第十七話 戦いと呪いと
「イグナツィオは騎馬兵を率いて敵をなるべく1箇所に集めて欲しい。フィリベルト、補佐に付け」
「は!」
「整ったら狼煙を上げてくれ。上空から一気に仕掛ける」
「了解でぇす」
コーラルの話を聞いて、ジェイドは早急に軍備を整えた。3年前に隣国とは休戦協定が結ばれているが、最近不穏な動きがあることは把握していた。
最愛の妻が死んで死を恐れなくなり、皮肉な事に無敵の強さだと評された父が死んだ事と、その父の竜と同じくらい強かったサッジョが死んだために『次は勝てる』と希望を抱いてしまったのだろう。
(──つまりは俺が舐められているということだ)
であれば、自ら決着をつけるのみ。自分と父のどちらが強いかなど、比べたこともないから分からない。けれど、ここで死ぬわけにはいかない。死ぬつもりもない。しかし舐められたままにするつもりも、ない。
「行くぞ!」
「「おお!!!」」
身体が大きいわけではなく、軟派な態度のイグナツィオは文官と間違われることも多いが、その実かなりの実力者だ。
もちろん長年父の副官を務めたジャンには敵わないところもあるが、馬の扱いに長けており、地上で味方の動きを統率し敵の動きを読むことに関しては右に出る者はいない。
竜騎士がいてこそのアルベルティだと思われがちだが、ジェイドはそうは思っていない。地上で綿密に策を練り状況を整えてくれる歩兵や騎馬兵がいるからこそ、竜の力を思い切り振るう事ができるのだ。そうでなければ、敵も味方もなく斬滅してしまう事もあり得るし、それぞれに適した戦い方があるというだけのことなのだ。
竜で上空から近付きすぎると、敵からも発見されやすい。まだ敵の戦力が分からない以上、見付からないに越したことはない。相手方は国境線の森に潜伏している為、こちらから全貌を把握することは出来ない。まずはイグナツィオが地上から様子を確認して、有効な作戦を選定する手筈になっている。
右手からはイグナツィオが、左手からはフィリベルトが率いた少数の団員が森へと近付いて行く。フィリベルトも若い団員だが実力は折り紙付きだ。やたらとコーラルを崇拝しており、女神だなんだと崇めている。確かにコーラルが女神のようだというのは同意するが、だからといってあまりに近付きすぎるのもそれはそれで気分は良くないものだ。絶対に護ると分かってはいるから、護衛につけることも多いのだが……確か騎士団棟の料理人の娘がフィリベルトのファンだとかなんだと言っていた気がするから、近いうちに使用人としてでも引き入れてやろうと決意する。フィリベルトは情に厚いから、遠くないうちに陥落するだろう。己の唯一が見つかれば、ああいうタイプは一直線になるものだ。
そうこうしているうちにイグナツィオの方から狼煙が上がる。
(──赤か)
思ったより厄介な相手かもしれない。そりゃあ、休戦協定が結ばれた隣国に、真っ当ではない手段を使って侵入してきた奴らなのだ。間違っても有用な商談をしに来たなどというわけではないことくらいは分かる。
「魔術師がいるようだ。人数にもよるが……フィリベルトの狼煙が上がり次第、後ろから回り込んで──おいマルセロ! 何をしている、止まれっ!」
「団長! フォンテがっ! とま、止まりません──っ!!」
隣国にのみ存在すると言われている魔術師は、極めて厄介な存在だ。魔術という摩訶不思議な技を使い、竜騎士のアドバンテージである空中戦や距離をものともせずに攻撃を仕掛けてくる。
火や氷を纏わせた、目に見えない強力な矢とでも言えばいいのだろうか。その実態は特秘されているため詳しい仕組みも分かっていないが、父がこの魔術師によって殺されたことは事実である。
竜達が火薬の匂いを嗅ぎ取ったということは、物理的に長距離攻撃も可能な飛び道具も持っているということだ。想定よりもずっと本気で落としに来ているらしい。
『ギャーーー!!』
フォンテが哭く。思えば竜舎の異変に気付いたのも、フォンテの様子があまりにもおかしかったからだ。
