亡霊たちが「釣り野伏せ」を仕掛けてきた(夏のホラー2023『帰り道』、5000文字)
釣り野伏せ戦法に掛かっておびき出されると、帰り道が無くなるわけで……。
夏のホラー2023『帰り道』2作目です。1作目と違って気楽に悪のりして書いた作品です。
俺は準備を整え、木崎原(宮崎県えびの市)に向かった。亡霊と闘うために。
木崎原の戦い(1572年)は島津(薩摩)の桶狭間とも言われている。勢力を拡大する伊東(日向=宮崎県)に対して、兵力差1対10を引っくり返して勝り、島津の快進撃の発端となったからだ。勝因の一つが、この戦いで初めて(意図せずにだけど)使った「釣り野伏せ」戦術だ。
「釣り野伏せ」は、釣りと包囲という面が強調されるが、犠牲者が一番多く出るのは退却時で、その帰り道を非常に危険にさせる戦術だ。にもかかわらず、そんな地形に誘い込む「釣り」が見破れないのは、「将官使い捨て」すら辞さない計略だから。
普通、戦闘開始の際は退路も考えるが、激戦の末に敵の将官を討ち取った時は、気分が高揚して敵の敗走を追討ちしてしまう。そして帰りの困難な地形に深入りしてしまう。
「将官使い捨て」が最も発揮されたのが、耳川の戦い(宮崎県児湯郡 1578年秋)だ。その際に使われた「釣り野伏せ」で泡食った大友軍(豊後=大分県)は、帰り道を求めるうちに、将を含めて大量の犠牲者を出した。
その後、島津の「釣り野伏せ」は沖田畷の戦い(島原市 1584年)や戸次川の戦い(大分市 1587年)でも猛威を奮い、有力武将が多く打ち取られた。それで戦死した兵や将、更には敗戦で没落した大名たちが、死後にこぞって亡霊になったらしい。「釣り野伏せ」を見破ってさえいれば、という心残りで。
らしい、というのは、相手と会話が成立しないから。真相はもちろん闇だ。
亡霊の集まる場所は木崎原。そこでの戦いで、伊東が順当に勝っていたら、その後、島津の餌食にならなかった筈だろうということで。
その木崎原、というか、木崎原を含む一帯に俺はこだわっている。何故なら俺の理想の別荘地だから。
* 食肉・野菜・焼酎の覇を競う宮崎と鹿児島の境にあって、果物もりんごと梨以外がそろう飲食の極楽。南国で不利とされる米すら、えびの産の「ひのひかり」は一級品だ。
* 霧島連山という絶景と温泉があって、都市化がないから猛暑も少ない。
* それでいて、九州自動車道の本線と宮崎線の分岐点近くで、南の玄関鹿児島空港にも近いという交通の便。
* 自転車の好きな俺には、有名な加久藤峠のループ橋(国道221号線)もある。ループで峠を登り、1800mのトンネルで峠を越え、ループで峠を下るのだ。
* 鉄道ファンなら真幸駅のスイッチバックとそこからの眺望を思い起こすだろうか。
だから俺はそこに別荘を建てるべく何度の足を運んでいるが、毎回、木崎原の亡霊に霊障を受けるのだ。
ある時は美人の姿で誘惑され、ある時はスリの子供を追いかけて、またある時は犬に追いかけれて、気がついたら古戦場。三方から古武士の亡霊が大量に出てきて、帰り道も塞がれて、俺は気を失ってしまう。その時のスリの子供はいうと、その手にしていた俺の財布は幻覚で、気付けば財布はポケット内にあったし、犬もその吠え声も幻覚だった。
要するに「釣り野伏せ」なのだ。
こりゃ、俺の野望=別荘のために退治しなきゃならない、と思って寺社教会に駆け込んだが「信心が足りません」と追い返されるか、さもなく信徒(=不信心者の俺にとっては財布と票)になることを薦められるか。
それで俺は我流で戦力を揃えた。
各カルト・原理主義者のタカ派を集めたのだ。敬虔な信者で、かつ洗脳の得意な連中だ。彼らなら囲まれても戦意を失わずに亡霊の洗脳に専念して、亡霊に自己満足の幸せを得させるだろう。あなたの敵はあの世です、と。そうなったらこっちにもの、現世への帰り道はありませんよ、ってな具合で。
集めるのは雑作なかった。「宗教活動の自由」党を立ち上げただけだ。その公約は、全てのカルト並びに原理主義者の活動を「自由競争主義」のもとに全て認めるというもの。憲法20条は第1項で信教の自由を保障しているが、同時に第2項で「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」とも書いていて、宗教活動はグレーゾーンだ。それを出来る限りシロ判定しようというものだ。
