第五話 坊ちゃんと騎士達と
「──ということがありまして。幸いにも死者や重症者は出ませんでした」
「そうか。道の整備も急がねばな……」
「それと、奥様もしっかりと領主夫人として勤めを果たしていらっしゃいましたよ」
「何? コーラルもその場にいたのか?」
「ええ。奥様は自分の評価が低すぎます。あの狭い町ではなくて、もっと沢山の人の意見を聞くべきだと思いましてね、視察に出向いた所だったのです。危険に晒してしまったことは私の責任です。しかし……彼女が自分の価値を信じられない理由は、坊ちゃんにもあるのでは? なにせ金で買われて来たからには、と正面切って仰る奥様ですからね」
「うっ、あれは……効いたな……。だが、事実でもある。あれほど美しい女性がやって来るとは思わなかったのだ。彼女ならどこへでも望まれて嫁げたろうにな。可哀想な事をしたとは思うが……今更だ。俺に出来るのは、なるべく彼女を自由にしてやることだけさ」
「──さっさと素直になった方がよろしいと思いますけれどねぇ。まあ、どんどん磨かれて美しくなっていく奥様を、意気地なしの坊ちゃんは指を咥えて見ていればよろしいですよ。……町医者に掻っ攫われても知りませんからね」
にやりと笑ったジャンを、ジェイドは忌々しそうにして追い払った。騎士団に所属していた頃は先輩として散々しごかれ、また退団してからは家令としての仕事もこなす優秀な彼には、当主となった今でもなかなか頭が上がらないのだ。
「あんな綺麗な女はなかなかいないと思うがな」
無意識に、シーツに散った赤い髪を思い出す。月に一度、と定めたのは自分だ。余計な事を言ったかもしれないな、と苦く笑いながらジェイドは、ふっと息を吐く。
「花を贈るか……そのくらいなら、許されるだろう」
◇
「もう腫れもすっかり引きましたね! 心配したんですわよ? あんまり無理はしないで下さいましね!」
「ええ、ごめんなさいイルダ。でもやっぱり怪我をした人たちを放っておけなかったのよ。だから今度は応急処置のやり方なんかも学んでおきたいわ」
「奥様ったら……でもそういうところが、奥様の良いところでもありますからね。ありがとうございます、アルベルティの民として、優しい領主夫人が来て下さったこと。とても嬉しいですわ」
あれからイルダに薬を塗ってもらって、数日で腫れは引き、すっかり良くなった。心配したイルダとジャンによって数日公務の休みを命じられたが、黙って座っているのも飽きると苦痛にしかならない。過保護な2人は実は夫婦であったのだということも最近聞いて知った。とてもお似合いだと思う。
「それじゃあ、そろそろ仕事も再開して構わないわね?」
「少しはゆっくりなされたらよろしいのに」
「もうゆっくりしすぎて、私、亀になりそうだわ。……嬉しいのよ。私に出来ることがあって、それが少しでも閣下の為になるなら。こんな素晴らしい所に連れて来てもらって、イルダやジャンにも会えて、良くしてもらって。私はここにいて良いんだって思えるじゃない。そうでもしないと……」
(──せめて役に立つって思ってもらいたい)
ふと顔を上げると、イルダがいつもよりずっと強い目で、コーラルを見つめていた。目が合うとすぐに、朗らかな笑顔に変わったのだけれど。
「ね! 今日は騎士団棟の方に行きたいのよ! この書類のね? ここの金額が合わないの。それから備品の調査ね」
「奥様、やっぱり隠れて仕事されてましたね? 全くもう! それじゃ、ジャンを呼びますね」
仕方ないですね、とイルダが笑った。この優しい人の側にいたい、と思う。こんな風に、時には叱って。時には甘やかして。そうやって包み込んでくれる存在が、私は、ずっと、欲しかった。
「──そんなに頑張りすぎなくて良い、って言ったって。今はまだ信じられないだろうねぇ」
イルダの呟きは、まだ届かない。
◇
「おはようございます。精が出ますね」
「えっ! あっ! お、おはようございます!」
「お邪魔しています」
「ど、どうぞどうぞ! いくらでも!!」
コーラルはジャンに案内を頼み、初めて騎士団棟の中へ足を踏み入れた。石造りで飾り気はなく無骨だが、予想外に清潔だし整理されている。すれ違う団員たちが皆私の顔を見て慌てている。仕事の邪魔をしてしまっている様でなんだか申し訳ない。
コンコンコン、と扉を叩くと、中から「どうぞぉ」と間伸びした声がした。
「お初にお目にかかります、コーラル・アルベルティと申します。少し伺いたいことがありまして、お時間よろしいでしょうか」
騎士団の執務室にいたのは、鳶色の髪に灰色の瞳。騎士にしては比較的小柄で、童顔の青年だ。