フォンテの親であり、かつてジャンと契約していた竜のサッジョはこの隣国の兵に撃たれて傷を負った。基本的に回復能力の高い竜だが、歳もあったのだろう。この傷がもとで弱り、亡くなってしまった。フォンテにはそれがわかるのかもしれない。絶対に許さない、なんとしてでも報復してやる。そういう思いが、契約者であるマルセロの声を聞こえなくさせるほど興奮してしまっている。
マルセロも竜騎士になってさほど経っていない若い騎士だ。実力がないわけではないが、いかんせん経験は少ないのだ。
「フォンテ! まだだ、我慢しろ! 聞け、聞いてくれ!」
『ギャアアアア!!』
制止を振り切り、飛び出して行くフォンテ。背中のマルセロは青い顔で前方を見て、さっとこちらに振り向いた。
──仕方がない。
こうなった竜はもう人の力では止められない。それに、絶対に許さないという思いはこちらとて同じなのだ。ならば。
「お前達はフィリベルトの合図を待ってから、両端から挟んで追い詰めろ。作戦の狂った部分はイグナツィオの指示に従え!」
「「はっ!」」
ジェイドを乗せたアゲートがぐんっと加速した。首を伏せ、体と翼が一直線になり、まるでそれそのものがひと振りの剣のようだ。
いくら興奮しているとはいえ、まだ若くペアを組んで間もないマルセロとフォンテとは比べ物にならないほどの速さだ。
「マルセロ! 責任は俺が取る、そのままぶちかませ。但し死ぬことだけは許さない!」
「団長……っ! 了解です!」
フォンテの背にしがみつくようにしていたマルセロが、すっと背筋を伸ばした。怯えるようだった瞳も鋭く輝きを増し、森の奥を見透かすように細めている。
マルセロは空気は読めないが、優秀な竜騎士なのだ。
──ごぉぉぉおお!!
フォンテが起こした風が竜巻のように吹き荒れて、森の木々を切り倒す。
隠れていた敵兵が騒然としながら空を見上げていた。
『ギャーーー!!』
風と一体となったフォンテが目にも止まらぬ速さで駆け抜けて、呆けた敵兵を引き倒す。
ちらりと見れば地上でも、イグナツィオが率いる隊が飛び荒ぶ木々を器用に避けながら包囲網を狭めていた。流石、作戦が変わったことを瞬時に察して対応したのだろう。であればジェイドはフィリベルトが抑えるはずだった逆側から迎えに行ってやればいい。
「頼んだぞ、アゲート」
『ギャ!』
姿勢を低く、アゲートと一体になったような気持ちで空を駆ける。この瞬間はいつだって、不思議と時間の流れが周りと切り離されたかのように感じる。ゆっくりと、スローモーションのように。一瞬後には全てが終わっている、早回しのように。
「左からも来るぞ!!」
「上だ、竜が!」
「あれはアルベルティの竜だぞ!」
「狙え、撃ち落とせ!!」
呆けていた敵兵がようやく動き出したようだ。それでも既に大分戦力を削った後だし、不意をつかれたのでない限り、元々こちらが有利なのだ。
ぱしゅん、ぱしゅんと弾が乱れ飛ぶ。熱かったり冷たかったりしているから、魔法なのだろう。
(──大した魔術師ではないな)
少なくともこの攻撃で死ぬことはないだろう。死に場所を探していた父でもない限り。
そう、油断したのが良くなかったのかもしれない。
敵兵の中程に立つ、ローブのフードを目深に被った男──身長や体型的に多分男だろう──と、不意に目が合った気がした。
表情などほとんど見えていないのに、口元がにたりと歪められたのが分かる。背筋がぞわりと粟だった。
はやく、はやく、はやく──アゲートのスピードを上げる。
男が不意にすっと腕を上げ、ある方向を指さした。
「──なっ!」
その男の指差す先にいるのは──がむしゃらに敵兵を薙ぎ倒している、マルセロとフォンテだった。
フォンテは火砲を破壊するのに夢中で未だ周囲が見えていない。マルセロは味方の兵を避けながら、弓を使って攻撃も仕掛けている。やはりマルセロは強い。あの速さで移動しながら、不安定な状態で的確に弓を射るのは並大抵の技術では出来ないことだ。
しかし──あの男は間違いなく、魔術師。剣も弓も槍も持っていないからだ。であれば、未知の攻撃も可能だということで……。
その時、男はマルセロを指さしていた手をくいっと90度回転させて、まるで銃のように構えた。目を細め、にんまりと笑う口元が覗く。
──間に合え……!
