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魔女の槌(まじょのつち)  作者: 榎本慎一
第一章 『魔女の弟子』
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第1節 ミリーシャ(4)



 ミラティエナへの説教を終えたミリーシャはいつも通り、まず部屋の片付けから始めた。


 前回の休息日に綺麗さっぱり片付けた筈の室内は、まるでこっちの方が正常なのだと言わんばかりに散らかりきっている。毎度のことなので半ば諦めてしまっているが、なぜこの人は僅か七日間でこんなにも足の踏み場がない程に物を散乱させられるのか、ミリーシャは不思議でならなかった。


 そして部屋の主であり、この混沌を齎した張本人はといえば、今はテーブルの真ん中で埃が舞うのも気にせず、ミリーシャが持参してきた弁当を暢気に食べている。


 ミリーシャは床に放り出されていた天秤を棚に戻しながら、この困った女性と出会った時のことを思い出した。


 ミリーシャがミラティエナと出会ったのは今から一年前。村の同世代の子供達とこの森に入ったことがきっかけだった。


 基本的に明るい性格で他人を嫌うことをしないミリーシャであるが、そんな彼女にもどうしても気に食わない人間が村の中に一人だけいる。それが村長の孫・ラウルである。彼とは同い年ということもあって何かと関わる機会が多いのだが、この少年、自分が村長の孫であることを事あるごとに振り翳し、子供達の上に立とうとする鼻持ちならない奴なのである。


 口達者なだけであればただの人畜無害として誰にも相手にされなかっただろう。だがラウルは言葉だけでなく力も強い。それ故に子供達の中で彼に逆らえる者は誰もおらず、次第に村の中で子供達のリーダー的存在へと収まっていった。


 村の子供達がラウルに次々と服従していく中、気の強いミリーシャだけが彼の言いなりにはならなかった。力が強いというだけで他人に従わなければならない理由がミリーシャには理解出来なかったからだ。そしてそんなミリーシャの反抗的な態度がラウルも気に食わなかった。


 ミリーシャを従わせたいラウルと、それに反発し続けるミリーシャ。当然のことながら、二人は互いに互いを嫌い合う犬猿の仲となった。そのせいか、ラウルは顔を合わせる度にミリーシャに対して悪口や嫌がらせをしてくる。過去にはそれが原因で、血で血を洗う殴り合いにまで発展したこともあった。


 ミリーシャが西の森に入ることになったのも、ラウルから浴びせられたある悪口がきっかけだった。


——「お前は威勢が良いだけで根性がない腑抜けだ。あるならそれを証明してみせろ」。


 そんな安い煽り文句。だがミリーシャとて言われたままではいられなかった。


 その後ラウルとどんなやり取りを交わしたのかは正直あまり覚えていない。だが結論として、ミリーシャとラウルを含むその場にいた子供五人で、西の森に本当に人喰いの魔女がいるのか確かめに行こう、という流れになったことだけは覚えている。


 大人達に黙って西の森へと足を踏み入れたミリーシャ達。だが結果として、まずはミリーシャとラウルを除く三人の子供達が開始五分で、そして終始強がっていたラウルも本心では怖かったのだろう。森に入ってから二十分で彼も恐怖に負けて逃げ出してしまった。


 一人その場に取り残されたミリーシャは、逃げるラウルの背中に「臆病者」と心の中で言葉を投げつけながら落胆の息を一つ吐いて、そのまま森の奥へと進んで行った。


 森に入ってから一時間が経っても、魔女の姿はおろか痕跡すら発見することは出来なかった。やはり所詮は御伽話かと諦めて帰ろうとした、まさにその時だった。視界の先で、樹々の途切れた小さな広場と、そこに佇む一軒の小屋を発見したのは。


 当然ながらミリーシャは喜びに打ち震えた。西の森に魔女が本当に住んでいたという事実に。そして、その事実を解明してみせた自分の勇敢さに。


 広場に向かって走っていったミリーシャは、すぐさま小屋には入らず、そっと窓から中を覗き込んで様子を窺った。窓は驚くべきことに、鎧戸ではなく高価なガラスで出来ていた。普段であれば物珍しさに気分が高揚するところであるが、今回ばかりはそうはならなかった。ガラスは砂埃や雨を遮断しつつ外の光を取り込めるという点では優れているが、透明度はすこぶる悪い。そのためいくら目を凝らしても光がガラスの中で歪んでしまい、中を窺い知ることは出来なかった。


 ミリーシャは仕方なく、扉を開けて中に入ることにした。取手に手をかける時は、さすがのミリーシャも緊張した。自分が今から立ち入ろうとしているのは仮にも人喰いの魔女の家だ。もし本当に食べられてしまったらどうしようという恐怖が頭をもたげる。だがミリーシャは覚悟を決めて扉を開けた。


 しかし、扉は開かなかった。鍵が掛かっているという訳ではなく、扉の先に何か重い物があってそれが邪魔をして開かない、という感じだった。ミリーシャは力を込め、扉越しにその重い物を押し除けながら中へと入った。


 小屋の中は薄暗くて見えづらくはあるが、まさに魔女の棲家と言うに相応しい、見たことのない不思議な物で溢れていた。ミリーシャは先程まで抱いていた恐怖も忘れ、好奇心の赴くままに部屋の中を見て回った。中央に置かれた大きなテーブルを支点にぐるりと一周。舐め回すように端から端までをゆっくりと見物していく。そして粗方見終わり再び入り口に戻ってきたところで、ミリーシャはグニャリと何か柔らかい物体を踏んだ。これまであまり経験したことのない感触。一体何だろうとしゃがんで目を凝らせば、そこには一人の女性が倒れていた。小屋に入る際、ミリーシャが物だと思って押し除けていたのは、実は物ではなく人だったのだ。


 その事実を知ったミリーシャが驚きと申し訳なさで慌てふためいたのは言うまでもなく、ミリーシャは必死にその女性を介抱した。


 そんな少々間抜けとも言える出来事が、人喰いの魔女、もとい西の森に住む魔女——ミラティエナとの出会いであり、そしてミリーシャがミラティエナに弟子入りするきっかけにもなったのだった。



    ※    ※    ※    ※



 部屋の掃除を終えたミリーシャは、再びミラティエナの方へと視線を向ける。


 既に弁当を食べ終わり、今は優雅に紅茶を飲んでいるミラティエナは、漆黒のローブに身を包む、まさしく村の大人達から伝え聞く魔女像そのものの姿をしていた。きっと魔女である彼女にとってはこれが当たり前なのだろうが、中々に奇抜で趣味の悪い服装だとミリーシャは思う。他に特別目を引く部分があるとすれば、ミリーシャと同じ夜空のような漆黒の髪を持っていることと、腹に一物抱えてそうな胡散臭い笑みを常に浮かべていることくらいだろうか。それ以外は何の変哲もない、ごくごく普通の美人な女性である。


「掃除終わりましたよ、先生」

「はい、ご苦労様です。いつもありがとうございます、ミリーシャさん。それでは今日も早速、始めましょうか」


 ミラティエナはそう言いながら紅茶のカップをソーサーに置いた。陶器がぶつかり合うカチャリという音が、授業開始の合図となった。



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