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第九話 勤めと竜と

「家を失った者たちの仮設住宅……か。なるほどな」

「ひとまずは早急に一定期間の住環境を保障することで、その後の復興もかなり楽になると思うのです。冬の寒さのこともありますし、病気になる者が減ればその分働き手も増えますから」

「必要無くなれば畳んでしまえるのはありがたいな」

「ええ。それで言うと、夏場だけ景色の良い保養地に設置すれば貴族向けの避暑地として売り出せるかもしれません。祭りですとか、催事でも使える可能性がありますね」

「……悪くない。いくつかの問題点を解決出来そうなら許可を出そう」

「はいっ! ありがとうございます! 鰐瓜の携帯食の方も量産体制が整いましたら、騎士団の方にも常備できるように致しますね!」

「ああ──分かった。だが……あまり外の事ばかりにかまけてくれるなよ」


 コーラルの喉がひゅっ、と鳴った。さぁっと血の気が引いていく。

 幼い頃からひたすら勉強漬けで、お前が領主になるのだからと言われてきた。その後は父の代わりに領主の仕事をこなし、外で遊ぶ機会も殆どなかった。唯一の幼馴染達はいつのまにか心を通わせ、想い合っていた。淡い想いをそっと胸に抱いていたコーラルは、ただの邪魔者であり知らず疎まれていた。弟が出来て、コーラルは跡取りとしても不要になった。どこにいても、コーラルは邪魔者だったのだ。

 けれど、今アルベルティに来て。竜騎士として忙しいジェイドの代わりに領主の仕事を請け負い、鰐瓜の料理の開発や、コリーナ村の(カーサ)の商品化事業に携わっている。今まで学んできた事が無駄ではなかったようで楽しかった。騎士や街の人達、村のおじさん達と触れ合って、話をして、コーラルが必要とされているんだと思えた。ここにいて良いんだと思えたのだ。

 でもそれは本来、ジェイドに求められた辺境伯夫人の仕事ではない。ここにきた時に言われたではないか、「()()()()()()()()()()()()()()()が」と。そして「()()()()()()()のが責務だ」とも。

 

(私は──先月のお勤めの日、何をしていた……?)


『今商談が佳境で、ちょっと寝不足なんです』

『あと少しで書類が仕上がるので、先にお休みになって下さい』


 そうか、わかった、と言ったジェイドはあの時どんな顔をしていた?

 冷たい汗が背中を流れ、喉が張りつきそうなほどカラカラなのに、唾を飲み込めない。


「私は──思い上がって、おりました」

「……」


 ジェイドはその翡翠の色の瞳を真っ直ぐこちらに向けている。無機質で、ただただ美しい宝石のように。


「任せるつもりはないと言われていたのに──閣下が放っておいて下さるのを良いことに、勝手をして……少しでも、アルベルティのためになればなどと……思い上がって、おりました」

「……そういうつもりで言った訳ではないが」

「領主夫人として為すべき勤めも放棄して……大変、申し訳ございませんでした。これからは……必ず、()()()()()()()を疎かにしないと──誓います」

「──いや……まぁ、それは。ああ……出来れば。うん──たの、む」


 ジェイドはすっと目を伏せ、なぜか少し悲しそうに見えた。怒鳴られても仕方がないことをしてしまったのに。胸がぎゅうっと痛んだ。



「──なぁ、アゲート。どう言えば良かったんだ? 俺は何か間違えてしまったのか?」

『……きゅう』


 ジェイドは目の前にある苔色の()()にせっせとブラシをかける。いつもより少し力が強いのか、小山がもぞりと動いて不満を示す。現れた濃紺の瞳は新月の夜空の様に静かで優しく穏やかだ。その双眼にじっと見つめられ、はっと力を加減する。


「すまない。どうにも彼女が来てから……俺はおかしいんだ」


 聞いているよ、とでも言うように、優しい夜空の瞳がぱちりと瞬く。ジェイドは優しくブラシをかけながら呟いた。


「彼女は生家で幼い頃から自由もなく仕事を押し付けられていたようだった。だから……ここでは自由にしてくれればいいと思ったんだ。それなのに彼女は……あっという間に俺の見えないところに飛び出して行ってしまった。それも、あの美しい藤紫の瞳をキラキラと輝かせて……暗い目をしてここにきた彼女が、いつの間にかあんなに楽しそうに笑うようになって。金で買われて来ただけの、こんな何もない地の為に……アルベルティの為になれば、なんて。それを俺は──なんでこんなにイライラしてしまうんだろうな? 月に一度の勤めだなど、娼館の女を買うようなことを命じたのは自分だっていうのに。は、笑えるな。彼女が……コーラルが家で大人しく俺を待っていてくれれば、俺は満足なのか? それであの藤紫の美しい瞳の光が、また失われるのだとしても──?」


 アゲートはその苔色の大きな体躯を捩り、首をそっとジェイドに寄せた。その強大な力は一騎当千とも言われ、歴代の契約竜の中でも群を抜いている。

 しかし、他領から見れば恐ろしいその竜も、戦でなければただの可愛い相棒だ。アゲートはジェイドの頬の大きな傷をぺろりと舐める。優しい瞳には、迷子のように眉を下げたジェイドの顔が映っていた。



 コーラルは、利き手をインクで黒く染めながら資料をまとめ直していた。


(やっぱりジェイド様は凄いわ。指摘された点はどれもずっと気がかりだった所だもの。解決方法だってさらっと提案してしまわれるし……それはジェイド様が領主としてこの街を治めて来たからこそよ)


 ポッと出のコーラルとは違う。弱冠24歳で辺境伯の地位を継ぎ、竜騎士として数々の武勇と共に戦で疲弊した街を着実に復旧へと導いている。

 彼に指摘されたことは、尤もな事であった。


「──私は、恩を返したいだけ」


 結婚したから、夫婦になったから愛されるなどとは思っていない。そもそもコーラルは無条件に愛されたことなどないのだから。

 政略結婚の後、子を成してすぐ愛人の元へ去っていった母と。ずっと市井に複数の愛人を囲い、その中のひとりが男児をもうけた途端に家へ招き入れた父。邪魔だとばかりにコーラルを売り払った継母。両親に蔑ろにされているコーラルを、同じように貶めた使用人達。勉強と仕事に励むコーラルを可愛げがないと嗤った幼馴染。


「閣下は私を嗤わなかったわ。邪魔にもしない。役目を与えて下さった」


 だから。だから、優先順位を間違えたのはコーラルのせいだ。もう、間違えない。

 この胸の痛みも、滲んだインクも、拭えば消えるはずなのだ。


「──ご恩を、返すのよ。ただそれだけ」



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