第1話 時を超えた女子高生剣士
高校生の一ノ瀬香織は、放課後の剣道部の練習に熱心に取り組んでいた。自宅は剣術道場で、幼少期から防具を付けて竹刀を振っていたため、剣道は彼女の生活の一部だった。
剣道漬けの日々を送る香織の腕前は、同年代の中では群を抜き、その名は表彰の常連として知られるほど。
今日も高校の剣道場で汗を流しながら、その身に剣道の精神と技術を体に染み込ませるため、一心不乱に稽古に打ち込んでいた。
「メーン!」
香織の鋭い掛け声と共に竹刀が振り下ろされる。全身を防具で包んだ凛とした佇まい、そして面の奥から覗く鋭い眼差し。その姿は、剣の道を極めんとする剣士の風格を漂わせている。
「よし、今日はこれくらいにして家に帰ろうかな」
香織は呟きながら面を取り外し、練習を切り上げようとした。その時、床に何かが落ちているのが目に入る。彼女は屈んで手を伸ばし、それを拾い上げた。
「何だろう……」
小指の先ほどの小さな勾玉が、淡い光を放ちながら神秘的な雰囲気を漂わせている。
その瞬間、不思議な感覚が香織を包み込む。視界がぐるりと回転し、周囲の風景が歪んで見えた。
「な、なにこれ!?」
急激なめまいに襲われ、視界が真っ白になる。
気がつくと、香織は見知らぬ場所に立っていた。広大な草原が広がり、その上を爽やかな風が吹き抜ける。目をこらすと、そのはるか先には城のような建物がそびえ立っている。心臓が早鐘のように打ち鳴り、状況を理解するのに数秒かかった。
「ここは……どこ?」
防具を身に纏ったままの香織は、困惑した表情で周囲を見回す。その時、背後から馬の蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。振り返ると、数名の武士のような格好をした人たちが、彼女に向かって駆け寄ってくる姿が目に入る。
「そこの者、待て!」
「え?」
状況が飲み込めず、香織は呆然と立ち尽くしていた。すると先頭を走ってきた武士の一人が馬から降り、腰に下がる刀に手を伸ばす。彼は防具姿の異様な香織の姿に一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに警戒心を露わにした。
「汝、何者ぞ! その奇妙な鎧は何だ? どこから来た? 怪しき者め、答えよ!」
「え、あ、あの……」
香織は恐怖で足がすくみ、しどろもどろになった。武士は腰から刀を引き抜き、両手持ちで構える。その構えを見た香織は、彼がかなりの腕前であることに気づいた。しかも、本気で命を奪おうとしている。
「答えられぬとあれば、斬る!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私は……私は一ノ瀬香織。たぶん別の場所から飛ばされてきたんです!」
武士たちは互いに顔を見合わせた。その中の一人が興味を示し、まだ馬上にいる位の高そうな男に声をかけた。
「棟梁様にお伝えすべきかと」
「うむ、そうだな。一ノ瀬香織とやら、ついて参れ。我らの主、頼朝様に謁見してもらおう」
頼朝という名前を聞き、香織は困惑した。周りの風景、武士の格好をした人たち、そして、彼らの話す言葉使い……。
香織は数人の武士に両腕を掴まれ引きずられながら、自分が“鎌倉時代”と呼ばれる世界に飛ばされたことを悟った──
◇
城内に案内された香織は、豪華な大広間へと通された。そこには何人もの武士が控えており、その中央には威厳に満ちた人物が座している。彼が頼朝なのだろうと、香織は直感した。
「一ノ瀬と申すのは、そちか?」
「は、はい」
頼朝は香織の姿を上から下まで舐め回すように見つめた。彼の鋭い眼光に香織はたじろぐ。
(この人が……源頼朝……?)
その名を聞いたことがある歴史の授業が頭をよぎるが、実際に目の前にする威圧感は想像を超えていた。香織の全身から汗が吹き出し、冷たい緊張が走る。
「そなたの鎧は見たことがない。それは何だ?」
「これは、その……剣道と呼ばれる剣術の防具です。この姿で竹刀で打ち合い、技と心を鍛えるんです」
頼朝の問いに、香織は震えながらも説明した。その説明を聞いた頼朝は、ますます興味を持ったように香織の防具を見つめる。
「剣道……剣の道か。面白い、その剣技を我に見せてみよ」
「え? は、はい」
香織はその場に立ち上がり、深く息を吸い呼吸を整えると竹刀を構えた。頼朝の冷たい視線を感じながら、全身が緊張で硬直するのを必死に抑え、動き始めた。
「メーン! ドーウッ!」
威勢のいいかけ声と共に、香織は次々と剣道の形を披露し始めた。形が決まる度に竹刀が寸止めされ、まるでそこに誰かが存在しているかのようにさえ見える。
香織の美しくも凛とした流れるような動きと、勇ましいかけ声に、その場の誰もが感心する。彼女の動きはまるで舞を踊るかのように滑らかで、同時に鋭さを持っていた。
頼朝はその技術に目を見張り、感嘆の声を上げる。
「見事だ! これほど美しき剣技を見たことがない。褒めてつかわす」
「あ、ありがとうございます!」
香織はほっと胸をなで下ろし、頭を下げた。
頼朝は顎に手を当て、しばらく考え込んだ後、何かを思いついたように手を叩き、その体を香織の方へ乗り出した。
「一ノ瀬香織、その技と精神をもって、そなたを源氏の武士として任ずる。我が軍に仕えよ」
「えっ? ちょ、ちょっと待ってください! 私は……」
香織は頼朝の突然の申し出に慌てふためいた。いくら美しく舞を踊るように剣技を扱えても、彼女は剣道一筋で生きてきたのだ。誰かに仕えたいなどと考えたこともないし、ましてや武士になるだなんて……。
「私、女なんで──」
頼朝の言葉に逆らうような返事をしようとする香織に、周りの家臣達が刀に手を置き片膝を立て、今にも斬りかからんばかりに殺気を放つ。
香織は恐怖で言葉を詰まらせた。頼朝の放つ言葉には抗えないことを理解し、それに反する事は死を意味することを悟った。
「命令である」
頼朝の声は冷たく、絶対的だった。香織は言葉を失い、強制的に従うしかなかった。
「あ、ありがたき幸せ……」
香織は力なくそう答えた。
こうして、現代から鎌倉時代にタイムスリップした香織の新たな生活が始まった。