男の指がくいっと撃ち上げられた。耳元で「バン、」と呟いた声が聞こえた気がする。
風のように飛び込んで、アゲートの身体でフォンテを横からドンと押した。フォンテはまだ子供だ。アゲートに飛行の勢いのまま押されればひとたまりもない。背中からマルセロが吹き飛ばされるのが見えた。着地点付近にはフィリベルトがいるから、きっと受け止めてくれるだろう。
「──っ!!」
胸に痛みが突き刺さる。
見下ろしてみても、矢はおろかなんの傷も付いていない。けれど、心臓が鷲掴みにされたかのような激しい痛みだ。
「……こ、れが……魔術……」
地上ではイグナツィオがフードの男を捉え、拘束している様子が見えた。アゲートは勢いを殺してゆっくりと地面に降り立つと、不安気にジェイドの顔を舐めた。
「団長……! ごめ、おれ、あ……あ……!」
「マルセロぉ! 動けるなら残りもさっさと片付けて来いっ!」
「う……ぁ……りょうかい……っ!」
やはりイグナツィオがいると頼りになる。血の気を引かせたマルセロが、それでもしっかりした足でフォンテに跨り、もう残り少ない敵兵を無力化していく。あいつもすっかりうちの主要戦力だ。
「おい、団長に何をしたぁ! 吐けぇっ!!」
「ふ、ふふ……あの無敵の男が死んだらこっちのものだと思っていたんですがね……その息子もこれほど強いとは……」
「当たり前だろうがぁ! アルベルティを舐めるんじゃねぇぞぉ!」
「見た目に反して……あなたもなかなか……」
地面に男を押し付けたイグナツィオが膝で男の背をぐいと締め上げながら、縄を巻いていく。魔術師だから拘束は意味がない可能性もあるが、ジェイドが何をされたか分からない以上殺してもいいか躊躇っているのだろう。
しかしそれではずっと爆発物を抱えているのと同じようなものだ。こんな痛みを全員に与えられては、流石にアルベルティの騎士達でも戦闘不能になってしまう。
「……イグナツィオ……いい、殺せ……」
「団長ぉ……」
イグナツィオの瞳が揺れる。こいつがこんなに迷うなんて、珍しいものを見られたものだ。
しかし一瞬の後、腰から短剣を抜いて男の首の後ろにひたりと当てた。
「……あれが何か、お教えしましょう。愛するものを、殺す呪い、ですよ……ふふふ、面白いでしょう。良かったですね……あなたは痛みは感じるでしょうが、死にはしません……愛する者を自らの手にかけるのは一体どんな気持ちがするのでしょうね……!」
「愛する、者……」
「はは……ははは……っ! 最強とも名高い竜騎士が! 愛故に絶望するとはなんと面白い! 私が殺さずともお前達は勝手に死ぬのだ! 愛などというふざけたもののために!!」
「……やれ」
肉が断ち切れる音と共に、男の笑い声も消え去った。見渡せば敵兵は皆討ち取ったか拘束済みで、動ける者は残っていない。アルベルティの騎士達も怪我は負っているものの、幸にして命まで取られた者はいないようだ。流石、日々苦しい訓練に耐えているだけのことはある、皆自慢の部下達だ。
「……団長」
「イグナツィオ……お前がいてくれて助かった……」
脂汗がたらりと流れる。術者が死ねばもしくは、と思わなかったとは言えない。しかしあの男が死してなお、心臓の痛みは消えなかった。
「俺はここに残る……呪いが本当ならば……邸に戻ることは出来ない」
「そんな……そんなこと出来るわけないじゃないですかぁ!」
「はは……後の処理を全部お前に任せるなんて……さすがに鬼畜すぎるよな……ジャンにも手伝ってもらえ……」
「──別邸を……離れか何かを、用意しましょうよ? 会わなければいいじゃないですかぁ! 現に、ほら、僕たちは今こうして生きてますしぃ!」
「……俺はアルベルティの男だ。愛する者に……コーラルに会えなければ、狂って死ぬだろう。しかし、コーラルに会えば……俺はコーラルを殺してしまう……どちらにしても俺は、死ぬんだ」
愛したくないと思っていた。アルベルティの呪いに呑まれたくない、と。父のようになりたくはないと。
「──それでもコーラルを愛さなければ良かったとは、思わないから」
「……絶対に、諦めませんからねぇ!」