第5話 大鎧を纏いし総大将
数日後、ついに出陣の日が訪れた。
香織は身を清め、初めて着る豪華で色彩豊かな鎧直垂に袖を通す。この直垂は、頼朝の命により特別に仕立てられたものであり、大鎧と共に香織へ贈られた。生地には緻密な模様が施され、彼から授かった一ノ瀬家の紋と、彼が好む笹竜胆の図案が巧妙に織り込まれている。
その豪華な直垂を身に纏った香織の姿は、鮮やかな色彩が目を引き、普段よりも威厳と美しさを放ち、見る者を圧倒するものだった。
「香織殿、まことに凛々しく、勇ましき武士のごとく堂々とした佇まいでございます」
「ありがとうございます。自分が源氏の武士であることを改めて実感します」
香織はその華麗な鎧直垂に身を包むことで、さらに責任感と使命感を感じた。そして、景時の用意した腰掛けに腰を下ろし、静かに心を落ち着ける。
「総大将殿、足袋を履かせていただいてもよろしいでしょうか?」
景時が初めて“総大将”と呼んだその瞬間、香織の胸に一瞬の緊張が走った。彼の言葉の重みを感じ、香織は自分がこの戦いの指揮を執る立場であることを再認識する。
そして、深呼吸をして心を落ち着ると、彼女は静かに答えた。
「はい。お願いします」
景時は丁寧に足袋を香織の足に履かせながら、何やら言いにくそうな表情を浮かべて続けた。その姿には、それまでの雰囲気を壊すのが申し訳ないという思いが見て取れた。
「それと……頼朝様から伝言がございます。家臣や身分の低い者への接し方、特に言葉遣いを改めるように、とのことです」
「うっ……」
香織は痛いところを突かれたと感じ、思わず言葉を詰まらせた。この時代の礼儀や言葉遣いには疎く、これまでも何度か注意を受けたことがあったからだ。確かに少しフレンドリー過ぎていたかな、と香織は反省していた。
「えっと……これからは、もっと威厳を持って接するように、心がける。その……足袋を……履かせよ」
そのぎこちなさに景時は苦笑しながらも、仕える当主から命令されたことに喜びを感じ、頭を深く下げた。
「ありがとうございます、総大将殿。これからもこの身が尽きるまで精一杯お支えいたします」
「こちらこ……うむ。期待しておるぞ景時。お前は我にとって、なくてはならない存在だということを、決して忘れるな」
顔を赤くして香織はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「はっ、勿体なきお言葉」
「そ、そうか……うむ、皆の元に行くぞ」
香織は、景時を従えて家臣達の待つ屋敷の庭へと足を進める。
◇
庭に着いた香織は、すでに鎧を身に纏い準備を終えた家臣達に囲まれながら、顔をひきつらせていた。目の前には頼朝から下賜された大鎧が、その圧倒的な存在感と共に鎮座している。その鎧はまさに豪華絢爛、飾金具には惜しげも無く金が使われており、その輝きは見る者を圧倒した。
しかし、香織が顔を引きつらせている理由はそれではない。初めて着ることになる大鎧の複雑な構造に、彼女は完全に困惑していたのだ。絶対に一人で着ることなどできないと悟り、景時に鎧と自分の体を目配せで必死に訴え、助け船を求める。
「はぁ……」
景時は香織の意を汲み、周りには聞こえないようため息をつくと、彼女の脇へ進み出て家臣たちに向き直った。
「頼朝様より賜った鎧を、我らの手で総大将殿に着付けようではないか!」
その声に他の家臣たちは頷き、香織の周りに集まり始める。
香織は恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、彼らの手を借りることにした。
「総大将殿、準備を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「お願いします……いや、始めよ」
香織は頼朝から家臣への接し方を注意されていたことを思い出し、少し戸惑いながらも答えた。
家臣の一人が、香織の足元に膝をつき、鮮やかな柄の入った足袋の上に貫と呼ばれる毛靴を履かせる。そして、硬質な脛当てが足首から膝までをしっかりと包み込み、腕には籠手が取り付けられた。
「これ、結構重い……」
「はい、御館様。足元を守るためには、この重みが必要でございます」
別の家臣が香織の後ろに回り、腰や腹部に体を包むようにして、次々と鎧を取り付けていく。肩に伸し掛るその重みに、香織は改めて大鎧が着用者への防御を意識して作られたものだと実感した。
「動きに気になる箇所はございますでしょうか」
肩から腕を防護する大袖と呼ばれる大きな防具を取り付けている家臣が、慎重に紐を結ぶ位置を調整しながら香織に尋ねた。
香織は両手両足を動かしその感触を確かめる。単純にその重みを感じるが、それは動きを制限するものではなく、むしろしっかりと体を守ってくれそうな安心感を与えてくれた。
「うむ。問題ない」
香織が満足げな表情を浮かべると、家臣たちは安堵の表情を浮かべ頭を深く下げた。
喉輪が香織の首に装着され、最後に兜が慎重に頭に装着されると、香織はその身に立派な大鎧を纏い終えた。
「これにて鎧の装着は完了でございます」
「ありが……ご苦労であった」
香織は慣れない鎧の重さに一瞬よろけたが、しっかりと姿勢を整え、ゆっくりと立ち上がった。鎧がガチャガチャと音を立て、その重みと存在感が全身に伝わってくる。
「ご立派にございます、総大将殿」
景時が深々と頭を下げた。
香織は軽く頷き、胸を張る。その姿はまるで教科書に載っているかのような、大鎧に身を包んだ鎧武者の風格を漂わせていた。金色の兜は光を受けて神々しく輝き、香織の幼さを覆い隠して威厳と凛々しさを引き立てている。
彼女が現代から持ち込んだ剣道防具を彷彿とさせる黒を基調とした鎧は、胴には源氏の紋と一ノ瀬家の家紋が誇らしげに浮かび上がっていた。金装が施された部分が太陽の光を反射し、戦場での彼女の存在感を一層際立たせるに違いない。
「其方達が、総大将である我に頼朝様より授かった鎧を着付けたことを誇りに思え。この鎧を纏うことで、我が身はお前達の信頼によって守られたも同義。我はもはや無敵だ。共に戦うお前達を信じ、共に歩むことを誓う。お前達の忠誠心に、心から感謝する」
その言葉を聞いた家臣の一人が感極まって涙を流す。香織はその家臣の肩に手を置き、凜々しい表情で彼を見つめた。
「この戦いは我々全員の戦いだ。其方達の誇りと名誉を背負い、必ずや勝利を収める。そして、我らの名を歴史に刻む。そのために、我を信じ、共に戦ってくれ」
家臣たちは一斉に膝をつき、総大将に忠誠を尽くすことを誓う。皆の肩が震えているのを見て、香織は彼らの忠誠を確かに感じ取ることができた。
「総大将殿……あなたこそ我らが誇りでございます」
景時が言葉を詰まらせながらも、心からの敬意を表した。
香織はその言葉に深く感謝し、静かに頷く。そして、自らの使命と責任を再確認し、その場に立つ自分の姿が未来を切り開く象徴であることを強く感じていた。
「出陣じゃ!」
「「おおーっ!」」
その号令に、家臣たちは奮い立ち、一斉に声を上げた。彼らの目には新たな決意と覚悟が宿り、香織と共に戦いに挑む意志がみなぎっていた。