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第三話 過去と仕事と

 城に着いたのは昼頃だったから、今日は夜まで私の仕事はない。──()()()()()は、と言っても良いかもしれないが。

 時間まではジャンが主要な場所を案内してくれるそうだ。全体を案内しようと思ったら3日はかかるらしい──覚えるともなれば1ヶ月はかかりそう。

 まずは自室と、隣り合った寝室。ちなみに夫婦の寝室と、個人の寝室はそれぞれ別にあった。あとは食堂と図書室、そして庭園。庭園は彩り豊かな花々……ではなくて、果物や野菜が植えられていた。これも有事の際を考えてのことらしい。騎士や、避難させた領民の食糧になるのだ。騎士団の棟へ続く渡り廊下を確認してから、自室へと戻る。

 改めて見まわしてみるが、とても素敵な部屋である。飴色がかったオーク材の家具はシンプルだが品が良く、若い女性の部屋にしてはやや落ち着いた雰囲気だ。けれど扉や引き出しなど随所に繊細な花の模様の彫刻が施されており、全体的にすっきりとまとまっている。壁紙やカーテンはごく薄いグリーンで、爽やかながらもどこか温かい。コーラルの好きに替えて構わないとのことだったが、ひと目で気に入ってしまった。


 ジェイドは基本的には騎士団棟にいるらしい。もちろんそこから任務のために各地へ出ていることも多いそうだが。

 お茶を淹れて貰いひと口飲むと、爽やかなハーブの香りが広がった。歩き疲れて乾いた喉が潤い、ほっと心が落ち着く。「普段はこんなことはしませんが、内緒にして下さいね」と言いながら片目をパチリと瞑り、ジャンが向かいのソファに浅く腰掛けた。気障な仕草がよく似合っている。

 使用人と同じテーブルにつくことなど一般的には非常識なのだろうが、そもそもコーラルは使用人にも相手にされずに育ってきた身である。下手に傅かれるよりよほど良い。


「少しだけ……聞いていただけますか。──我が家は代々、アルベルティに仕えておりましてね。私は先代からですが……」


 懐かしむように目を細め、遠くを見ていたジャンは、すっと私に視線を戻すと柔らかく笑った。


「アルベルティは竜騎士の一族です。これはご存知ですか?」

「はい、建国史で読みました」

「竜騎士というのは、竜に選ばれて契約を交わし、竜の力を借りて戦う騎士のことですね。アルベルティの血の者が筆頭にいなければ、竜は従わないのです。それが、初めて竜と契約したグラジアノ・アルベルティ卿との盟約だからです。代々我が子孫達が竜の力を借りる代わりに、竜の地を守り続けます、と。ですから、アルベルティは子孫を絶やすわけには参りません。現在、直系の男子はジェイド様のみ。血は女性でも継げますが、なかなか竜に認められる女性はおりませんからね。先代の辺境伯夫人は、ジェイド様の弟君にあたるお子様を出産された際、肥立ちが悪く身罷りました。その後弟君も幼くして病で……。一応傍系にも血は残っておりますから、いざという時はなんとかなりましょう。しかし……血は薄まるものですから、努力はしていただきたい。事情があって嫁いでこられたコーラル様に、酷な事を申しているのは分かっております。ですが、それほどまでに竜の力は強大で──私は、私達は、守りたいのです。このアルベルティの地を。ジェイド様はお優しいですから、きっと強くは言えないでしょう。弟君と先代夫人のこともありますしね。ですが……ここに嫁いでこられたからには、覚悟をしていただきたい。貴女にそれがお出来になりますか」


