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第4話 家人の忠誠

 屋敷での生活は、香織の想像以上に多忙を極めていた。そのほとんどは剣術稽古に明け暮れた事による、ある意味自業自得とも言え、それは彼女自身も理解していた。

 そんな香織を影ながら支えたのは、家臣の筆頭である梶原(かじわら)景時(かげとき)という人物であった。景時は頼朝の信任厚い側近でもあり、自ら志願してその任を承った人物だ。彼は香織の剣術の腕前や、その心構えに感銘を受け、彼女のことを常に気にかけてくれていた。


「今日は苦手な書の勉強か……はぁ……」


 香織は溜息をついた。それも景時の指示だった。彼は武術だけでなく、教養も重要だと説き、香織にさまざまな知識を身につけさせようとしていたのだ。

 憂鬱な気分で文机に置かれた筆を執る香織だったが、部屋の入り口から声がかかる。


「御館様、今日の稽古をお願いできますでしょうか」


 振り返ると、若い家臣の一人が頭を下げ床に両手をついていた。彼は香織よりも歳下くらいの若者で、剣術の腕をめきめきと上達させている期待の見習い武士だった。そんな彼の姿勢に、香織には断るという選択肢はなかった。


「もちろん! 他に鍛錬を望む者も、遠慮なく私の元へ来るように伝えて下さい。時間が許す限り、いくらでも相手します!」


 香織は身支度を整え、木刀を手に取り部屋を出る。屋敷の庭で家臣たちと真剣に稽古に励み、汗を流す。そして、その日も陽が落ちる直前まで鍛錬に明け暮れてしまった……



 夕刻、香織は屋敷の前に立ち、疲れを感じながらも充実した一日の満足感に包まれていた。屋敷の中では使用人たちが夕餉前で忙しく動き回っている。

 香織は玄関で女房に草履を脱がせてもらいながら、一日の終わりを迎えていた。その時、背後から静かに近づいてきた梶原景時の声が聞こえた。


「香織殿、お疲れ様です」


 突然の声に香織はびくっと身体を震わせたが、すぐに振り返って景時の姿を確認した。彼は静かな笑みを浮かべていた。


「この三日間は剣の稽古は早朝のみといたします。その他の時間は、書や学問に励んでいただきますよう」

「わかりました……ごめんなさい」


 香織は景時の言葉の真意をすぐに理解し、深くうなずいた。そして、苦笑いを浮かべるその目に、奥の部屋で掃除をする女房の姿が目に留まる。

 彼女は丁寧に床を拭きながら、部屋の正面、床の間に飾られた香織の防具の周りを注意深く掃除していた。だが、次の瞬間、女房が何かに足を引っかけたのか、バランスを崩し、防具にぶつかってしまう光景が目に映った。面や胴がバランスを崩し、今にも彼女に倒れかかろうと……。


「危ない!」


 香織は思わず駆け出し、その女房を庇うように防具と彼女の間に割って入った。ガシャン! 大きな音が部屋に響き渡る。


「香織殿!」


 景時が驚いた表情でその場に駆け寄った。香織は、女房を庇った際に崩れ落ちた面の直撃を受け、その場に倒れ込んでいた。


「御館様!大丈夫ですか? 御館様っ!」


 女房は顔を青ざめて震えながら、香織を抱き起こす。香織は痛みに顔をしかめつつも、微笑んで彼女に答えた。


「大丈夫、大したことないから」

「香織殿、腕から血が……すぐに手当を」


 景時が手早く布を取り出し、香織の腕に巻きつけて応急処置を施していく

 香織は上体を起こし、女房に心配をかけまいと笑ってみせるが、彼女は口元に手を当て目に涙を浮かべていた。

 大きな音を聞きつけ、屋敷中の家臣や使用人たちが続々と集まってくる。


「私の不注意で御館様に怪我を負わせるなんて、どう償えばいいのか……!」


 女房はその場に泣き崩れ、自分の犯してしまった大罪にうちひしがれていた。

 次の瞬間、彼女は懐から短刀を取り出し、その切っ先を自分の喉元に突き刺そうと……。


「何をして!?」


 香織は自害しようとする彼女の手を掴んで止めた。女房は泣きながらも、香織の制止を振り切り短刀を持つ手に力を込める。しかし、香織はそれを許さない。


「御館様に怪我をさせた罪は重く、それに値する罰を受けなければなりません!」

「こんな事で命を捨てるような事をしないで!」


 香織は短刀をもぎ取り、深く息をつくと彼女の手をしっかりと握った。その温もりに、女房はようやく落ち着きを取り戻す。香織は彼女の目を見つめ、優しく語りかけた。


「自害するだけの覚悟があるなら、代わりに私のことを支え見守って下さい。私は、貴女が命を投げ出さなくて本当によかったと思っています」

「御館様……こんな私のような者にも、お優しい言葉をかけてくださるなんて……ありがとうございます。命を救ってくださった恩、決して忘れません。一生をかけてお仕えいたします」


