儂が首を突っ込まん方が良かったかもな。あの糞餓鬼の性根を直すには、それこそ一生消えない傷跡を残すくらいが丁度良い」

「ラウルが私に言ったこと、バサノバおじさんも聞いてました?」

「さてな。儂はただ、ラウルに泣かされているお前さんを見かけたから助けに入っただけだ。それ以上でもそれ以下でもないさ」

「……私、このままこの村に住んでいても良いんでしょうか?」


 ミリーシャのその不安に満ちた発言を、バサノバは何でもないように一笑に伏した。


「そりゃあ良いに決まっとるだろ。お前さんはあの仏頂面鍛治師マルクとその妻イザベルの間に生まれた、正真正銘リベリオス村の人間だ。誰から何を言われても気にする必要はないし、そんな不届きな奴がおるならまた儂が怒鳴りつけて黙らせてやるさ。だからそんなことは気にせず、お前さんはお前さんらしく堂々としていればそれで良い」

「……そうですね、その通りですね。バサノバおじさんのお陰で何だか心が軽くなりました。ありがとうございます」


 ミリーシャのその言葉を聞いたバサノバは、安心したような笑みを浮かべた。


「別に礼を言われる程のことはしていない。だがまあそうだなあ、もし恩を感じているなら、将来、恋人でも出来た時には真っ先に儂に教えてくれるか? 儂直々に、相手の男がお前さんに相応しいかどうか見極めてやる。罷り間違ってもマルクのような男とくっつくことだけは阻止せねばならんからな」

「ずっと前から思ってたんですけど、バサノバおじさんって父さんと仲悪いんですか?」

「いいや、そんなことはない。ただアイツの、余計なことを口にしないことこそ男の美徳だとかいう考えが気に食わんだけだ。お前さんも相手を選ぶ時には気を付けるんだぞ。あんな口数の少ない男なんかと結婚した日には、将来必ず苦労することになる」


 私情が多分に入ったバサノバの物言いに、ミリーシャは苦笑で答えた。


 バサノバのお陰で、ミリーシャの不安は随分と取り除かれた。バサノバの態度を見る限り、ラウルが言ったような、自分が村の人々から疎まれているなどということは恐らくないのだろう。自分はちゃんと、村の一員として皆から受け入れられている。その確信を持つことが出来て、ミリーシャは安心感を覚えた。


 けれどそれでも、ミリーシャの不安が全て取り除かれた訳ではなかった。


 それは物心ついた頃からずっと心の中で蟠る、焦げ跡のような根源的な不安。


 村の中で自分だけが黒色の髪を持つという、絶対的な現実が齎す疑念。


 つまり何が言いたいかというと、自分は本当に、マルクとイザベルの娘なのだろうか?



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