第75話 二年ぶりの再会
次に目が覚めたとき、私は、変な部屋にいた。
まだ、生きている。
でも、ここはどこなんだろう。
変な部屋だった。
その部屋の調度品の趣味は、どう見てもフランス式であり、帝政様式だった。
今時、こんな趣味で部屋を装飾する人間がいるのは驚きだった。私はこの様式については、どうも成金趣味だと考えていたが、この部屋は手ぬかりなく、すべての家具や壁紙が同じ様式で統一されていた。ものすごい違和感があった。
部屋は暖かく、ぶ厚い絨毯が敷き詰められ、立派な一人がけの椅子とソファがあり、テーブルが置いてあった。
その中で、私は、汚い軍服のまま転がっていた。
上着はなかった。なぜか、靴も靴下もなくて素足だった。シャツには、血がにじんでいて、ズボンが泥まみれだった。無線機は、上着ごとなくなっていた。
その時、私は部屋の中のグラクイの存在に、初めて気づいた。
見つめる真っ白い目、黒い姿。私もこの部屋の調度品に不釣合いだったが、グラクイも似つかわしくなかった。
思わず身構えた。そいつは、さっとドアを抜けて出て行ってしまった。私は、立ち上がって……立ち上がろうとしたのだが、多分、足をケガしたのか立てなかった。今、気がついたのだが、両手は後ろ手に縛られていた。
シャツの血は、GPSを撃たれた時、手を怪我したので、その血だろう。もう、血は固まっていたが、手を動かしたので、新しい血が出てきたらしい。妙に手のひらがぬれてきた。気持ちが悪い。足以外は、頭を打ったほかは、大丈夫だろう。
もう一度、落ち着いてやってみると、今度は立てた。痛いけれど歩ける。骨折はしていない。さっきのドアから出てみよう。
両手を縛られているのでノブを回すことが出来ず、ドアの前で考えていると、逆に向こうからドアを開ける者がいて、私はひっくり返ってしまった。足がダメなのだ。
「おお」
スコットだった。
まさかこんなところで会うとは思っていなかった。私は、彼を見据えた。
スコットは、変わっていなかった。嫌悪感を抱いて別れたときそのままの姿だった。体中から醸し出される、よく知り抜いた彼の雰囲気とその性格。
彼の身なりはセンスがあるわけではないが、きちんとしていて、生地の光沢からして違うような上質のスーツを着ていた。それはいつもそうだったように数千ドルはする一そろいで、彼に合わせたものだった。
一方の私は、ボロボロの兵卒の服で、しかも上着も靴もなくてはだしだった。たぶん、顔にも泥と血が飛んでいたことだろう。
彼は私の汚い様子に思わず顔をしかめた。
「絨毯に泥が散る」
私は何も言わなかった。
言う言葉がなかった。
「ソファに掛けて」
彼は言ったが、私は動かなかった。
「言うことを聞いてほしいな」
動けないことを伝えたかったが、口をきくのも面倒だったので、私は黙って苦労して立ち上がって、足を引きずってソファのところまで行った。ただ、座らなかった。座ったら、今度は立てそうもなかった上、手を後ろで縛られていたので、深くは腰掛けられなかった。
「足が動かないのか」
スコットは少し驚いた様子だった。
「無傷で連れて来いと言ったのに。それにあちこちケガをしているね」
足が痛もうと痛むまいと、それはどうでもよかった。
スコットの性格からは考えにくかったが、時々捕虜にあるように、拷問にでも掛けられたらたまったもんではなかった。一発で殺してくれ。それだけが願いだった。
私に秘密はないので、引き出せる物は何もないはずだ。
スコットは、私をじっくり観察した。落ち着いて、優越感に満ちた視線だった。
「なにか言いたいことはあるか?」
スコットは尋ねた。
「ある」
私は答えた。
「おや。なんだろう。私に不愉快な話はしないでくれよ。聞く気はないからな」
「一発で殺して欲しい」
単刀直入だが、頼めば聞いてくれるかもしれなかった。
スコットは黙っていた。
彼は、ポケットに手を入れるとまるで新品のような短銃を出してきた。まるで、銃なんか、一度も触ったことがないような怪しげな手つきだった。
私は、彼の手元を一心に見ていた。
「これか?」
私はうなずいた。
「顔か?」
「どこでもいい」
もし、病気で一月後に亡くなりますよと言われたら、真っ黒な絶望に閉じ込められて、どんなに生きたいと願うことだろう。
だが、今この異常な状況の下で、どの死に方を選ぶかと問われれば、一番苦しまない死に方を選ぶほかない。
私が死なないのであれば、私が彼を殺す。
隙があれば、あの銃を取り上げれば、一縷の望みがある。なんて怪しげな手つきなんだ。いつ暴発させるかわからない。スコットは、銃なんか全然知らないらしかった。
彼は、ゆっくりと私の手の届かない距離から狙いをつけた。
「命中させられるのか?」
思わず聞いた。
彼は、私に向き直って言った。
「私でなくても、彼らが使えるさ。」
彼は、グラクイを呼んだ。
私はびっくりした。彼はラテン語でグラクイに命令したのだ。スコットは、非常に得意げに、にやりと笑って見せた。
「驚いたかい? 私もこんな動物は初めてだ。今、この連中は、私に絶対服従している」
スコットは、私が驚いている様子を見て、満足した様子だった。
「やつらは孵化直後に見たものを親と思うのだ。
同じグループは、血縁関係のあるものたちで構成され、全体としての意思は持つが、それは、ボスとなる個体が意思決定をする。他の個体は、ボスにきわめて従順だ。
こいつらの知能は高く、私の言葉を理解できる。私は彼らが私以外のものからの命令を聞かないようにと思って、誰もが話せるわけではないラテン語で話しかけた。
彼らは英語がわからない。ラテン語のみを理解する。でも、あなたがラテン語で何か命令したとしても、刷り込み期に一緒にいた私以外からの命令は、一切聞かない。後でそれはわかってきた。非常に忠実な動物だ」
それから、とても得意そうに語を次いだ。
「あなたはラテン語がわかる。よいことだ。今、水を持ってこさせよう。何を言ったのかはわかるね」
それはわかる。彼は学生時代、死語となっているラテン語にいやに熱心だった。
内心、私は、誰もしゃべらない言葉なんか勉強しても意味がないだろうと思っていたのだが、彼は異様に熱心にやっており流暢にこなしていた。もっともこの言葉で生活している人間は誰もいないから、ほんとうに流暢なのか、よくわからなかったが。
グラクイがコップを持ってきた。
「少しかがんでやれ」
水が欲しかったのでかがむと、グラクイが口元にコップを差し出してくれた。
口のはじから、水がこぼれた。手が利かないので、肩で拭いて、後でシャツを見ると、血と泥がにじんでいた。
スコットが銃口を向けながら近づいてきた。