 ジャンは口端を上げて、どこか挑戦的な目でこちらの様子を窺っている。苦み走ったいい男はそんな表情もよく似合うな、などと関係ないことを頭の隅で思う。


「──よく、分かりました。ジャンさん、貴方も優しい人なのですね」


 ジャンの顔から表情が抜けた。


「──罵られる覚悟はしていたのですが」

「そうやって自ら嫌われ役を買って出る所が、優しいのです。──閣下は……良い主人なのでしょうね」

「はい……とても」

「そんな方に拾っていただけて、私は幸せです。──買っていただいた以上、私はその責務を果たすべく、精一杯努めます。教えてくれてありがとう、ジャンさん」

「私のことはどうぞジャン、と……奥様。立場を弁えず失礼を申しました。この地でのご不便はなんなりとお申し付け下さいね」

「分かりました。ところでひとつだけ不思議なのだけれど……閣下はあんなに美しいし、翡翠のような瞳も神秘的だし、武にも優れていると伺いました。そして竜も強大な力を持つのでしょう? そんなに良い条件だもの、他にもここへ嫁ぎたい女性は多かったのではないの? わざわざ私()()()を選んだ理由が分からなくて」


 条件に合ったからとは聞いたが、そもそもコーラルには特別な能力などないし、つまりは継母が掲示した私の値段と子を産める若くて健康な身体。それが合致したということだろう。それならば、逆に持参金を持ってでも自らここに嫁ぎたい女性は沢山いたのではないだろうか。


「……奥様は、ジェイド様を美しいとお思いですか」

「ええ、もちろん。ジャンはそう思わない?」

「ふふ……そうですね。私も美しいと思います。しかし、世の女性達はあの顔の傷を見て、気絶したり醜いと罵ったり──そもそも傷にばかり目がいって、ジェイド様の、瞳の色を覚えている女性など誰もいないのですよ」

「まあ……! あの傷だって閣下の美しさをより際立てていると思うのだけれど」


 甘い果物に塩をかけると、甘さがいっそう際立つみたいに。


「それに、竜というのはその強さ故、畏怖される存在です。またこの辺境領は常に戦の恐怖と隣り合わせだ。華やかなドレスより鎧を、美しい花より日々の糧が優先されるこんな地に、望んで来たい女性など誰もいなかったのですよ」

「そう……そうなのね。それなら……私は、やっぱり幸運だわ。()()()()()()に、素晴らしい主人を手に入れて。ふふ、いつかきっと羨ましがられるわよ。その日が来るのが楽しみね」


 そう言って、これまでの無表情とも言える顔をふわりと綻ばせ、柔らかく微笑むコーラル。ジャンは悟った。我が主人が、この上なく素晴らしい奥方を娶ったのだと。そして自らが命を賭してお守りすべき主人が、今この時、増えたのだということを。

 深い赤(カッパーレッド)の髪はふわりと柔らかく、しっかり手入れをすれば恐らく赤珊瑚のように輝くだろう。藤紫の瞳は知性を感じさせ、肌は透けるように白い。年齢の割に随分と落ち着いている。少々痩せすぎだし、今はまだ荒削りの原石だけれど、この状態でもどこか人を惹きつける魅力を持った女性だ。これからこの地で磨かれて、唯一無二の輝きを放つ奥様を見てみたい。

 羨ましがられるのは、案外ジェイド様の方かもしれないな──そんな未来を想像すると、ジャンの冷えた手はじわりと暖かくなっていた。


「──ええ、本当に……本当に楽しみです」



 その日の夕食は自室でひとり食べた。実家でもそうだったから、特別寂しいとは思わない。今までは仕事をするために頭が働く程度の栄養さえ摂取出来れば充分だと思っていた。ほとんど運動もしないのでお腹も空かなかったのだ。だが今日は長旅を終えて、城までの道のりを自分の足で歩き、そして城の中を案内してもらって。人生で最も歩いた1日だったかもしれない。動けばお腹も減るのだと初めて知った。

 味付けはバレストラ領より少し濃いめだ。冬の寒さ厳しい土地は塩気が強くなると聞いたことがある。保存の関係だろうか、もしくは身体を動かす騎士達に合わせたものだろうか。この味にも徐々に慣れていけたらいいなと思う。

