第2節 過去と未来と魔女の国(1)
一週間後の休息日。ミリーシャは森に入る道すがら、工房に籠って作業を行うマルクへ弁当を届けに行った。
休息日のマルクは基本、修理やら何やらで他所の家に出向いていることが多く、修理先の家か、もしくは一度自宅に戻ってから昼食を摂るため、弁当を届ける必要がない。だが今日は出向きの用事が一件もなかったためか、マルクは平日と変わらず朝から工房に籠って鍛治作業に没頭していた。マルクへ弁当を届けるのは基本的にミリーシャの役目だが、休息日にそれをするのは中々に珍しいことであった。
ミリーシャはイザベルが作ったマルクとデレク用の弁当と、ミリーシャ自身が作った自分とミラティエナ用の弁当二つを左右それぞれに持ってマルクの工房を訪れた。ミリーシャはいつものようにぶっきらぼうなマルクと軽い調子のデレクの声に迎えられる。いつもであれば三十分ほど滞在していくのだが、魔法の授業がある今日は時間が惜しい。ミリーシャは二人と二言三言だけ言葉を交わしてすぐに工房を後にした。
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ミリーシャが工房を去った後、マルクとデレクはイザベルの弁当を食べながら世間話に花を咲かせていた。
「ミリーシャちゃん。今日も森に行くって言ってましたね」
「そうだな。アイツは探検だとか何だとか、とにかく外で体を動かすことが好きだからな」
「それにしても、女の子であの歳になってあそこまで活発なのは珍しいですよね。普通だったら花嫁修行だとか、同年代の男の子にはしたなく思われたくないとかでどんどん大人しくなっていっちゃうのに」
「良いことじゃねえか。周り気にして縮こまってるよりは、好きなことを好きなようにやってる方がよっぽど健全だ」
「そこ普通の父親だったら、もっと女らしくしろとか慎ましくしてろとか文句言うところだと思うんですけど。そう言わない辺り、さすがは親方って感じですよね」
「お前、俺のことバカにしてんのか?」
「違います、褒めてるんですよ。親方の娘になれて、ミリーシャちゃんはきっと幸せだろうなあと、そう思っただけです」
「ふん、なら最初からそう言えってんだ。前から何度も言ってるが、お前は物の言い方にもっと気を遣え。だからその歳になって恋人の一人も出来ないんだ」
「いや、俺に恋人がいないのは単純に一人前になるまで所帯は持たないって決めてるからであって、別にモテないからじゃないですからね? それに言葉遣い云々で口下手な親方にとやかく言われるのは心外ですよ?」
「ふん、どうだかな」
それを区切りに工房内には暫しの沈黙が訪れ、そしてデレクがまた思いついたように話を振った。
「そういえばずっと疑問に思ってるんですけど。ミリーシャちゃん、ここ最近休息日は必ずと言って良いほど森に入ってますよね。あの子、本当に森を探検するためだけに行ってるんですかね?」
そんなデレクの発言に、マルクは少しだけ声の調子を落とした。
「……何が言いたい?」
「だって体を動かすのが好きっていったって、さすがに頻度が多過ぎませんか? 何か別の目的があって森に入ってるんじゃないかって、俺には思えてならないんですけど」
「その目的ってのは何だ?」
「そうですね、例えば…………、逢い引きとか?」
デレクがその言葉を口にした瞬間、工房内にガシャンという音が響いた。どうやらマルクが手に持っていたコップを落として割ってしまったらしい。マルクの足元にはコップの破片と水の跡が盛大に散っていた。
そしてマルクはおもむろに立ち上がると、ズンズンとデレクの方に無言で近づいていく。マルクの表情は一切変わらず、真一文字を結んでいる。だが今の彼が心の底から怒っていることを、付き合いの長いデレクは明敏に感じ取った。
