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魔女の槌(まじょのつち)  作者: 榎本慎一
第一章 『魔女の弟子』
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第1節 ミリーシャ(5)



 ミリーシャがミラティエナから魔法を教わることにしたのは、自分の知らないことを知りたいという知的好奇心、そしてミリーシャ自身に魔法を扱う素養があったことが大きい。あとは常日頃からマルクとデレクの姿を見て、師弟関係というものに潜在的な憧れを抱いていた、というのもあるかもしれない。


 ミリーシャはミラティエナとテーブルを挟んで向かい合わせに座り、魔法の実技訓練に取り組んでいた。


 ミリーシャが今扱っているのは刻印魔法と呼ばれる、物や人などに魔法文字という特殊な紋様を刻むことで術式を発動させる魔法である。魔法文字は呪文と同じく文字一つ一つがそれぞれ術の発動形態を定める役割を担っており、どの種類の文字を刻むか、またどのくらいの魔力を込めるかで齎される結果が大きく変わる、地味ながらも応用性の高い魔法である。ミラティエナから教えてもらった魔法の中で、ミリーシャはこの刻印魔法が最も得意だった。


 ミリーシャは最大限の集中力を発揮しながら、手元の石に慎重に魔法文字を刻んでいく。刻み込むのは火と風、そして解放の意味を内包する魔法文字。それによって出来上がるのは、爆発の機能を持った魔法石である。


 ミリーシャは文字の刻み終わった魔法石に問題がないか試すすがめつしてから、それをミラティエナへと手渡した。


「出来ました。確認お願いします」


 そう言って手渡された魔法石を、ミラティエナは頭上に掲げて眺め見る。暖かなランプの灯りに照らされる中、ミリーシャが石に刻んだ三種類の魔法文字がそれぞれ違う色の光をささやかに発している。


「はい、問題ありませんね。良く出来ています。複数種類の刻印でも失敗することはほとんどなくなりましたね。ここまでよく頑張りました」


 ミラティエナのその言葉に、ミリーシャはホッと胸を撫で下ろす。それはミリーシャがこの一年で積み重ねてきた修練の成果を認めるものだった。安堵と同時に純粋な喜びがミリーシャの中に込み上げてくる。


「ありがとうございます。それもこれも、先生が教えてくれたおかげです」

「とは言っても、まだ一種類の魔法の基礎が出来上がったに過ぎません。これからも修練を続ける必要はありますし、それに刻印魔法以外に関してはまだまだお話にすらなりません。苦手だからと逃げずにこれからも精進して下さいね」

「……はい、それは勿論です、先生」


 ミラティエナが最後に付け加えた一言によって、ミリーシャの高揚していた気持ちは一気に消沈させられた。ミラティエナは基本的におっとりとした性格をしているが、授業での手解きや評価は非常に厳しい。怖いとかそういう類いではなく、しつこいだとか容赦がない、そして求める基準が高いという、そういった方向の厳しさである。


 魔法の教え方は物腰柔らかく安心感があり、説明自体もわかりやすくて面白い。だがいざ実践となると、教えたことが出来るようになるまで延々と同じ作業を繰り返させられる。そんな辛さがあった。


 教えられた内容を理解するのと、それが実際に出来るようになるかどうかはまた別の話である。授業を受けていると、ミラティエナはその辺りの認識が抜けているのではないかとミリーシャは時々思う。あの人は、他人から教えられたことなら何でも一発で出来ると勘違いしている節があるのだ。失敗した時にあの作ったような笑顔で言われる


「この程度のことが出来ないんですか? まあ出来るようになるまで根気強く待ちますし、分からないところがあればその都度教えますから、出来ないなら出来ないなりに考えて早く出来るようになって下さいね」


という言葉は中々に心を抉られる。たとえ普段の生活能力が目を瞑りたくなるほど壊滅的だったとしても、魔法に関してはとんでもない才能の持ち主なのだと、ミリーシャはミラティエナの授業を受ける度に実感する。


 ミリーシャ自身も、ミラティエナと比べて自分に魔法の才能が無いことは理解している。だがそれでもミラティエナの修行に喰らい付いて来られたのは、ひとえに持ち前の負けん気があったこと、そしてそれ以上に魔法が好きになり、より多くの魔法を知って使えるようになりたいと思えたことが大きいだろう。


「さて、実技はこのくらいにして、そろそろ座学に移りましょうか」


 そう言って席を立ったミラティエナが本棚から取り出したのは、呪文学について書かれた教本だった。


 ミリーシャがミラティエナの小屋を訪れるようになって一番驚いたこと、それは貴重品である筈の本がそれこそ藁山の如く存在していることである。


 羊皮紙は元より、それを大量に使用する本は大変に高価な代物だ。一冊買うだけでも庶民の一〜二年の稼ぎと同等のお金が必要となる。それが優に五十冊以上。ちなみにリベリオス村に所蔵される本は村長が持っている二、三冊だけだが、それでも小さな村にしては珍しい部類だという。個人でこんなに大量の本を持っているなど、本来あり得ないことなのである。


