あなたの悪夢、買います(冬の童話2024『夢』 4000文字)
悪夢を見る度に、夢の中で窮地に陥った自分を救ってくれる人が来て欲しいと思ったり、悪夢自体をなくして欲しいと思うのは、小学3年生の主人公にとって自然な「夢」だ。そして、人類はそういう装置を手に入れた。
昨晩は悪夢を見た。見たあとは、いつも嫌な気分になる。
先日、同級生が話していた。
『悪夢の中に入って、助けてくれる装置』
を思い出す。その時はホラだと思ったけど、あったら便利だと思っちゃった。
そこで朝食の時に家族に聞いた。ただし、ストレートに訊いて、実は同級生のホラだったってなると恥ずかしいので、言い方は変える。
「ねえ、なぜ悪夢を見るのかな?」
もしも、そんな悪夢から助けてくれる装置があるなら、この答えのついでに教えてくれるだろうから。
でも、それは期待はずれだった。
食後のコーヒーを飲んでいるお父さんは
「ユングという偉い先生がいて……」
と訳の分からないことを言い出す。通訳を求めて、お兄ちゃんのほうを見ると
「人は誰でも、なにか不安があると、それから連想されるような悪夢を見るんだ」
と説明してくれたけど、そこまでだ。
そこにお母さんが口を挟む。
「どうせ変なアニメかゲームで怖い思いをして、悪夢を見たんでしょ!」
ヤバい、この流れだと
『だから言ったでしょ、お母さんの薦めるアニメだけにしなさいと。ゲームも○○○○以外は駄目』
と言い出すに決まっている。逃げ出すように
「学校いってきます」
と席を立った。
お兄ちゃんも同時だ。とばっちりを食うって分かっているから。
『だいたいお兄ちゃんが手本を見せないから……』
と。
お母さんから逃げるように家を出たので、ちょっと早めに学校についた。例の
『悪夢から助けてくれる装置』
を知っているという子はまだ来ていない。
とりあえず、既に来ている同級生に水を向ける。
「昨日、また悪夢を見てさあ。ほんと、どうにかならないかなあ」
すると、一番物知りそうな子が
「そういえば、悪夢の中に入って、助けてくれる装置があるとか聞いたけど」
と返した後に、別の子が
「それ、うちの病院に入れた!」
と教えてくれた。
『快眠ちゃん』
という名前らしい。ちょっと詳しく知りたいな。
家に帰ったあと、同級生たちの話をお兄ちゃんにすると、詳しいことを教えてくれた。
「ウィキには、体温や発汗量を測って、悪夢の条件を満たしたら、AIが夢の中に介入するシステム、って書いてあるね」
良くわからないけど、特別な敷マットが必要らしい。VRとかいう奴なのかなあ。他には
『重篤患者の苦しみを和らげるために開発された』
『病院や養護老人ホームなど特定の医療・福祉施設のみが購入出来る』
等々(などなど)。なんだ、ウチらには関係ない装置なのか。
念のためにお父さんにも確認したいところけど、お父さんと話す時って、食事か団らんの時間で、どうしてもお母さんの耳にも入ってしまうから止めた。絶対にアニメやゲームを制限しようという話になる。これ、『やぶ蛇』とか言うんだよね。最近覚えた。
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快眠の秋になって『快眠ちゃん』のことをすっかり忘れた頃に、『快眠ちゃん』が個人で購入出来るようになったというニュースがあった。
お父さんは
「夢の中身を商売にするなんて、ヤバいなあ」
と言い、お母さんも頷いていたけど、良くわからない。それどころかニュースの意味が良くわからない。
お兄ちゃんに
「何が起こったの?」
とニュース解説を頼むと
「70歳以上の老人じゃないと買えないぞ。あと、生体認証って奴だから、僕たちじゃ動かせない」
とのこと。何がいけないのだろうか?
学校で『快眠ちゃん』のニュースへの反応を聞いたけど、最早、興味をもっている同級生はほとんどいなかった。きっと、お兄ちゃんが教えてくれた『消費しきった話題』とかいう奴なのだろう。
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新年度になって直ぐ、再びクラスで『快眠ちゃん』という言葉を聞くようになった。
そういえば、そんな装置があったよなあ、医療だっけ?
