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第二話 砦と結婚と

 ここは、アルベルティ領。隣国と領地を接する辺境地。まずコーラルを驚かせたのは、見上げるほど大きな石造りの門だ。厳めしい鎧を着た兵に持参した書状を見せると、瞬きの間硬直した後、45度でビシッとお辞儀をされた。


「……こんなに華麗な御令嬢がジェイド様の…………遠いところをようこそいらっしゃいました! ここはいささか華のない所ではございますが……どうか末永く! よろしくお願いいたしますっ!」

「は、はい……ご丁寧に、ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたしますね」

「……はわ、可愛い……じゃなくて、城へ案内します! どうぞこちらへ!」


 流石に辺境領の騎士は動きが違う。鎧だってコーラルなら持ち上げられないほど重そうなのに、キビキビと歩く彼に着いて行くのが精一杯だ。段々と間が離れては、たたたっと少し駆け足で距離を詰める。執務室でひたすら書類を捌いていたコーラルは、どうやら体力がないらしい。辺境に嫁いできたからには、少し運動をして鍛える必要もあるかもしれない。


 近くに見えると思っていた城は、大き過ぎて遠近感が狂っていただけだった。息を切らしてそこにたどり着けば、それは城というよりは、巨大な要塞。ポカンと見上げていると、随分先に進んでいた兵が慌てて戻って来た。


「す、すいません! 俺歩くの早かったですね……御令嬢なんてここには来ないので加減が分からなくて」

「大丈夫です。こちらこそお手間をかけさせてしまってごめんなさい」

「優しい……! んんっ、では、参りましょう!」


 石造りの城は靴音が響く。遠くで剣のぶつかる音がした。訓練所があるのかもしれない。複雑な作りは侵入者を防ぐためだろうか、しばらくは誰かに案内してもらわねば迷子になりそうだ。


 興味深くきょろきょろと見回していると、立ち止まった兵がくるりとこちらを振り返り、ひとつの扉を指し示す。


「こちらになります!」

「ありがとう。助かりました。よかったら貴方のお名前を教えて下さい」

「えっ! あ! フィリベルトと申します!」

「フィリベルトさん。どうぞこれからもよろしくお願いしますね」

「ふぁ……女神……はいっ! で、では自分はここで失礼致します!」


 ふう、と息を吐き、ドアを叩く。


「誰だ」


 ピリッと指先が痺れるように鋭い誰何(すいか)の声が響く。


「ジュスト・バレストラ伯爵が長女、コーラル・バレストラと申します。辺境伯閣下にご挨拶に参りました」


 数秒の沈黙の後、室内から扉が開かれた。女性にしては比較的長身なコーラルが見上げるほど背が高く、逞しい。肩ほどの黒髪をひとつに結った精悍な男性だ。圧倒的な存在感──まさか本人が扉を開けて下さるとは思っていなかったが、間違いなくご本人だろう。確かコーラルより10歳年上だと聞いているから、26か27歳だろうか。何より目がいくのは、翡翠のように美しい瞳だ。それからこめかみから頬に走る大きな傷。古いものに見える。右目が少し眇められているのは傷に引っ張られるせいか。普通なら疎まれるであろうそんな傷なのに、コーラルにはそれも含めて何故だか美しく見えた。


(強い瞳……心の中まで見透かされそうね)


 しばし無言で見つめ合う。ベッティーノを除けば、こんなに真っ直ぐ瞳を見つめられたのは初めてかもしれない。どちらともなくすっと目を逸らすと、「どうぞ」と中へ案内された。


 ソファに座り向かい合うと、音もなく現れた壮年の男性が香りのいい紅茶をコトリと置いた。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。私はアルベルティ家の家令のジャンと申します。お見知り置きを、麗しいお嬢様」


 にこりと笑うと目尻が下がって、若い時はさぞもてたことだろう。その笑顔のせいか、もしくは久しぶりにお嬢様などと呼ばれたせいか、何とも面映ゆいが居心地が悪い。


「ジャン、もういい。下がっていろ。──遠いところよく来てくれた。私がジェイド・アルベルティだ。さっそくだが書類を確認して、問題なければここにサインを」


 差し出された紙を手に取って見ると、それは婚姻届だ。そう、私たちには婚約期間がない。異例のことだが、辺境伯には様々な特例が採用されているのだ。日々命の危険と隣り合わせだから、王の承認を待っていられない場面も多いのだろう。

 持参金はいらないこと、支度金の返済は不要であること、離婚は認められないが、ジェイドの死去後は自由であること、子を産んだ場合は必ずアルベルティ家の籍に入れること。

 そこにコーラルが不利になるような内容はひとつもなかった。あえて言うなら、里帰りは出来ないことくらいだろうか。帰ろうと思えば2ヶ月はかかってしまう。辺境伯夫人として、それほどの間城を空けることなどあり得ない。そうでなくてもあの家を出た時、コーラルは2度と帰るつもりはなかった。全てを置いて来たのだ。家族も、幼馴染も、苦い初恋も。


 持参したペンを取り出し、サラサラとサインを入れる。コーラル・バレストラ。この名を書くのはこれで最後だろう。コーラルの名の上には既にジェイドの名が書かれており、角張っているが丁寧に書かれた綺麗な字だった。


 受け取った書類をくるりと丸めて封をすると、ジェイドは少し肩の力を抜いた。機嫌が悪いのかと思っていたが、もしかすると彼も緊張していたのかもしれない。その切れ長で美しい翡翠のような瞳を見つめていると、ぱっと目が合い、すぐさま逸された。流石に不躾だっただろうか。


「これより貴女はコーラル・アルベルティ、私の……妻となった。ここは辺境領で、休戦協定が結ばれたとはいえ未だ隣国との間には緊張状態を保っている。3年前の戦で街は壊滅状態だ。なんとか復興に向けて励んでいるが、なかなか手が回っていない部分も多い。貴女にそれを任せようとは思っていないが──まあここでは華やかな社交も何もあったものではないからな。暇だろうが、そこは我慢して欲しい。私は竜騎士として日々訓練と任務についている。よって──貴女と会うのは概ね月に1度。アルベルティの責務は、次代に血を残すことだ。つまりはまぁ……()()()()()()だ。こんな田舎の、こんなおぞましい顔の男に買われて来た貴女には申し訳ないが、そこだけはどうか耐えて欲しい。欲しいものがあれば好きにして構わない。何か質問は」


 息継ぎもないような勢いでそう言ったジェイドは目を伏せたままだ。さらりと流れた前髪が、傷のある顔に影を落とす。

 多少意地悪な言い方だけれど最初から分かっていたことなのだし、貴族の政略結婚など大概そんなものだろう。つまり私は彼の子を産めば良い、と、()()()()()()だ。壁際でジャンが薄く笑っている。


「私が選ばれた理由はありますか?」


 ゆっくりと顔を上げたジェイドは、小さく息を吸ってから口を開く。


「……条件が揃っていた。以上だ」

「わかりました。私を買っていただいてありがとうございます。精一杯努めますのでよろしくお願いいたします」


 ぺこりと頭を下げると、ぐっ、と喉を鳴らす音が聞こえた。顔を上げると、そこには遠い目をしたジェイドと、笑みを深めた家令が立っているだけだった。



コーラルの天然嫌味爆弾

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