党是で禁止するのは、不信心者の殺傷のみ。不信心者からの金銭集めや、洗の…もとい宗教活動はもちろん、お互いの潰し合いも自由。要するに某超大国の宗教政策や悪質系ヤクザと同じというわけだ。
計算外だったのは、この党が政権入りにまで登り詰めたこと。現代の低投票率の時代、投票率の下がりきった選挙区だと宗教票と情報操作のみで議席を穫れてしまうのだ。
でも、俺の目的は栄耀栄華でも富国強兵でもなく、木崎原の亡霊を潰すこと。俺の別荘とスローライフのために。権力は寧ろ邪魔だ。とはいえ、権力は便利で、俺は亡霊退治の戦力に各カルト・原理主義者のタカ派を集めることが出来た。今回の戦いの功績によっては、そのカルトに「グレーの行動を白に認定する」という餌で。
こうしてやってきた決戦の日。
亡霊たちは、こちらの布陣を見て、戦いの姿で登場している。その先頭らしきは伊東・大友のトップの伊東義祐と大友宗麟。顔を知らないのに、何故だか頭に入って来るのは、さすが亡霊。
伊東義祐は戦死こそしなかったが国を失った。といっても、木崎原で自軍が負けて、島津と伊東(日向=宮崎県)のバランスが崩れても、それを軽視して贅沢にふけったのだから、自業自得だ。最後は数十の味方のみで九州山地沿いに逃げて大友に頼ったという。
そんなの、ほっときゃ良いのに、大友宗麟は伊東支援の名目で、それまで友好関係にあった島津と手を切って、日向の国に侵攻した(1578年春)。その本音は、日向にキリスト教の国を造ることで、その証として侵攻中にほぼ全ての寺社仏閣を壊すという、ISやタリバンも真っ青の文化財破壊・文化破壊行動をとっている。だから宮崎北部に、戦国時代以前の文化財や古文書はほとんど残っていない。
ちなみに同行した宣教師たちはそれを諌めもしなかった。それが当時のイエスズ会の本質で、実質的に、スペイン帝国フェリペ2世による日本植民地化の第一歩だった。侵略に宗教は要らないが、反乱を防ぐのに宗教は極めて有効で、イエスズ会の元に文化が徹底的に破壊されたフィリピンでは、植民地が延々と続き、アメリカに移譲された時すら独立運動が起きなかった。
それを思えば、大友と島津が激突した耳川の戦い(1578年秋)は、日本(の一部)がフィリピンの二の舞になるかならないかの瀬戸際の戦いでもあっただろう。大友の敗戦でスペインの野望は一旦停止となり、その後、有馬を使って生き残った野望も、天草の乱で終止符が打たれた。
文化財破壊・文化破壊の匂いを嗅ぎ付けたのだろうか、耳川の戦い(1578年秋)の敗戦後、大友は多くの家臣が距離を置きはじめている。要するに大友の没落は、敗戦そのものより、その前の傲慢な態度が本当の理由だが、没落した大友宗麟の亡霊にそんな理性が残っている筈も無く、敗戦を引きずって成仏出来ていないのだ。それは伊東義祐も同じ。
そんな2人が亡霊軍の先鋒だ。「釣り野伏せ」の「釣り」の餌には勿体ないぐらいの大将級亡霊だ。そんな難敵の回りには雑兵すら沢山いる。
対峙する味方は、準幹部級のカルト員や原理主義者たち。片や甲冑の連中が槍を突き刀で切りかかり、片や数珠・十字架・聖典等・メガフォン・液晶ディスプレイを手に洗脳・浄化に努めている。そこは壮烈な戦場だった。
時間と共に敵将・敵兵の影が次第に薄くなっているが、味方陣営も、切られる度に、突かれる度に、怒りの表情が強まっているように思える。そっか、俺は初鼻で気絶してたから、怒りに染まらなかったのか。
そうこうするうちに、敵将の一人が消え、代わりに信者の一人が洗脳用語でなく、戦闘用語を使うようになっていた。それでも亡霊を相手にしていて損失はない。数人、膝に手を置いて息をついて味方はいるものは、交代要員が前に出ているので、戦況は優勢だ。
そう思った矢先、脱落者が出た。戦闘脳になった奴が、別のカルトの連中を物理攻撃し始めたのだ。その隙をついて、伊東義祐の亡霊が俺に斬り掛かった。刀で切られると目を瞑った瞬間、血しぶきが皮膚に当たる感触がした。あれ?
