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第十二話 嫉妬と赤珊瑚と

「そう、それもこれもオクサマのおかげだよ」


 突然、背後から気配を感じ振り返れば、そこに立っていたのは白衣姿に金髪碧眼の美丈夫だ。


「リベラトーレ先生!」

「あれから腕はどうだ。見せにも来なかったようだが」

「リベラトーレ先生の処置が良かったのでしょうね、すっかりよくなりましたわ」

「ふぅん……どれ、見せてみろ」


 リベラトーレが一歩進み出て、コーラルの腕を取ろうと手を伸ばす。するとジェイドがその間に入るように身体を入れて前に立った。


「コーラル、紹介してくれるか?」

「あ、ええ、こちらは診療所のリベラトーレ先生です。馬車の暴走事故の際にお世話になりました」

「リベラトーレだ」

「リベラトーレ先生、こちらは私の夫のジェイド様ですわ」

「ジェイド・()()()()()()だ。腕の良い医者だと聞いた。これからも領の為に手を貸して欲しい」

「アルベルティ……なるほど」


 ジェイドもリベラトーレも長身で、見栄えのする見た目をしている。その2人が向かい合って、妙な緊張感を漂わせながらがっちりと手を握り合った。街ゆく若い女性などはその様子を遠目に見ながらきゃあきゃあと騒いでいるようだが、隣に立つコーラルとしてはなんだか背中がぞわりとするような悪寒を感じてたまらない。


(だって、どう見ても痛そうだわ)


 2人とも満面の笑顔ではあるようだが──ぎゅうっと握られたあれはもはや握手とはいえないのでは? さらりと流した黒髪に翡翠の瞳が涼やかなジェイドと、艶やかな金髪に少し目尻の垂れた甘い顔のリベラトーレ。そりゃあ、輪の外から眺めるだけならさぞ目の保養になる絵面だと言えよう。竜騎士のジェイドは身体も鍛えているし、肩幅も広く、脱げばがっちりと筋肉が付いていることをコーラルは知っている。けれどそのジェイドにあれほどしっかりと握られても涼しい顔をしているリベラトーレも案外鍛えているのかもしれない。確かに先日の事故の際も、あちこち駆け回って息を乱す様子もなかったのだから。


「……さすがの竜騎士サマといったところか」

「……医師にしてはやるな」


 拳で語り合うとか、男性同士そういうものもあるのだろうか。コーラルにはわからないコミュニケーションが終わったようだ。


「それで、ほら、腕を見せてみろ」

「え──」

「いや、結構だ。コーラルの怪我はうちでしっかりと診ている。君の心配には及ばない」

「──は、器の小さいことだ」


 腕を見せるべきか躊躇ったコーラルを、ジェイドがきゅっと隠すように抱き込める。もちろん()()()()()の際に触れ合うことはあるけれど、そうではない時にこんな風に近付いたことは今までになかったことだ。なんだかそれがとても恥ずかしくて、くすぐったくて、顔に熱が集まってくるのを感じる。


「……ジェ、イド様──っ!」


 恥ずかしくて、離して貰おうと上を見上げれば、想定より近くにその凛々しい顔があってたじろいでしまう。


「……コーラルは俺のだ」


 どこか拗ねたように呟かれたそれは、コーラルにしか聞こえないくらいの小さな声であったけれど。

 10歳年上で、騎士として日々の勤めを果たし、また領主として多くの民を背負うこの逞しい人が──


(なんて可愛いひと)


「……なんだ、案外よろしくやってるんじゃないか」


 はっと横を見れば、眉を寄せてため息をつくリベラトーレの姿。そう、側からみれば今のこの状況は、ジェイドに抱き締められているわけで。ここは人通りもある街中なのだ。

 羞恥にそっとジェイドの胸を押せば抵抗もなくその抱擁は解かれて、見上げたその顔は既に感情を映さない()()()()だ。唯一抱かれたままの腰に添えられた手のひらだけが、彼の熱を伝えてくる。


(勘違い──よね。きっと、そうだわ)


「ろくに交流を持つこともない、所詮政略上の関係だろうと思っていたんだがな。まあ──オクサマは肝も据わっているし、()()()()()()()も俺の好みだ。ダンナサマに飽きたらうちに来い、雇ってやるから」

「え──?」


 ──好み、飽きたら……雇って……? 言われた言葉が理解できなくて、咀嚼していると、腰に添えられた大きな手がぴくりと震えた。


「なんだ、口説かれたこともないか? ますます初心で可愛いじゃないか。なぁ、もうこのまま俺の所に来いよ、その朴念仁より余程可愛がって──」

「貴様──っ」

「お断り、致します」

「……は?」

「ですから、お断り致します。私はコーラル・()()()()()()。このアルベルティの領主夫人ですわ。そして誰よりも尊敬する領主であり、竜騎士であり、唯一の夫たるこの方がジェイド・アルベルティ。私は夫の側で、この領の為に身を捧げると誓ったのです。なのでリベラトーレ先生に仕えることはできません。あ、もちろん手伝いくらいでしたら、可能な時はいたしますわ。確かに街が活気を取り戻せば、医療の重要性もまた増すでしょうしね。そう、そうよね……人流によって、経済もそうだけれど伝染病なんかの病も動くはずよ。そうなると、子供たちの栄養状態だって気になるし……もう少し予算の配分を変えて……」