「あの、ずっと疑問に思ってたんですけど、ミラ先生って一体何者なんですか?」


 ミリーシャの突然の質問に、ミラティエナは驚いたような表情を見せる。


「あらあら、いきなりどうしたんですか? 見ての通り、どこにでもいるただの魔女ですよ」

「それは知ってますけど、そうじゃなくて。私、ミラ先生と知り合ってからもうすぐ一年が経ちますけど、まだ先生のこと何も知らないと思って。出身とか、生い立ちとか、どうしてこんな森の中に一人で住んでるのかとか。あとこの大量の本にしてもそうです。先生ってもしかして実は良いところの貴族の出だったりします? 生活能力が壊滅的なのも、使用人に身の回りの世話をしてもらって育ったからですか?」


 ミリーシャから矢継ぎ早に追及を受けたミラティエナは、困った表情で顎に手を当てながら何かを考え始める。それが十秒以上も続いたため、ミリーシャは重ねて言葉を投げかけた。


「先生?」

「そんなに知りたいですか、私のこと?」


 ミラティエナは神妙な口調でそう問いかけてくる。普段はあまり見ない真面目な雰囲気の彼女を前にして、ミリーシャも自分の気持ちを素直に伝えた。


「はい、知りたいです」

「そうですか……」


 そこでまた暫しの沈黙。ミラティエナは尚も思案を続けている。その様子からは、自身の素性についてあまり触れられたくないという彼女の気持ちが有り有りと伝わってきた。


 人に歴史あり、という言葉があるように、もしかしたらミラティエナは、人には言えないような波瀾万丈な人生をこれまで送ってきたのかもしれない。ミリーシャは頭の中でそんな想像を巡らせる。そもそもの話、こんな森の奥で隠れ潜むような暮らしをしている時点で、何も事情がない訳がないのだ。


 ミリーシャ自身、ミラティエナの過去を知りたくないと言えば嘘になる。だが話したくないことを無理に聞き出そうなどとは思っていない。しかし自分から質問をした手前、仮にどんなに悲惨で重苦しい話が飛び出してきたとしても、ミリーシャはその全てを受け止めなければならない。その覚悟だけはしっかりと固めて、ミリーシャはミラティエナの答えを待った。


 ミリーシャが見つめる中、ミラティエナがようやく口を開く。彼女の出した答えは……。


「ごめんなさいね、ミリーシャさんには申し訳ないですが、やっぱり秘密です。それによく考えてみて下さい。何もかもを知っている相手よりも、素性の知れないミステリアスな女性の方が、魅力的で素敵だとは思いませんか? 私は魅力溢れる師匠でいたいので、教えられません」


 結局ミラティエナはいつもの胡散臭い笑みを浮かべて、ミリーシャの質問を煙に巻いた。ミリーシャも「まあそうなるだろうな」とある程度予想はしていたため、それほど落胆はしなかった。


「さて、雑談はこのくらいにして、呪文学の授業を始めましょうか。今日は二三一ページから二五〇ページまでの内容を全て覚えてもらいます。ミリーシャさんは日没前に村へと帰らないといけないのですから、あまり時間の猶予はありませんよ。まあそれほど難しい内容でもありませんから、一時間もあれば余裕でしょう」


 手を打ち合わせながら朗らかに告げられたその言葉に、ミリーシャは内心で軽い絶望感を抱いた。ミリーシャの目の前に鎮座するのは、両手で抱えるほどの大きな本と、その紙面を端から端までびっしりと埋め尽くす文字の群れ。内容も言うほど簡単ではなく、むしろミリーシャにとっては結構難しい部類である。


「すみません先生、一時間じゃ無理です。せめて丸一日貰えませんか?」


 ミリーシャのその提案に、ミラティエナはキョトンとした顔を浮かべる。


「一日ですか? 別に構いませんが、でもそれだと今日中には終わりませんよ?」

「今週来週再来週と三回に分けて覚えます」

「そうですか? この程度の内容に三週間も費やすのは随分と時間の無駄遣いな気がしますが、まあミリーシャさんがそうすると言うのであれば私はそれで構いません。まあ大変時間の無駄遣いだとは思いますが」


 残念そうに言うミラティエナに、ミリーシャは少しだけ反骨心が沸いた。


「ちなみに先生は、一時間あればこれを全部覚えきれるんですか?」

「いいえ、この程度の内容であれば、私は三十分で覚えられます」


 予想を上回るその返答に、ミリーシャはもうそれ以上言い返す気力を失ってしまった。


 だがそれでもミリーシャは歯を食いしばりながら、一時間は無理でもせめて来週までには覚えきってやると、必死に本に食らいついて内容を頭に入れ始めた。


 そんな風に必死で頑張るミリーシャの様子を、西の森の魔女は優雅に紅茶を飲みながら嬉しそうに眺めていた。


 こうして週に一度の魔法の授業は終わりを迎え、ミリーシャは疲れを顔に滲ませながら、魔女の棲家を後にするのだった。


 日没まであと一時間半と迫った時刻である。



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