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魔女の槌(まじょのつち)  作者: 榎本慎一
第二章 『魔女狩り』
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第1節 アンナ(2)



 夜も更け、先程まで騒いでいた客達は皆それぞれの帰路へと着いて行った。


 打って変わってガランと静まり返った店内で、アンナは閉店に向けた後片付けを一人黙々と行なっていた。


 そこに、裏の調理場から父のモーゼスが顔を出してきた。


「今日も手伝ってくれてありがとな、アンナ。忙しくて疲れただろう?」


 穏やかな声でかけられる労いの言葉に、アンナは片づけの手を止めて首を振った。


「ううん、そんなことないよ。お店での仕事は常連のお客さん達とお話出来て楽しいから。

 ……でも、私がお店を手伝うことでむしろお父さん達の迷惑になってないかな。今日だって配膳中に二回も転んで料理とお酒をダメにしちゃったし……。元々お店の手伝いをしたいって言い出したのは私なんだから、もし邪魔になってたらはっきりちゃんとそう言ってね」


 少々気落ちした様子で紡がれたその言葉に、モーゼスは優しい笑みを浮かべてアンナの頭に手を置いた。


「別に迷惑には思ってないから気にしなくて大丈夫だ。こっちからすれば人手が足りない中でアンナが手伝ってくれて凄い助かってる。大変だろうけど、明日もよろしく頼む」


 父のその言葉に、アンナは心の中で暖かいものが広がっていくのを感じる。


 だがそれも、二階から降りてきたマーサの一言によってすぐに掻き消されてしまった。


「あまりその子を甘やかすようなことは言わないでおくれよ、モーゼス。アンナが手伝ってくれるお陰で私達が助かってるのは確かにその通りだけどね。それでもその子が接客中にミスをしたのもまた事実だよ。それを咎めずにただ慰めるだけっていうのは躾としてどうなんだい?」


 マーサは両手に腰を当てながら眉間に皺を寄せてそう漏らす。これは激昂まではいかずとも、それなりに怒りを溜め込んでいる時の顔だ。アンナは母のその様子を見て身を竦めた。


 モーゼスはそんなアンナを励ますように頭を撫でながら、先程までと同じ穏やかな声音で答えた。


「それはまあ確かにそうなんだが。でもマーサは少しばかり子供達にキツく当たり過ぎじゃないか? それだとアンナもリュカもどんどん萎縮して、色んなことが思いっきり出来なくなる気がするんだよ」

「それでもダメなものはダメだとハッキリ言ってやらなきゃ将来困るのはこの子達だよ? 私達だっていつまでもこの子達を守ってやれる訳じゃない。だからアンナにもリュカにも一人で生きていけるだけの力を身に付けさせなきゃならない。それが親としての最低限の義務ってもんだからね。あんたにはそれがちゃんと分かってるのかい、モーゼス?」

「勿論、それが大切なことだってのは俺も分かってるさ。でも今のアンナの様子を見てくれよ。怒る君を目の前にして酷く怯えているだろう? ただ厳しくするだけじゃあ子供達は成長してくれない。マーサはいつも子供達の悪い所ばかりを見てしまっているけれど、逆に良く出来たところもちゃんと褒めてあげないと。

 それにさ、俺は嫌なんだよ。怒ってばかりいるせいで、君本来の良いところが子供達から見えなくなってしまうのが。確かにマーサは口が鋭くて頑固な部分もあるけれど、それ以上に自分の芯がしっかりあって、誰に対しても考えを曲げずにハッキリとものを言える強さがある。俺は君のそういう所を好きになって結婚したんだから。子供達にも君の良いところをちゃんと見て知って欲しいって、俺はそう思うんだよ」

「全く、あんたがいつもそうやってのんびりしてるから結局私が全部言わざる得なくなるんじゃないか。それと、子供の前で急に惚気るのは反則だよ。どう反応したら良いか分からなくなるじゃないか……」

「悪いな。でもこれが俺の本心だからさ」


 モーゼスはニコニコと笑いながらマーサに自身の思いを素直に伝える。マーサも満更ではないらしく、頬を赤らめながらそっぽを向いてしまった。


 そんな様子の両親を見て、アンナは一つの疑問を抱いた。


「ねえ、お父さんはさ、脅されて仕方なくお母さんと結婚したんじゃなかったの?」


 その一言を聞いた瞬間、マーサがもの凄い勢いでアンナの方へ首を戻してきた。


「アンナ! あんたなんてこと言うんだい!」

「ひっ!」


 マーサの怒りに染まった顔と唐突な怒鳴り声に、アンナは隣にいるモーゼスへ咄嗟に抱き着いてしまった。目元には恐怖で涙が滲んだ。


 まただ。また自分は余計なことをしてしまったとアンナは思った。全くそういうつもりはなかったのに、自分はまた不用意な発言をして母を怒らせてしまった。そんな罪悪感と後悔がアンナの中に湧き上がってくる。


 母の鋭い視線から逃げるようにアンナは父の大きな体に顔を埋める。その様子を見たマーサはアンナへ更なる言葉をぶつけようとするが、モーゼスが片手を上げてそれを止めた。モーゼスはアンナの背中をさすりながら、萎縮してしまった心を解きほぐすように優しく声をかける。


「アンナ。どうしてそう思ったんだ?」


 父のその言葉で安心感を取り戻したアンナは抱擁を解き、父の目をジッと見つめながら答えた。


「だって、いつもウチに来てくれるお客さんがみんな口を揃えて言ってるから。『お母さんはお父さんと結婚するために無理矢理包丁突き付けて脅した』って。私と結婚しないなら男の象徴? を切り取ってやるとか何とか言ったって。みんなそうだって言ってるんだから、本当のことなんでしょ?」

