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第七話 実験と料理と

 城に帰ったコーラルはさっそく鰐瓜を取り出すと、小さなナイフで切り分けた。

 バレストラ家では、跡継ぎとして幼い頃から教育を受けていた。母はコーラルを産んだ後、役目は終えたとばかりに家に帰ってくることがなくなっていたし、父もそんな母によく似たコーラルを遠ざけていた。12歳で執務をこなすようになってからは、ひたすら回されてくる書類を処理し、捌いていた。部屋に篭りきりで、食事は頼めば運ばれてくる質素なワンプレート。残り物だろうしなびた野菜はお世辞にも美味しいとは言えず、生きるために必要だから摂っていただけだ。時々心配したダヴィデが簡単に摘めるものを持って来てくれたが、ろくに仕事をしない父の補佐をしていたダヴィデも忙しく、また形だけであっても当主の指示に反するのは難しかったのだろう。数日顔を合わせないことも多かった。何も食べないまま気がつくと夜が更けているようなこともあり、そんな時はこっそり厨房へ入ってスープを作った。コーラルのためだけにスープを作ってくれる使用人などいなかったのだから。

 今思えば、コーラルは部屋に篭りきりで誰とも交流がなく、気味が悪いか病弱かなどと思われていたのかも知れない。父がそのように仕向けていたか、手を回していたか。もし、あの頃助けを求められていたら──? ふるり、と緩くかぶりを振る。当時のコーラルにとっては、あの環境が普通だった。おかしいことに気付けないほどに、あの世界しか知らなかったのだから。

 そういう訳で、貴族令嬢でありながら、コーラルはナイフも使えるし、簡単な料理もできる。それが今こうして役に立っているのだから、あの小さな世界も全くの無駄では無かったと言えよう。


 ごつごつとした身は手のひらほどの大きさで、ナイフを入れると案外柔らかくすぱりと割れた。石のような見た目なのに、中身はバターのようだ。フィリベルトが、熱でドロドロに溶けてしまうと言っていた意味が少し分かった。皮は青いのに、実は鮮やかなオレンジ色なのも面白い。中の粒々とした小さな種はそのまま食べられるそうだ。

 勇気を出して少し指で掬い、ぺろりと舐めてみる。


「ん──っ、苦い!」


 舌がびりりと痺れる。聞いていたから覚悟はできていたし、我慢できないほどではない。ただ子供には大分辛いだろうと思う。

 次はおかみさんに聞いたように、ミルクと少し混ぜてみる。薄い黄色は柔らかく、見た目はかなり美味しそうだ。こくりと飲めば、美味しくはないが……なんだか身体に血が巡るというか、元気が出るというか、なんとも言えないけれど効いている感じがする。正直こんなに即効性があるものだとは思っていなかった。

 もしかして、これはすごい可能性を秘めているのでは──?

 この地に住む人たちにとっては、当たり前すぎてよく考えたこともないような存在なのだろう。空気とか、水のような。


「加熱しても効果は変わらないのかしら」


 コーラルは早速調理場に出向き、端の一角を借りて実験を始めた。

 鰐瓜を小鍋に入れ、まずはそのまま火にかける。トロトロとしたクリーム状になったものを舐めてみると、生より若干苦味はマシになった。

 次はそこにミルクを少し足してみる。シチューのような雰囲気で、一口飲んでみるとなかなか悪くない。調味料で味を整えれば大分様変わりするだろう。となれば、大事なのは効果の面。これは数値で出るものでもないので、色々な条件のものを用意して地道に検証していくしかないだろう。