「待って下さい親方。ちゃんと話を最後まで聞いて下さい。だって今日だっておかしいって思いませんでしたか? ミリーシャちゃんが持ってたもう一個の籠。あれ絶対ミリーシャちゃんお手製の弁当ですよ?」
「……それがどうした?」
「多分ですけど、ミリーシャちゃんはこのあと気になる男の子と森の中で待ち合わせて、そのまま一緒に弁当を食べて仲睦まじく午後のひと時を過ごすつもりなんじゃないかと、そう俺は思ったんですけど」
「そんなことは有り得ん。だが仮にそうだとして、相手は誰だ?」
「これも俺の勝手な予想ですけど、村長のところのラウルくんじゃないですかね? だって親方も見てれば分かるでしょ? 彼、完全にミリーシャちゃんにホの字じゃないですか?」
デレクのその発言でマルクの歩みはようやく止まり、そしてどこか安堵するように息を吐いた。
「それこそ絶対に有り得ん。ミリーシャがアイツに懸想をする筈がない」
マルクは妙に確信めいた様子でそんなことを言う。デレクはどこか釈然としないものを感じ、眉を顰めながら言葉を返した。
「そんなの分からないじゃないですか。ミリーシャちゃんとラウルくんって何だかんだ言って関わる機会が多いですし。互いにいがみ合う中でも絆が生まれて、その結果自然と深い仲に……、なんてこともあると思いますよ。ほら、喧嘩するほど仲が良い、なんて言葉が存在するくらいですから」
「仮にそうだとしても、俺はあんな糞餓鬼に大事な娘をやるつもりはない。たとえ利き腕を差し出すと言われてもな」
利き腕を差し出す、というのは命よりも大事な覚悟を見せる時に用いる、職人特有の言い回しである。つまりマルクは、たとえ命を差し出されてもミリーシャとの結婚は認めないという、ラウル少年への絶対的な拒絶を示していた。
デレクも鍛治師の端くれであるため、マルクが言わんとしていることは理解出来た。それ故に、ラウルに対する同情心が芽生える。
「それだとさすがにラウルくんが可哀想過ぎませんか? 娘が男に取られる気持ちは分からなくもないですけど、もう少し寛容な心を持った方が良いと思いますよ」
だがデレクのその発言はマルクの逆鱗に触れたらしい。マルクは敵意の籠った目でデレクを睨み付ける。そこには単純な攻撃性だけでなく、大切な家族を傷付けられたかの如き憎悪が宿っていた。
「……デレク、お前は、人の娘を一度でも悪魔呼ばわりした人間にミリーシャを嫁がせろと言うつもりか。他でもないお前が、それを言うのか?」
その声音には僅かばかりの悲しみが乗せられていた。そこでようやく、デレクは自分が取り返しのつかない失言をしてしまったことに気付いた。愚かにもデレクは、ラウルがミリーシャに対して行った所業を完全に失念していたのである。
マルクが怒るのも当然だ。もし仮にミリーシャがラウルのような人間と結婚してしまったら最後、彼女がこの先どれだけの不幸に直面することになるか。デレク以上にその事実を理解している人間はいないというのに。それなのにデレクはあまつさえ、それを後押しするような無責任な発言をしてしまった。
デレクは心の中で己の不甲斐なさを恥じる。そしてその気持ちが外にまで滲み出てしまったせいだろう。彼の顔は自然と後悔の念で歪んだ。
「そうでした。確かに彼はそういう人間でしたね。親方の言う通りです。俺が考えなしでした。申し訳ございません、親方」
己の罪を恥じるように悲壮感を漂わせて頭を下げるデレクに、マルクはいつも通りのぶっきらぼうな口調で応えた。
「もういい、頭を上げろ、デレク。それよりさっさと飯を食っちまえ。今日中に終わらせる作業がまだたくさん残ってんだ。グズグズしてる時間はねえぞ」
マルクとて裏切られた心地だっただろうし、怒りも未だ収まりきってはいないだろう。だがマルクは普段と変わらぬ態度を繕い、先のデレクの失態を水に流そうとしてくれている。
そんな彼の心遣いに、デレクはただ一言を返すので精一杯だった。
「……はい、すみません、親方」