「あらまぁ奥様。こんなむさ苦しいところまでわざわざどうしたんです? 団長は今日は不在ですよぉ」
「ええ、伺っています。少しだけ書類のことを確認したくて……それであれば副団長様が分かるだろうと」
「ああ、僕のことはイグナツィオとお呼び下さいねぇ。そもそも副団長だなんて柄じゃないんですよ、ジャンさんにだってまだまだ敵わないっていうのに! ──それで、なんでしょ?」
イグナツィオはちらりとジャンに恨めしそうな視線を寄越してからソファにエスコートしてくれた。話し方は砕けているが、手慣れた仕草からすると案外貴族出身なのかもしれない。このアルベルティの騎士団は国内でも有数の実力者が集う。単純に自らの力を高めたい平民から、爵位を継げない貴族の次男三男も多いと聞いた。
「ここの金額が不明でして。額が少し大きいものですから、明細が知りたいのですが」
「うーん、先月? えーっと……ああ! それは国境沿いの巡回に行った際に、近くの村で伝染病が発生しましてねぇ。僕たち騎士団で手を貸したんですがぁ、その際の医薬品だとか、衛生用品ですねぇ。支援を終えて帰還した途端に自分達も発症しちゃいましてぇ、それで処理が中途半端になってたんですねぇ」
「まあ、そうでしたの。ではその様に処理しておきますね。失礼ながら……私、騎士様達は戦にしか手を出されないのかと思っていました」
「病だろうが迷子探しだろうが、要請があればうちの団長は受け入れますよぉ。勿論戦時中であればそちらに全力を投じますがぁ、今は幸い休戦中ですしねぇ」
戦争は、人を殺す。それは自国の民を守るために必要だからだ。戦うために日々己を鍛えるアルベルティの騎士達は、その同じ手で、病に倒れた人々を癒し、迷子の子どもの手を引くのだ。
コーラルはそれを、尊いと思う。自らの部下達をその様に指揮するジェイドを、誇らしいと思う。
「伝染病はもうすっかり良いのですか?」
「あの時は半月ほど随分大変でしたけれどねぇ、もう問題ありませんよ。僕も腹は痛いし熱は出るし、ふらふらでしたよ、思い出すだけでモゾモゾしてきたなぁ」
イグナツィオはお腹の辺りをさすりながら、眉を顰めて嫌な顔をする。
「騎士団の方達の手当てはどなたがなさるのですか?」
「怪我は医務室が診ますがぁ、病気は個人で気合い、って感じですかねぇ」
「き、あい……? なんてこと! 国を守る騎士様たちは、誰よりも健康でいてもらわねばならないのに。お薬は足りていますか? ベッドの寝心地は問題ありませんか? 清潔な寝具は? あ、私の生家のある地方では、食事で免疫力を上げる組み合わせというのがいくつか提唱されているのです。免疫力というのは身体が悪いものをやつける仕組みのことですけれど……」
前のめりに話し出したコーラルを、イグナツィオは灰色の目をまん丸くして見つめている。そんな顔をすると、余計に童顔が際立つ様だ。
「あら、やだ、私ばかり捲し立ててしまって……ごめんなさい」
「ははは! 奥様は面白い方ですねえ! 僕たち騎士はね、もちろん国を守るために忠誠を誓っていますから、有事の際は命を賭けて戦う覚悟ができていますけれどぉ。俺たちのために前線へ行け、鍛えているんだから大丈夫だろう、さあ、命を賭して自分を守れ! って、平然と言ってくる人たちも、たっくさんいるんですよぉ? 言われなくてもそうしますがぁ……騎士だろうが、人間です。痛いものは痛いし、飢える時は飢える。辛い気持ちは同じなんです。奥様は……僕たちのことも同じ人間として、心配して下さるんですねぇ」
「当たり前です! 私はアルベルティの騎士様達を心から尊敬しております。私たちを……アルベルティを、この国を。守ってくれて、ありがとうございます。私には力もなく剣は振れませんけれど……このアルベルティに嫁いで来た身として、私は私に出来ることを精一杯努めます。未熟者ではございますけれど、どうかこれからもよろしくお願いしますね」
コーラルがそう言うと、イグナツィオは嬉しそうに笑って、その右手を差し出した。
「こちらこそ、貴女のような方がジェイド様の元に来てくれて良かったですよ。……あの方はちょっとお堅すぎるところもありますからぁ、コーラル様はこの柔らかぁい手で、解してやって下さいねえ」
私が握り返したその手を、もみもみ、と握るイグナツィオ。嫌らしさは全くなく、くすぐったくて笑ってしまう。童顔に見えて、身体も騎士にしては大きくなくて、それでも彼の手はごつごつと節くれだって硬く、厚くて。これが人を守る手なんだと思う。
ジェイド様の手も、こんな手だっただろうか。もうすぐ、コーラルがアルベルティに嫁いで来てから1ヶ月が経とうとしている。