桜の木を巡る7つの陰謀論(春の推理2022)後編
梶井基次郎が『 屍体が埋まってゐる』と語った桜の樹の種類が何であるか?
『学名としての桜は、日本では基本10系統に、その派生100種と言われていますが、梶井基次郎がそんな無粋なことを考えるはずも無く、昔からなじみのあった桜として認識していたはずでしょう。となれば、山桜、実桜、寒桜、彼岸桜、八重桜、しだれ桜、ソメイヨシノなどでしょうか』
「おい、それだって無粋だぞ、読者の想像に任せるものだろうが!」
「野暮さでは五十歩百歩!」
まあ、当然の反応か。
『では、こう言い換えましょう。この散文詩……人によっては短編心情小説と呼ぶ方もあるかも知れませんが……その本文から想像するのはそんな桜でしょうか?』
有名な冒頭の句だけでは分からないが、本文を読むとイメージがあちこちに散りばめられている。
『また創作論という立場なら、どういう桜を見たら、あんな散文詩が書けるのか、という疑問になりますし、実際の執筆の際に浮かんだ桜のイメージはどんな桜か、ということにもなります』
「全体像だけじゃないの? 樹の大きさとか、枝垂れているかどうかとか、季節とか」
「いや、それはないよ。『桜の樹の下には』では、花弁や雄しべ、雌しべも語っているから」
常連だけあって知識も豊富で、こっちが話す前に答えてくれるのはありがたい。
『まず、冒頭部分の『あんなにも見事に咲くなんて信じられない』『あの美しさが信じられない』という表現に見合う桜だということです。さらに中ほどで告白される『俺には惨劇が必要なんだ』『俺を不安がらせた神秘』という表現。作品の発表が、1928年、昭和3年であることを考えれば、本命は伝統的な美しさを誇る枝垂れ桜……』
神秘と言えば神様かお化け、惨劇と言えば怨霊か禍つ神。私なら、いずれも柳のように枝垂れた樹木を想像してしまう。
ザワザワ。会場に小声の囁き・呟きが生まれている。
『対抗は、屍体が栄養になるというイメージから実桜でしょうか。もっとも、美しいとか、神秘というイメージには合いませんが』
ザワザワザワ。囁き・呟きが拡大して行く。
『大穴はソメイヨシノ。江戸時代の園芸品種で、その美しさから、あちこちの植え始められたはずです。それでも大穴なのは、この散文詩の最後に『あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たち』という表現があるからです』
ソメイヨシノは村に広場でなく、街の公園相応しい。今から百年近く昔の話なのだ。さらに、酒盛りに合わないという理由で、日本で一番古く万葉時代から愛された山桜は候補にもあがらない。
ザワザワザワザワ。会場がさらにざわめき、音が桜吹雪のように柔らかいに襲ってくる。
それらにひとつひとつ耳を澄ますと
「現代的には、真っ先にソメイヨシノを思い浮かべるけどなあ」
「対抗は八重桜かと思った」
などと言った声だ。皆さん、それぞれに好きな桜が種類が違う。当然とはいえ、予想通りなのは嬉しい。
『そういうわけで、普通に推理すればしだれ桜なのですが、これを陰謀論の視点から考えると異なる答えが出て来ます』
さすがに聴衆も一瞬きょとんとした。もっともそれは一瞬で、常連さん達はすぐさまニヤついた顔になる。期待を感じる。
『答えはソメイヨシノ。その理由はこれが尋常でない品種だからです』
ソメイヨシノが他の桜と異なる点は、世界中の総てのソメイヨシノが同じDNAを持っていることだ。初代の1本こそ交配で作ったものの、自力で子孫を作れないから、挿木と接ぎ木のみで増えてた。それだけではなく、挿木・接ぎ木・成長の過程でほとんど突然変異を起こしていない。
『挿木のみで増えた樹木に、日本の金木犀があります。原産は中国雲南省です』
