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九州大学文藝部 新入生歓迎号 2021

桜の微酔

作者: 麦茶

 一年生の時から今まで、五時間目の授業はいつも眠たかった。どうしたって眠い。お腹がくちくなれば眠りたくなるのがニンゲンなんだもの。家庭科の先生だってそう言っていた。だから、あくびが出るのも、こっくりこっくりしてしまうのも、仕方ないことで、今日も斜め前の席のオカノが一番先に泥になった。僕は一番後ろの席にいるから、皆がずるずる眠り込んで泥のかたまりになってしまう過程がよく見える。それを見ていたらいつの間にか眠ってしまうのが普段の僕だが、その日は五時間目が家庭科から変更されて国語になっていたから、なんだか違和感があってすぐには眠り込まなかった。窓際の、前から二番目の席をそっと見る。僕の好きなあの子は、眠ると砂のかたまりになる。黒髪がさらさらと風になびいて、椅子に細かな砂を落とす。それを見ると心がそわそわしてしまうから、僕はあの子が好きなんだろうと思う。


 窓の向こうでは大きな桜の木が何本も並んでいて、うすい桃色の花びらが霞のように揺れている。さくら、さくら、のやまも、さとも。みわたすかぎり、かすみか、くもか。あさひににおう。さくら、さくら、はなざかり。四階の音楽教室からだろう、間延びした歌声がひっそりと降りてくる。春はあけぼの。桜は、朝日に匂い立つ。昼間にこれほど綺麗なものが、最も美しい時間にはどうなってしまうのだろう。手元のノートと鉛筆がほかほかと暖まっている。春は、明るい。夏ほど眩しくないし、冬ほど暗くない。何も考えなくていいんだって、桜が教えてくれる。桜はいつでも美しい。それでいいんだ。


 国語の教科書を持った先生が、黒板の前でなめくじのようにうねらうねらと動き始めた。僕も眠いらしい。気づけば僕以外皆寝ている。隣の席の、真面目なヤマシタさんも泥のかたまりになって、滑らかな表面を春の陽にさらしている。とうとう先生はなめくじになってしまった。青白い巨大ななめくじが、身体を上下させてきょろきょろしている。皆寝てしまったから、きっと怒って教室を出ていってしまうんだ。しかしなめくじ先生は全く別なことを言った。


 君が選ばれたんだ。おいで。


 それは僕に向けて言ったに違いなかった。僕以外皆寝ているんだから。僕は立ち上がった。椅子を引いた時にかなり大きな音が出たのに、誰も目を覚まさなかった。なめくじ先生がぬめらぬめらと廊下を歩いていく後ろを、僕はとたとた追いかけた。廊下は静かで、並んだ教室の窓は閉め切られていたから、誰もいないのじゃないかとさえ思った。


 階段を降り、一階の渡り廊下を通って、体育館に着いた。先生が鍵をがちゃがちゃさせている。春の日差しが僕の頬を暖め、先生の背中を半透明にきらめかせる。何だろう、何か面倒な係仕事でもやらされるのかな。号令係とか、宿題を集める係とか。でもそのために体育館に来ることないよね。


 体育館に入った。がらんとしているが、天窓から光が入ってくるから明るい。


 君は戦うんだ。


 先生が振り返って言い、僕の手を指差すと、いつの間にか僕は銃を手にしていた。細長い、軽い銃で、宇宙海賊が宇宙警察と戦う時に使うのと同じものだった。ええっ。僕銃なんて使ったことないです。いいから。先生は僕の声を遮った。


 体育館の中に、ぞろぞろと人が入ってきた。逆光でよく見えないが、皆ゆらゆら揺れている。見えた。オカノがいる。ヤマシタさんもいる。僕の好きな、あの子もいる。皆寝てるんだ。泥や砂のかたまりのまんま歩き出して、ここまで来たんだ。わあ。僕は今から友達を撃つんだ。怖いな。あれは友達じゃないよ。先生が言う。あれは夢。夢のかたまり。撃つと、友達は目覚める。皆を起こすんだ。いいね。


 僕は恐る恐る、オカノに向けて銃を撃った。殺しちゃったらごめんな。葬式には行くから。銃は音もなく弾を発射した。オカノの身体に、ぱっと桜の花びらが散った。花びらはもやもやと広がって、オカノの身体を覆い隠した。うす桃色の霞が晴れると、そこにはもう誰もいなかった。夢からさめたんだよ。先生が言った。先生、それってつまり、この世界は夢の世界なんですか。先生は答えない。


 撃つ。桜が散る。消える。撃つ。消える。消える。消える。どろどろした集団は、それでも誰が誰だか区別できた。隣のクラスの委員長がいた。同じ通学路で帰る、顔だけ知ってる子がいた。全然全く知らない子もいた。まだ赤ちゃんみたいな一年生もいた。学校にいる人全員がいたと思う。ただ、先生はなめくじ先生一人きりだった。


 泥のかたまりになってしまった皆の中で、あの子だけはさらさらと砂をこぼしていた。最後にその子を撃った。とうとう誰もいなくなった。


 お疲れ様。ありがとう。じゃあ。


 なめくじ先生が言った。その手には僕のと同じ銃が握られていた。先生は自分の頭に向けて、銃を撃った。桜が舞った。先生だった桜吹雪が、僕の身体を包み込んだ。


 次に気づいた時には、僕は教室に戻っていて、僕だけが授業中に寝ていたと言って、皆笑っていた。その後どんなに探してもあの銃は見つからなかったし、先生はなめくじになっていた時のことを覚えていなかった。




 これが僕の思い出です。僕は今日で、この小学校を卒業します。でも、僕はきっとまだあの夢からさめていないんです。なぜって僕だけが、銃で撃たれていないから。桜になっていないから。僕だけ、取り残されたんです。でももう大丈夫です。いい解決法を見つけたんです。


 皆今までありがとう。忘れません。じゃあ。

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