第81話 決断
私は、自分は一介の兵士だから、事の重大性が認識できていませんでしたですむ人間ではなかった。タマラ少将は私がどんな人間なのか知っている。
でも、私はここを出て行きたかった。
この話は売れるはずだった。化学系の企業ならきっと飛びついて買うだろう。適当な弁護士をみつけて契約を結べば(確かにリスクはあるが)相当な額の金額をたたきだせるはずだった。
ここではみんなが私の話を知っている。どうせ人の口に上ったりするのはわずかな期間だけだろうけれど、完全に忘れ去られることはないだろう。私は誰も知った人物がいないところを探して居ついたのだ。それなのに、スコットがまた追いついてきた。そして悪臭をまきちらしていった。
だが、土の話をしてしまったら、私はここから絶対に出て行けないに決まっていた。そう、死ぬまで。
軍は功労者となったが、グラクイが危険じゃないなら、彼らを殺す理由は全くないので、これはこれで軍にとって具合が悪かった。軍はそこのところをあいまいにして「警戒」を続けていた。
少佐にはわかっていたのだろう。私がすぐに色々考え出すだろうということが。だから、わざわざナイフを見せに来たのだ。そして、彼は軍を出るなと私に言った。でも、私は軍を出たかった。誰も知らないところで、関係ないところで、また別人になってやり直す。
ローレンス博士は、孵化後の刷り込みについて、血道をあげて研究にのめりこんでいた。たとえすでに死んでいるにせよ、スコットのような研究者に馬鹿にされたことを忘れるような人物ではない。
足が治ると、私はライフルを肩に担いで一人出かけて行った。そのころには、基地全体もブルー隊も落ち着きを取り戻していた。
ジェレミーは最初反対した。
「誰かと一緒の方がいいんじゃないか?」
彼は心配顔だった。
「あんた、やせたよ。無理ないとは思うが」
彼は、私の顔を見た。確かに体重は減った。
「大丈夫だよ。スコットは死んだ。そんな心配は無い。頑張って筋トレする」
「筋トレは、この場合、関係がないとおれは思うんだが……」
私は、セットするといきなりGPSを作動させた。そんな話は聞きたくなかった。
スコットの死は、私を軍に入る前に引き戻していた。私はどこかに居場所はあるのだろうか。彼の死はどう解釈したらいいんだろう。消化できない。
荒野に出ると、気持ちが少し落ち着いた。オレンジがかった深い藍色の空が頭上には広がっていた。
私の世界は、今、ここにあるだけだ。
中央に戻れば、ローレンス博士に付きまとわれることは予想が出来た。
彼はきっと私を手放さないだろう。グラクイの秘密を知る者は、ほんの数人しかおらず、軍は理解できていなかったが、ローレンス博士の方はその価値をしっかりと認識していた。
グラクイの秘密を独り占めしたければ、私を捕まえておかねばならない。でも、私が軍の中にいる限り、彼は私に接触できない。
私は十分おきにGPSを確認しながら、昼食の用意をした。
ずっとこの二年間やり続けてきた作業だった。
何も考えなかった。誰も私に注目したりしなかった。ライフルを撃ち、ウサギではなくて、グラクイの狩りをしてきただけだった。
ここ数ヶ月の出来事は、私が私だったことをいやでも認識させた。
失敗したという気持ち。うんざりして捨ててきたもの。
全部生まれ変わったような気持ちになっていたのに、実は全然ダメだったのかもしれない。
少佐のことを忘れたわけではなかったが、私は何も言えない気分で、目の前を流れる愛を見ているだけだった。行ってしまう。そして消えてしまう。
でも、手を伸ばすことができない。
もし、こんなことで悩んでいる女がいたら、私は、そいつの尻を蹴飛ばして、さっさと好きな男のところへ出かけて来いと怒鳴ったことだろう。うじうじ悩んでいるのが信じられないくらいだ。一緒になれば、間違いなく幸せになれるのだ。男のほうもそれを待っている。誰にも、はっきりとわかりきったことなのに、どうして行かないんだ。そんな女は大バカだ。
でも、私は黙って、何も言わず、たったひとりで荒野に立っていた。
グラクイはどうしたらいいのか。土の秘密を知っているのは私ただ一人だろう。
いや、本当に私だけなのだろうか?
スコットの性格は、たぶん、私が一番よく知っている。
彼は、そんな秘密を容易に他人にしゃべるような男ではない。それに、不用意に口を滑らせたとしても、彼の話し方は、比喩や反語に満ちていて独りよがりで非常にわかりにくい。
だが、話した可能性がゼロという保証もない。急がなくてはいけないのかもしれない。万一、聞いた者がいるとすれば、その者も、今頃、必死になっているに違いない。
もし、私がグラクイの土の秘密を隠したまま、どこへとも知れず、軍ともローレンス博士とも縁を切って、流れて行ってしまったら、グラクイの秘密と暗い昼は延々と続くのだろうか。世界中、暗いままで? 私のせいで?
私は、テントの横に立ち尽くして、ぼんやりとオレンジ色のようにも見える夜空を眺めていた。
雲が縞模様のように流れていく。それは美しいものだった。
そのとき、私はレッド隊に所属になった時、シンたちと一緒に射撃場へ行ったときのことを思い出した。
彼らは、暗くて何も見えないと言っていた。
そうなのだろうか。だとしたら、彼らにはこのオレンジ色に光る縞模様の雲の流れも見えていないのかもしれない。ぼやんとした太陽の不思議な光も知らないのかもしれない。私だけが知っていて、私だけがこの美しさをひとりじめしているのかもしれない。
ゆっくりと日が沈んでいく。空が少し明るくなってきたような気がするのは、気のせいだろうか。すこしつづ空を明るくしていく、それは私だけが出来ることなのだろうか。
スコットは、私に苦い思い出を残した。それでも生きていれば苦にする必要は無かったろう。彼は死んでしまったことで、私を束縛した。だが、私は生きている。決めなくてはいけないのだろう。