 医療分野の問題点に関しては前々から考えていたことでもあったため、リベラトーレの言葉をきっかけに様々な改革案が浮かぶ。それらをつい、うんうんと考えていれば、腰をくいっと引き寄せられた。いけない、これ以上出過ぎた真似はしないと決めたのだった。


「──?」


 見上げれば、翡翠の瞳がこちらを見下ろし、ジェイドの口端は僅かに上がっていて。きらりと光ったその目はどう見ても愉快だというように細められているのだ。


「そういうわけだ。俺の()()()()は渡してやれない。診療所の手が足りないようなら援助しよう、申請書を出してくれ。──それから、この美しい髪は、()()()()()だ。……では、失礼する」


 コーラルの腰を抱いたままジェイドはくるりと踵を返すと、やや早足でその場を後にした。なんとか首だけ振り返り、ぺこりと頭を下げる。

 残されたリベラトーレはしばしポカンと口を開けたままでいたが、数秒の後「ぶはっ」と吹き出しながら破顔した。


「──いやぁ、愉快だ。やはりここに来て正解だったな」



 リベラトーレは元々侯爵家の次男として生まれた。家は代々医師の系譜で、特に祖父は王宮に仕えるほど腕のいい医師だったそうだ。祖父と祖母の間には男子が出来ず、後継の長女に婿入りしたのは祖父の部下の息子であったリベラトーレの父だ。父も腕がなかったわけではないようだが、祖父と、その教えを幼少期から叩き込まれた母と比べると幾分見劣りする部分もあったのだろう。家でたまに見かける父は肩身が狭そうに、そして常に眉間に皺を寄せて不機嫌そうであった。

 歳の離れた長兄が既に後継として仕事を割り振られていたため、リベラトーレはさほど気にされることもなく自由に育った。だからこそ、その頃は現役を退いた祖父の元で昔の話を聞いたり、手遊びという名の医術を知らず授けられていたことを家族は知らない。

 祖父が死ぬと、父はそれまでの鬱憤を晴らすかのように態度を変えた。あの祖父よりも自分はうまくやれるのだと誇示するように、金を、権力を欲した。患者は貴族に限られ、時間と手間のかかる重病患者は拒否した。その代わり、金持ち病とも言われる肥満や酒の飲み過ぎの患者を積極的にとり、豪華な病室で治療という名の接待を施し、多大な金を取っていた。門前で死にそうな子供が泣こうが、痩せ細った女が倒れようが、ゴミを捨てるのと同じように処理して終わりだ。

 医者とはなんだ。俺が身に付けたものは、一体何だったのか。くだらない、と思った。馬鹿馬鹿しい、と思った。せっかく祖父が色々な知識を授けてくれたのだ。こんなくだらないところにいても、それらを使う日は一生涯訪れない。──それなら、出て行けばいい。

 困っている人を助けたいとか、命を守りたいだとか、そんな崇高な思いを抱いていたわけではない。ただ、自分に出来ることがあるのか確かめたかっただけだ。その為には、患者が多くいるところがいいだろう。そう思って、この辺境領に身ひとつでやって来たのだ。思った通りここには治療を必要とする人が溢れかえっており、リベラトーレは自身の知識と腕を思う存分に振るうことが出来る。もちろん助けられない命もあるし、力不足を感じることもある。

 ただ、くだらないとは思わない。さほど稼ぎも多くないし、生家にいる時のような贅沢な暮らしは出来ないけれど。そんなものより、ここでの暮らしは面白いと思う。

 あの血のような赤毛の女もそうだ。実家にいる頃は、その地位や権力に惹かれて集まってくる女はごまんといた。この地に居を移してからは、この顔に惹かれて同じように女が擦り寄ってくる。健康な成人男性としてそれなりの欲はあるし、その辺は適当に処理すれば良いが、本当の意味で興味を惹かれる女はこれまでひとりもいなかった。

 それが、どうだ。市場のばばあでさえ頬を染めるような微笑みを向けようが、少しも心を揺らすこともなく平然と受け流してみせる。()()()()()()()()()()()などと言う仮初の夫など敵にもならないと思っていたのに、腰を抱かれただけでああも可愛らしく頬を染めて見せたのだ。


 別に、人の大切なものを取り上げるような趣味があるわけではないが。


「──とんだ当て馬にされてしまったようだな」


 へたれの領主に思うところがないではないが、あの若い男は3年前の戦でも脅威的な活躍を見せているし、急な領主の交代にも関わらず良く街を見て領を治めていることは確かだ。それならば、この先も飽きることのない日々を送る為にも、あの2人には仲良くしてもらう方が得策だろう。少々惜しいが──。あの凛々しい黒髪のダンナサマとて、リベラトーレにとっては興味深く、人生を愉快に彩ってくれるスパイスなのだ。


「ここは……いい街だしな」


 寄り添って歩き去った夫婦の後ろ姿は既に雑踏に消えていた。

 荒れた石畳は少しずつ修繕がなされ、壊れた家は綺麗に建て直されている。かつて大砲が据えられた広場には花が植えられ、店を失った者達は簡易テントで市を出す。教会の炊き出しで振る舞われるようになったシチューは、浮浪者の栄養状態を格段に改善させた。疲弊した街はこれからどんどん復活していくことだろう。

 まだまだやるべきことはあるようだ。

 ──診療所(いえ)に、帰ろう。踏み出したリベラトーレの足は、これまでになく軽い。あの領主夫婦がこの地を治めている限り、暮らしに飽きることはないかもしれないな、と思う。


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