『どうせクラスのメンバーが変わったから、去年話題になった事を知らない連中が話しているんだろう』
と思っていたら、どうやら別の会社による『快眠ちゃんモドキ』が発売されたという話だった。
正確な名前は『ブレイン・アクティビティ・キット・アルティメイト』通称BAKUで、外国の会社が出している装置だ。
家でBAKUの話を持ち出したら、お父さんが悪口を言いはじめた。
「生体認証なしの装置を認可するなんて、どうせ外圧に負けたか、裏金が回ったかしたんだろ!」
言っている意味がまたも分からない。
こんな時はお兄ちゃんだ。
「買うのは大人に限るけど、こっそり使えば子供でも使えるからね。そんな時の悪影響を心配しているんだ」
「じゃあ、なんで、その生体認証ってのを止めたの?」
「臨床実験とかいう奴で、子供でも危険はないらしい、という結果が出たんだとさ。もっとも60歳以上での使用が無難という話だけど」
むかし、誰かが言っていたことをふと思い出した。
「関係ないと思っていたものが、急に身近になることってあるものだよ」
言われた時は何の意味だか分からなかったけど、今になって分かった。生体認証を外すってのがそういうことなんだ。
翌日、お兄ちゃんが『快眠ちゃん』の話を夕食の場で持ち出すと、お父さんが難しい説明をした
「臨床実験ってのは……影響を調べるものだ」
ちょっと長い説明だったけど、時々お兄ちゃんが分かりやすい質問をしてくれたお陰で、お父さんの話にしては良く分かった。
「実験だから、どうしても試す短期間が限られる。でも、この手の装置は、医療用以外だと、何年も使い続けるものだ。そんな長期の影響は、コロナワクチンですら分かってないぞ」
ワクチンと聞いて、それを受ける受けないで迷っているお兄ちゃんが反応した。
「15歳未満のRNAワクチンは、免疫系統の発達を偏らせる可能性があるって聞いた事があるけど」
「コロナへの免疫は上がっても、風邪など他の病原体への総合的な免疫が落ちる可能性のことだな」
「じゃあ、快眠ちゃんとかBAKUとか使ったら、悪夢への耐性が弱くなるってこと?」
「それもあるが、お父さんは、もっと深刻な悪影響を心配している」
「それって?」
「未だに分かっていない悪影響の可能性だ」
よくわからない。
こういうのを何って言ったけ、あ、『禅問答』って奴だ。
ともかく『長期間使用が危険かもしれない』ってことは分かった。
お父さんの言い分を、学校での「快眠ちゃん」議論で話したら、マセた子に反論された。
「その意見って、子供の新しい好きに、大人が眉をひそめるっていう、いつものパターンでしょ」
参考にならないや。彼女の反論自体が、そのまま『いつものパターン』の反論で、説得力ゼロだから。
でも、口達者な彼女に何を言っても(彼女曰く)『論破』されるので
「ふーん、そうなんだ」
と宥めるだけで済ませた。
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それから2年。『快眠ちゃん』や『BAKU』の推奨年齢制限はあっという間に60歳以上から25歳以上へ、そこから18歳以上、15歳以上、12歳以上までに下がった。コロナのワクチンが出来た時と同じだ。
新しいクラスはその話題で持ち切りだ。だって今年、その12歳になるのだから。そればかりか、兄姉が既に使っているという同級生だっている。
そういう同級生の話を聞くと、大抵が『より優しい人になった』そうだ。
悪夢を見なくなって、ストレスが減り、かつ睡眠時間も増えれば、そういう事だってあるだろう。
なるほど、人気が出るわけだ。
その証拠に
『あなたの悪夢、買います』
とか
『夢の助っ人』
というキャッチコピーの元、大々的な宣伝も始めている。
お兄ちゃんによると、宣伝をするのは、それだけ売れるようになったからだそうだ。
もっとも、お父さんは
「夢は中身はプライバシーの最後の砦だ。たとい悪夢であっても売り買いするものない」
とご機嫌斜めだけど。
そうなると
『どうやってAI助っ人が悪夢を悪夢でなくしたのか』
が気になる。
例えば火事の悪夢なら、火を速やかに消したり、ホースを手に持つなりするとか。
遅刻しそうな夢だと、親戚の叔父さんが通りがかって送ってくれるとか。
だが、誰も夢の中身までは覚えていないらしい。つまり、悪夢を解決して普通の夢に矯正すのではなく、悪夢自体を食ってしまうのが、『悪夢を中に入って、助けてくれる装置』の役割らしい。『バク(獏)』という名付けは正しいのだ。
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さらに2年。クラスの半数が『快眠ちゃん』や、その類似装置を使っている。
みんな優しいし、イジメもない。
兄貴によれば
「悪夢自体を食ってしまうということは、潜在思考に介入しなきゃ出来ないだろう?」
とのこと。
「つまり一種の洗脳なんだろうな」
至近の問題としては、中二病にかかる子も少なくなったということだ、遊び相手としてちょっと物足りない。
親父は
「奇抜なアイデア自体を消すと同時に、会社が集めているのかも知れん」
と訝っている。それは考え過ぎじゃないだろうと思ったら、
「情報収集はウェブやスマフォ以外の専売特許じゃないだろうし、悪夢買いますとは言い得て妙だ」
と兄貴が補足してくれた。
さらに2年。高校に上がったら、クラスで『快眠ちゃん』の類いを持っていないのは3人だけだった。我が家は時代から取り残されつつある。
ただし、使っていないからといって馬鹿にされることはない。ただただ、人に優しくする事を強制されるだけだ。そして、『快眠ちゃん』を使ってみるように薦められるだけだ。
そこに個性はなく、皆が皆、穏健な信徒達のように優しい顔をし続けている。
気になるのはそれだけではない。装置を発売した会社が急成長して、政界にも食い込んでいるのだ。
以前、お兄ちゃんが
「悪夢を買うって、AIで何か収集しているのかな」
と言った冗談が、冗談でない世界。
お父さんの警告は正しかった。
夢の中身はプライバシーとアイデンティティーの最後の砦。たとい悪夢であっても売ったり消したりしてはならない。