 綺麗に食べ終えた頃、控えめなノックの音と共にひとりの女性が入ってきた。コーラルの親世代くらいだろうか、にこにこと朗らかな微笑みを浮かべた感じの良い小柄な女性だ。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、奥様。私はこの城のメイド長を仰せ付かっております、イルダと申します。生憎長い間女主人が不在だったものですから、まだ奥様の侍女が決まっていないのです。なので今夜は私がお世話をさせて頂きますね」

「イルダさん初めまして、コーラルと申します。お恥ずかしながら……私は生家でも侍女はおらず自分のことは自分でしていましたから、基本的には問題ありません」

「まあ、私のことはイルダで結構ですよ、敬語も必要ありません。自分のことを自分で出来るなんて、辺境伯夫人としては素晴らしいことですよ! 有事の時に『侍女がいないと服が着られないわ』なーんて言ってたら、逃げ遅れてしまいますものね!」


 本来なら、侍女も付けられない令嬢などあり得ないし恥ずべきことだ。けれど、にっこりと笑ったイルダの顔に裏は感じられず、私を庇うためでも嘲笑うためでもなく、本当にそう思っているんだと感じられて心が温かくなる。


「それでもきっと女手が必要なこともあるでしょうから、そんな時は遠慮なく私を使って下さいましね! なんせここはむさくるしい軍人ばかりですから」

「ええ、ありがとう。心強いわ」

「それじゃあ今日は一段と気合を入れて綺麗にいたしましょうか。元がいいですからやり甲斐がありそうですわ。ささ、こちらへ」


 そうしてイルダによって手際良く身支度を整えられ、コーラルは夫婦の寝室へと向かう。ジェイドはまだ騎士団棟の方にいるらしい。私室から繋がる扉の鍵を開け、そっと扉を押し開く。ランプに灯った小さな火が揺れていた。

 頼りない夜着に羽織ったガウンの合わせを掻き寄せながら、広いベッドの端に腰掛ける。コーラルの母は7年ほど前に事故で亡くなっているが、生前からもほとんど顔を合わせることはなかった。また、先日やってきた継母も同じだ。コーラルの周りにいたのは、老齢の家令のダヴィデひとりだけ。書物やアンナマリアの話などでなんとなくの知識は持っているが、具体的な方法や作法などを教えてくれる人は誰もいなかった。先程イルダにどうしたらいいのかと聞いてみたところ、「旦那様にお任せすれば宜しいのですよ」と笑っていた。

 何も分からないのは、怖い。知識さえあれば、対処も覚悟も出来るのに。家でひとり仕事をこなすコーラルを助けたのは、必死で身につけた知識だったのだから。


 かちゃり、と小さな音が鳴り、ランプの灯りがゆらりと揺れる。はっと顔を上げれば、黒髪が僅かにしっとりと濡れ、素肌にガウンを羽織ったジェイドが近付いて来る。あらためて見て、本当に美しい人だ、と思う。


「待たせてしまったな」

「いえ。お仕事お疲れ様でした」

「ああ。君も長旅で疲れているのに、休ませてやれなくてすまない」

「馬車でも少し休めましたから……。あ、あの、素晴らしい馬車をお貸しいただいてありがとうございました。お陰で随分快適に過ごさせて貰いました」

「それなら良かった」


 ジェイドは薄く微笑むと、ぎし、と音を立てながらコーラルの横に腰掛けた。心臓の音が随分と騒がしい。ぎゅっと握った拳にそっと大きな掌が重ねられ、節くれだった長い指がするりと手の甲を撫でる。ぞくりと背筋が震えたのは、恐怖だろうか。それとも──コーラルの知らない、何かだったのか。


 

 翌朝コーラルが少し気怠い身体を起こすと、そこにはもうジェイドはいなかった。シーツを撫でてもそこはひんやりと冷たく、かなり前に出て行ったのだろう。


 コーラルは、無事に今月の仕事を終えた。



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