 女房は香織の言葉に嗚咽を漏らしながら何度も頷いた。その光景は、廊下から成り行きを見守る家臣や使用人たちの心にも深く刻まれた。

 景時は、香織の言動が周囲に与える影響力を確信し、士気が高まることを感じ取った。そして、今まで以上に彼女を陰から支える決意を新たにした。



 香織は家臣や使用人たちと共に新しい生活を着々と築き上げていった。現代の便利さとは程遠い環境だが、彼女は前向きにその生活に適応しようと奮闘した。その過程で、多くの人々との交流を通じて自らの成長を実感していた。

 しかし、ここは鎌倉時代。戦と陰謀が渦巻く世界で、御家人となった香織が平穏に過ごせるはずもなく、彼女は新たな試練に立ち向かうことになる。城への召集命令が下った香織に、頼朝から直々にその使命を伝えられた。


「一ノ瀬、汝の剣技と忠誠心を見込んで、今回の戦の指揮をお前に任せる。覚悟を持って挑むがよい」


 頼朝は香織に向かってその役目を告げた。その力強い眼差しには、期待と信頼が込められていることを彼女は感じ取る。

 その期待に答えるべく、香織は両手を畳に付け深々と頭を下げた。


「承知いたしました。この一ノ瀬香織、必ずや勝利をおさめてみせます!」


 香織は自信に満ちた声で答えた。その姿勢には一切の迷いはなく、彼女の決意が表れていた。

 頼朝は頷き、右手を肘掛に乗せて体を前に傾けると、さらに言葉を続ける。


「一ノ瀬、汝を総大将として任ずる。戦の終結まで、お前は源家の兵を束ねる将となる。その責任の重さをしかと理解せよ」


 その言葉に、周囲の空気が一気に張りつめたものとなる。香織は驚きのあまり頭を上げ、頼朝の顔を見つめてしまった。どこの馬の骨とも分からない者が、いきなり源頼朝の率いる武士たちの総大将を任された。それは異例中の異例どころか、あり得ない人事であり、あまりにも大胆すぎるものだった。

 頼朝の目が家臣達を見渡し、最後に香織と、その後ろでひれ伏す景時へと向けられる。


「面を上げよ」


頼朝の言葉に、周囲の家臣達が一斉にその顔を上げる。頼朝はその光景を見た後、自分の後ろに控える家臣へ視線を向けて言った。


時政(ときまさ)、一ノ瀬に総大将として恥じぬ大鎧を用意せよ」

「はっ。香織殿にふさわしい大鎧を直ちに準備いたします」


 頼朝の命に、時政と呼ばれた家臣は頭を垂れて答えた。彼の名は、北条(ほうじょう)時政。幕府の執権(しっけん)として頼朝の右腕とも言える存在であり、政務と軍務の双方で幕府を支えてきた。その威厳と貫禄は、ただの家臣とは一線を画している。

 時政は香織に対して一定の懐疑を抱きつつも、頼朝の判断と梶原景時の影響力を尊重し、彼女の実力を評価していた。


「一ノ瀬、お前の働きには大いに期待している。総大将としての覚悟と実力を見せてみよ。そして、源氏の総大将として授ける唯一無二の鎧を、その身に纏うに足りる存在であることを証明せよ。」


 頼朝の言葉に、香織は再び深く頭を下げた。その瞬間、彼女は己の使命の重さを改めて感じ取り、強い決意を胸に抱いた。


「承知しました。源氏の総大将として、その名に恥じぬ働きをいたします。必ずや敵将の首……いえ、側近の首もまとめて討ち取ってみせます!」


 香織の決意と自信が込められた言葉に、時政は香織の覚悟と実力を感じ取った。彼の口元にはわずかな微笑が浮かび、心の中で静かに唸る。

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