その感触で目が覚めた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
気が付くとモーターボートの中だった。感触は波しぶき。
そうだった、さっき、エンジンを再起動させようとしたところに、目の前でカモメが魚を穫って、それにビックリした僕は後頭部から板座席の角に頭をぶつけて、気を失ったんだ。思い出して、慌てて座りなおすと、大海原で方向が分からない。さっきまでは陸地がかすかに見えていたのに。
エンジンが止まった場所は、透明で底が微かにみえる穴場。ただし、陸地が僅かに見えるだけの沖。
南洋の島国には、モーターボートの貸し出しが恐ろしく安くて簡単な所がある。一応日本の免許も持っている俺は、当然ながら借りた。だが、整備不十分だったのか、その穴場でエンジンが止まったのだ。そしてかけ直そうとして、事故った。
ほとんど真上の太陽は、地形に不案内なことも加わって、方向推定に使えない。とりあえず、どのくらいの時間が経ったのか、と携帯を見ると、濡れて使えなっている。ということはコンパスも使えないということだ。
遭難中。帰り道なし。
それにしても変な夢をみたものだ。その夢に先行きの非常を覚える。船から落ちたらサメに食われるのではないかとか、天気予報に反して雷が落ちるのではとか。
そういえば、このあたりはイルカやシャチが出るらしい。ボートに当たって転覆したら嫌だなあ、と杞憂の考えていたら、杞憂じゃなかった。ドンと音とともにボートがぐらついて、俺は波しぶきを受けながら、再び頭をぶっつけた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
肌に水が当たる感触で、再び意識が覚醒した。聞こえるのは海の音ではなく、合戦の音。そして俺は尻餅をついている。
目の前に迫った敵武将を、味方の某原理主義者が、本で殴っている。聖書かコーランか経本かは分からないが、どうもそういう類いらしい。
回りを見ると、いつの間にか、三方を敵に囲まれている。佐伯等の大友配下の猛将に、龍造寺の四天王、長宗我部親子らだ。
いつの間にか「釣り野伏せ」に掛かっていたらしい。先鋒撃退後にゆっくり警戒しつつ前進する筈だったのに、亡霊はこういうのがあるから怖い。
そのせいか、さっきまでの優勢が崩れ、乱戦になっている。それだけではない。時間と共に戦局が悪化しているのだ。その原因は増え続ける戦闘脳。彼らが味方をも攻撃しはじめて足を引っ張っている。まさに内紛。大友宗麟の二の舞だ。
どこもかしこも、敵の亡霊か、さもなくば恐ろしい形相の味方たちだ。駄目だ、こりゃ。
さらに戦闘5分ほどで、俺は敗北を悟った。
しかし帰り道は見付からない。どこも塞がれている。とはいえ、気絶だけはしないように気を張った。気絶したら、味方から見放されそうだから。総大将で不信心者の俺は、戦闘脳に変わった信者たちの攻撃の対象になりうるのだ。
ふと遠くを見やると、中世風の黒い上着とメダルをつけた、精悍なスペイン人っぽい男を見つけた。16世紀の西洋軍人らしき連中と宣教師らしき連中に囲まれている。スペイン国王の亡霊だろうか? 奴が黒幕らしい。
その瞬間、俺に何かが乗り移った。そして、俺の手が勝手に上がり、敵本陣の位置を、回りの「味方」信者陣営に指し示す。俺は、関ヶ原での「島津の退け口」を思い出した。どうやら、俺に乗り移ったのは、島津義弘のようだ。帰り道は真正面。フェリペ2世。
そこからは必死で覚えていない。ほとんどの味方は討ち取られ(というか戦闘魔に変貌し)、最後は俺ひとりだけが敵本陣の裏手の川に飛び込んで、そのまま潜水で上流に抜けた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
潜水をから息継ぎのために水面に上がったら、俺はボートのなかで水まみれになっていた。遠くにイルカかシャチが分からない海獣が数匹みえる。どうやら、まさかの衝突をしたらしい。それで船内は水浸し。
あれ? そうすると、さっきのはやっぱり夢? それともこっちが夢?
現世への帰り道が見付からない俺は、考えることを放棄した。ブラックアウト。
** あとがき **
えびの市は、えびの高原の方にしか止まったことがありません。
没ネタ:
俺は何故だか亀と帰り道で競争している。行きは始業時間が同じなので、仲良く一緒にだが、帰りはヨーイドンだ。それで俺が木崎原だの大海原だの変な夢を見ているうちに、亀は半分ほど行ってしまった。
ふん、おれはアキレスとちがって騙されないぞ。そう思いつつ追いかけるのだが、段々、体感時間の歩みが遅くなって、俺も亀も遅くなっている。あれ、これ、俺が眠くなるまでの追いつくのだろうか? 帰り着くのだろうか?
その時、頭に亀の声がした「追いつけないと、永遠に夢の中だよ」
亀の時の歩みは遅い。俺は帰り道が何十年続くのかを思い、途方に暮れた。