 コーラルは少し考えて、あるものを作ってみることにした。側にいた料理長に尋ねる。


「お邪魔しちゃってごめんなさいね。小麦粉と、お砂糖を分けてもらえるかしら」

「夕食の支度にはまだ早いですし、今は空いた時間ですから問題ありませんよ。小麦粉はこれくらいで足りますか?」

「ええ、十分」

「おや、これは……鰐瓜?」

「そうなの。これってみんな、生でしか食べないの?」

「そうですね。加熱することなど考えたこともありませんでした。言われてみれば不思議ですね、親から与えられていた通りに自分も子供に与えるだけだなんて」

「もしかしたら加熱すると効果が消えちゃうのかもしれないけれどね。私は初めて見たものだから、試してみたくなっちゃって」

「それはいいですね。興味があります、手伝いましょう」


 料理長はラザーロと言って、体格の良い男性だ。先代からこの家に仕えているのだとか。


「小麦粉に、砂糖は──これくらいね。そして……鰐瓜とミルクを少し混ぜて……こんなものかしら」

「それにしても奥様はお料理も上手になさるんですね。手際が良くて驚きました」

「ふふ。あまり良くないことだって分かってるけれど、たまには良いわよね。あ、でもここのご飯は美味しいから、いつも食べ過ぎちゃうのよ。おかげで随分太ってしまったわ」

「奥様は少し痩せすぎでしたから、もっと食べたって良いくらいですよ。ご覧なさい、私のこの腹を!」


 ぽんっ、と音を立ててラザーロが自分のお腹を叩く。あまりに良い音が鳴ったので、ポカンと口を開けたままお互いに顔を見合わせ、次の瞬間にはケラケラと笑ってしまった。

 2人で騒いでいたものだから、どうしたどうしたと使用人達が集まってくる。


「ああ……可笑しかった。みんな、ごめんなさいね。邪魔をするつもりじゃなかったのよ」


 目尻に溜まった涙を拭いながら言う。


「いえいえ、奥様が楽しそうで、嬉しくなってしまっただけなのですよ」

「そうです! 奥様の笑顔を見ていると、私も幸せな気持ちになります!」


 言われてみればこんなふうに声を上げて笑ったのは初めてかもしれない。手の空いたメンバーも見学したいというので、みんなで生地を伸ばして切り分け、オーブンに入れた。火の加減はラザーロが整えてくれる。案外たくさん出来てしまったので、人数が増えて良かったかも知れない。

 次第にいい香りが漂い、仕上がりは上々のようだ。


「さて、見た目は良さそうだけど……味見は先に私が──」

「ずるいですっ! 私も!」

「え、なら私もいいですか?!」

「いやいや、ここは責任を持って私が……」


 初めて作ったものだし、あくまでこれは実験だ。美味しい保証などどこにもないのに、皆が食べたい食べたいと騒ぐ。

 具のないスープを煮込んだあの夜は、世界に自分ひとりしかいないのかと思えるほど静かだったのに。


「ふふ、不味くても文句言わないでちょうだいね? ならもう、皆んなで毒味よ!」

「「はいっ!」」


 コーラルが作ったのは、ショートブレッドのようなもの。バターの代わりに鰐瓜を使ったのだ。まだ焼きたてで熱いから、ほろほろと崩れるけれど、そんな食べ方もまた楽しい。


「ん──美味しい!」

「なんだか普通のショートブレッドと違いますね? コクがあるというか……」

「確かに、甘いけれど、くどくはなくて美味しいです」

「そう? 良かったわ。ところで体調はどう? 疲れた感じとか」


 コーラルが尋ねると、皆が不思議そうに首を傾げる。


「え? そういえば……あれ? 身体が軽い気がします」


 コーラル自身は先に生や加熱したペーストを味見してしまったから、どの段階の効果が出ているのか分からないけれど。後から顔を出した使用人達はこのショートブレッドしか食べていない。

 ということは、加熱しても体力回復の効果が出るということだ。


「これで加熱しても、調理しても、鰐瓜の効果があるってことが証明できたみたいね」

「え、これ鰐瓜が入っていたんですか?! 全然分からなかったです」

「鰐瓜ってあの苦いやつ……? こんなに美味しくなるなら子供の時もそうして欲しかったなぁ」


 そう言われてコーラルははっとした。もし、風邪をひいた時に、美味しい薬が出てきてしまったら。苦い薬を飲まなければいけないから、それが嫌ならこれからは風邪をひかないように気をつけましょうね、と。そうやって親達が子供の健康を気遣うために、あえて子供には苦いままの鰐瓜を食べさせていたのかもしれないと。


「みんな、手伝ってくれてありがとう。残りは冷まして、しっかり乾燥させてから保存状態を見てみるわ。一応しばらくは体調に変化がないか気をつけておいてね」


 ここは隣国と接した辺境領。休戦中とはいえ、緊張状態を保っている。もし、これが上手くいったら。硬く焼いたショートブレッドは、それなりに日持ちがするだろう。戦において食糧事情というのは、時に勝敗も左右する大きな要因だ。命を賭けて戦う騎士達の疲れが少しでも取れたら良い。

 そして、まだ3年前の傷跡が深く残るこの領でも、簡単に食べられて栄養の詰まった食事は民の命を繋ぐだろう。幼い子供達は簡単に死ぬ。ジェイドが敵を屠ることでアルベルティを護るなら、コーラルは民を生かすことで、守りたい。



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