第9話 反乱の序章
幕府の内部対立が徐々にその姿を現し始める。
頼朝の強力な支配体制に嫌気が差し、一部の家臣達が不満を募らせ始めていた。その不満は次第に頼朝と香織を巻き込み、事態を深刻化させていく。
鎌倉の風は冷たく、冬の訪れを感じさせる。空には重い雲が垂れ込め、時折吹きつける風が庭の木々を揺らしていた。
その庭で、香織は一心に剣術の稽古に励んでいた。彼女の剣筋は鋭く、汗が額を流れ落ちる。その瞬間、静寂を破るように、一人の家臣が駆け込んできた。
「御館殿、緊急の報告がございます」
香織は稽古を中断し、家臣の方に向き直った。そのただならぬ雰囲気に、近くに居た景時がすぐに駆けつけてくる。香織は家臣に話を促すと、彼は息を整えながら報告を始めた。
「反乱者達が、北側の屋敷に集結しているとのことです」
「なにぃ?」
香織が握る木刀に力が込められる。景時も同様に怒りの表情を浮かべていた。
「香織殿、彼らを一網打尽にするためには、大部隊を出して反乱者達を制圧することが最善かと考えます」
景時の提案に、香織は数秒思案を巡らせた。そして、ある案を思いつき、景時にそれを伝える。
「景時、その案を元にしよう。しかし、大部隊を出すのではなく、最低限の者達のみで事を済ませ、周囲にも悟られないようにする。制圧部隊を先に潜入させ、内部から反乱者達を討つのだ。屋敷の周囲は死角になる箇所には部隊は置かず、敵から目視可能な箇所にだけ兵を配せよ。これで反乱者達は包囲されていると思い込み、内部の制圧部隊の攻撃に対応できなくなる」
景時は香織の奇策に驚きながらも、その妙案に感服した。
「では、すぐに幕府の精鋭を──」
「いや、奇襲は我が家臣達のみで行う。これにより、我が家臣達が武功を示すことができると思わぬか?」
その言葉を聞いた景時は、一ノ瀬に仕える者はなんて幸せ者なんだという感想を抱き、自分もまたこんな立派な方に仕えることが出来る幸せを噛み締めた。
◇
夜の帳が降りる中、香織の命令を受けた家臣達は静かに屋敷の周囲を取り囲んだ。目視できる場所にだけ兵を配し、死角はあえて避けることで少人数でも屋敷を取り囲んでいるように見せかけている。
その間に、香織の家臣達で構成された制圧部隊が屋敷内に潜入を果たそうと試みていた。彼らは音を立てぬように忍び足で屋敷の入り口に近づき、周囲の様子を確認した後、香織に目配せして頷き合う。
「今だ、音を上げよ」
香織が景時にそう指示すると、屋敷の周囲に配された兵が、わざと音を立てるように、刀を鞘から抜き放ち一斉に刀を構えた。それは外から音を立て反乱者達の気を外に向けさせる事が目的だった。
案の定、反乱者達はその音に反応して、屋敷の中から外の様子を確認しに出てきた。
「何だ!?外で何が起こっているんだ?」
「まさか周囲を取り囲まれたか!」
彼らの意識は完全に外に向けられ、逃げ道を絶たれたと勘違いする。
外からの襲撃に備えるため反撃の準備を始めたその時、制圧部隊が首謀格の人物達が居る部屋へと突入した。襖が刀で斬り破られ、反乱者達は突然の襲撃に驚きながらも刀を構えて応戦しようとする。
「我らは武神将軍一ノ瀬香織の直属の配下である!この身に背く者は許さぬ!」
その言葉に反乱者達は一瞬取り乱し、驚愕の表情を浮かべた。
「一ノ瀬香織だと!?」
その瞬間、討伐部隊の隊長がその言葉を発した男に向かって、刀を振り下ろした。
「お前達のような反乱者が、我らの主君の名を呼び捨てにするなど、言語道断!」
その一太刀で反乱者の首は飛び、鮮血が吹き出す。他の反乱者達は恐怖に慄き、その場に立ちすくんだ。
「降伏しろ!これ以上無駄な抵抗をすれば、命はないと思え!」