「あの雲南省?」
「宇宙人基地があったという?」
常連さんの中のSF好きが、さっそく反応してくれた。そう、米や小麦のみならず、多くの植物の原産地でもあって、大昔に宇宙人が植物改造実験を行なったのではないか、という説すらある。というか、私はその陰謀論が大好きだ……信じてはいないが。
『日本に来た苗が雄株で、挿木で増やすしかなかったそうです。にもかかわらず金木犀の開花は樹によって異なり、ソメイヨシノのようにクローン的な一斉開花となりません』
ソメイヨシノはそのくらい極端なクローンなのだ。もしかすると、世界中のソメイヨシノが同一意思を持っているのではないかと思われるほどで、そういう意味では『不安になるほどの神秘』と言えよう。
『ここまで同一性の高いクローンともなると、世界に一体しか存在しないという見方も出来るのです。それは世界中に根を広げ、江戸時代から延々と生き延びている……そんな想像すら浮かんできます』
常連さん達は相変わらずニヤニヤしているが、新人さんは、ぽかんとしている。ここまで荒唐無稽な想像となると、野次を出すことすら忘れてしまうのだ。
『荒唐無稽な考えかも知れませんが、このような幻想的感覚こそが『桜の樹の下には』で梶井基次郎が表現した世界ですから、この作品を、ソメイヨシノが地球規模の生命体であるという視点でとらえることは、間違いではありません。そして、それを陰謀論の視点で見るとどうなるでしょうか?』
桜の寿命は50〜60年と言われる。しかし、梶井基次郎の世界では、世界単一体としてのソメイヨシノだけが、悠久の時を生きる。
『本来の寿命を越えて長く残ったモノには付喪神が生まれるといいます。それは樹木も同じ。ならば、ソメイヨシノはとうの昔に神様になっていてもおかしくありません。
植物は肥料を必要とし、桜も例外ではありません。ヒトを含む動物の屍体は最高です。もしもソメイヨシノに意思があり、屍体を求めているとしたら?』
野暮な言い方をすれば、ソメイヨシノという植物が、自分の繁殖のために、屍体を貢ぎたくなるほどに美しくなったという進化論的な話に落とし込める。でも、そういう科学的思考をしたところで、付喪神という人格を与えるの結果は同じで、それなら付喪神と考えた方が人生が楽しいではないか。
『例えば、その美しさで人を魅了して、不注意からの事故を起こさせる、とか
例えば、花見に最高の花を咲かせて、酒乱による事故を起こさせる、とか
例えば、美しいから植えるという洗脳で、木陰を減らして熱射病を増やす、とか
そして、梶井基次郎を通して、桜の樹の下にペットの墓を作ることを推奨しているのかも知れません』
他にも色々想像できるかも知れないし、常連さんなら確実に思いつくだろう。だが私の役目はここまでだ。
『ソメイヨシノの付喪神の仕業。それが今日紹介する最後の陰謀論となります』
ヤジが飛びかかったが、ここは一気にまとめよう。
『このように、陰謀論というものは、謎さえあれば、いや、謎がなくても簡単に作れるものなのです。どの陰謀論にも引っかからないのが一番の理想ですが、それは非常に困難です。ならば敢えてファンタジーな陰謀論を信じることで、他の陰謀論を排除するのも一つの方法かも知れません』
当然のようにヤジの騒音で会場が埋まった。
「じゃあ、せんせーはオカルトを信じるのが良いっておっしゃるんすか?」
「ひでえ結論だ」
騒音に負けないよう、最後の挨拶だけはきちんとしておく
『本日は私の話にお付き合いください下さり有り難うございました』
ヤジに乗って、質問・コメントが大量に出掛かったが、幸い、司会が直ぐに遮ってくれた。
「時間ですので次の講演に移らせて頂きます。題は『流れ星に関する8つの陰謀論』となります。○×△先生、よろしくお願いします」