「成程な。包丁突き付けられたことと玉を取られかけたところは合ってるな」

「モーゼス!」


 店の中に再びマーサの怒鳴り声が響き渡る。しかしそこに先程までの鋭さはなかった。取り繕ってはいるようだが、マーサの顔はモーゼスに惚気られた時と同様に赤くなっている。アンナは母の反応の理由が分からず、答えを求めるようにモーゼスの方へ視線を向けた。


「そうだな。誤解を解くためにアンナには一度ちゃんと話しておいた方が良いか。

 アンナも聞いたように、常連のお客さん達は父さんが母さんに脅されて結婚したと思っている。そしてアンナ自身もその話を信じている。ここまでは間違ってないか?」

「うん」

「本当のことを言うとだな。実際は逆だったんだ」

「逆って、どういうこと?」


 父の発言にアンナは首を傾げる。娘からの疑問に満ちた純粋無垢な視線に、モーゼスはどこか気恥ずかしそうに数秒頭を掻いてから再び口を開いた。


「相手のことを好きになって、半ば強引に結婚を迫ったのは、母さんじゃなくて父さんの方なんだよ」


 父のその告白に、アンナは目と口を大きく開けて固まってしまった。信じられなかった。想像することすら出来なかった。常に自分よりも他者の考えを尊重し、相手と意見を衝突させるくらいなら自ら身を引いて場を納めようとする温厚な父が、かつて母との結婚に関してだけは相手の意思を無視するような強引な行動に出ていたなんて。


「それ本当なの? 今もお母さんに脅されてそう言わされてるとかじゃなくて?」


 アンナのその物言いに、モーゼスは笑いを噛み殺しながら答える。


「本当だよ。父さんは昔、母さんのことが心の底から好きになってな。最初はにべもなく断られてしまったんだが、それでも振り向いてもらうために色々と頑張って、その末に結婚したんだよ」

「それでどうして包丁突き付けられたり、男の象徴? を取られる状況になるの?」


 その疑問に答えたのは、半ば呆れた表情を浮かべて話を聞いていたマーサだった。


「だって想像してごらんよ。ある日突然、ゴリラみたいにガタイの良い男が家に訪ねてきて、出会い頭にいきなり結婚してくれって言われたんだ。不審を通り越して気味が悪いだろう? 当然断ったんだけど、この男ときたら諦めもせずに毎日毎日訪ねてきやがって。それが一月も続けば包丁の一つも突き付けたくなるってもんさ。いっそその股にぶら下がってるブツを切り取っちまえばこのしつこい求婚も終わってくれるだろうかって、当時の私は本気で考えたのさ」


 どうしてだろう。両親の馴れ初めを聞いている筈なのに、母から父に対する恋情を微塵も感じないとアンナは思った。


「なら、どうしてお母さんはお父さんと結婚することにしたの?」

「まああまりのしつこさに根負けしたのと、当時の自分を取り巻く状況に背中を押されたのが半々ってところだね。私が包丁突き付けながら『これ以上求婚してくるならその玉切り取ってやる』って脅したら、この男、何て言ったと思う? いきなりズボン脱ぎ出して『好きに切り取ってくれ。その代わり責任取って俺と結婚してくれ』って言い出したんだよ? さすがに私も冗談のつもりだったんだけど、そこまで誠意を見せられちゃあ、私もちゃんとこの男と向き合わなきゃいけないって思ったのさ。それに当時の私は年齢的に行き遅れてたからね。他に相手がいる訳でもなし、もうこの男で良いか、って半ば投げやりの気持ちで求婚を受けたんだ。

 まあ今になって思えば、あの時の決断は間違ってなかったね。モーゼスは求婚の仕方は恐ろしく下手くそだったけれど、一人の人間としてちゃんと見れば中々に良い男だったからね」

「じゃあお母さんは、お父さんと結婚したことを後悔してない?」

「ああ、今は心の底から満足してるよ」

「お父さんも?」

「勿論だ」


 二人のその答えにアンナは何だか嬉しくなった。アンナは常連客達から話を聞いて以降ずっと、父は本当は母を愛していないのではないかと不安に思っていた。マーサがアンナに日々辛く当たるのも、もしかしたらそれが関係しているのではないかとも思っていた。けれど、それは完全にアンナの思い込みだった。モーゼスとマーサは、ちゃんと夫婦としてお互いを愛し合っている。そしてアンナも弟のリュカも、二人がちゃんと愛を育んだ末に生まれてきたのだ。それを知ることが出来て、アンナは心の底から安堵した。


「ねえ、お父さん、お母さん」


 アンナの呼びかけに、モーゼスとマーサは揃って視線を向けてくる。


「私、頑張るね。不器用で、怖がりで、失敗ばかりの私だけど、ちゃんとお父さんとお母さんの自慢の娘になれるように、これからもっと頑張るね」


 アンナのその言葉に、モーゼスは感極まったように涙ぐみ、いつも顰め面ばかりのマーサも今ばかりは口元を緩めた。


「おい聞いたかマーサ。アンナがこんな立派なことを言えるようになるなんて。これもあれか。創世神様のご加護の賜物というやつか」

「バカ言ってんじゃないよ。私達の知らないうちに、この子もちゃんと成長してるんだよ。まあでもあれだね。アンナがここまで無事に育ってくれたのは、創世神様が見守ってくれたお陰っていうのは確かにその通りだ。明日の礼拝で、ちゃんとそのお礼は伝えないとね」


 アンナも母の言葉に頷く。今自分達が平穏な日々を過ごせているのは、この世界を創った創世神様の存在があってこそだ。それは、この国で生きる人々であれば誰もが知っている当たり前の常識である。


 アンナ達三人は、互いの顔を見合わせながら、幸せに満ちたささやかな笑みを交わした。



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