その言葉を聞いた反乱者達は戦意を喪失し、その場に崩れ落ちた。制圧部隊の冷静な判断と迅速な行動により、屋敷内の制圧は一瞬のうちに完了した。
一方、屋敷の外では、香織が武神将軍の姿で待機していた。反乱者達が屋敷から引き出されると、香織は彼らの前で仁王立ちで立ち塞がる。
「我は武神将軍一ノ瀬香織。この姿、その目に焼き付けよ」
武神と言うにはあまりに悍ましい形相で、香織は反乱者達を睨みつけた。まるで悪鬼のようなその迫力に、反乱者達は恐れおののき身動きが取れなくなってしまう。
香織は腰に携えた大太刀を引き抜き、そして一閃した。目にも留まらぬ早業で、首謀の首筋ギリギリのところで刃が止められる。
「汝らの反乱計画は失敗に終わった。頼朝様の命を狙うなど、愚かなことだ。これ以上の無駄な血を流させないためにも、潔く降伏するがよい。さもなくば、この武神が貴様を直々に地獄へ送ってやる」
その姿は、重厚な大鎧と恐ろしい形相の隈取により、凄まじい威厳と威圧感を醸し出していた。彼女の姿を見た反乱者達は、皆その場にひれ伏す。
家臣達が反乱者達を拘束し、次々と連行していく。
香織はその光景をみながら、景時に向かって呟いた。
「皆に褒美を取らせよ。突入した者達は特に厚くするのだ。我らを支えた使用人達への褒美も忘れるでないぞ」
「はっ、承知しました」
景時は恭しく頭を下げる。
香織達が食い止めた反乱は未然に防いだだけでは無く、それ以上の効果をもたらした。最低限の人数で制圧したことにより周囲への被害を最小限に留め、結果的に隠密行動で反乱を収めることができたため、反乱計画自体が外部へ漏れる事は無かった。
その戦果はすぐに頼朝の耳に届き、彼の信頼をさらに深めることとなった。
香織の活躍により、鎌倉幕府は一時の安寧を取り戻した。しかし、彼女は内心、次なる試練が迫っていることを感じ取っていた。
◇
頼朝の信任を一層深めた香織。しかし、鎌倉幕府内の暗雲は依然として晴れないままであった。派閥間の緊張は高まり、陰謀の気配が漂う中、香織の心も落ち着かない日々が続いていた。
そんな中、香織は頼朝から密かに呼び出しを受けた。大鎧に隈取を施して現れた香織の姿を見た頼朝は、満足げに微笑んだ。他の者達はその恐ろしい形相に戦くが、頼朝はまるで見慣れたかのように平然としていた。その頼朝の態度に、香織はさすがと感服した。
「武神を宿したようであるな。それでこそ一ノ瀬である」
「はっ、我に最早敵なし。この姿を見た敵は小便を漏らし、この手でその首を落とされることでしょう」
頼朝は満足そうに頷き、家臣達を部屋から退出させた。そして、二人きりになると頼朝は低い声で話し始めた。
「一ノ瀬、そなたに重大な話がある。ここにいるのは私とお前だけだ。他言は無用だ」
香織はその緊張感に、心の中で気を引き締めた。そして頼朝の言葉を待った。
「我に対する緻密な暗殺計画があると報告が入った。具体的な日時は、次の巻狩りの際だ」
その言葉を聞いた瞬間、香織の表情が一変した。血管が浮き上がり、隈取が生きているかのように動く。まさに鬼の形相となり、その凄まじい姿に頼朝も畏怖を感じ取った。
「頼朝様、許しがたき裏切り者どもは、必ずやこの手で討ち取ります」
頼朝は一瞬の間を置いて頷いた。
「よい、一ノ瀬。表向きは武神将軍として巻狩りに参加せよ。ただし、その実は暗殺計画を阻止することが真の任務だ。敵は誰であろうと容赦するな。全てを抑え込むのだ」
香織は深く頭を下げ、その命令を受けた。
「承知いたしました、頼朝様。この身にかけて必ずや暗殺計画を阻止し、敵を討ち果たします。」
頼朝の信頼を背に、香織は再び立ち上がった。鎌倉幕府の内部対立を乗り越えるため、彼女の戦いが再び始まろうとしていた。