第72話 グラクイの研究という名のワナ、始まる
明日には、ローレンス博士の死去と、研究成果のデータ送付と研究拠点の移動が、それぞれ大学と軍から発表になる。
スコットがどの時点で手を出してくるかわからない。
基地はざわついていた。
ジャニス・スコットがこちらに来るかもしれないと言う情報が伝わったのだ。
「厳戒態勢を要する」
オーツ中佐がいかめしく演説した。
「ブルー隊に護衛を命ずる。具体的には、データ類の護衛は必要はないが、現在、ローレンス博士が飼育中のグラクイを当軍の野外施設に移すので、その護衛が必要になる」
このプランは、私たちが苦労して知恵を絞ったものだった。
私たちは、スコット自らがやってきて、盗み取ることを期待していた。スコットがここまで取りに来てくれるものとは何か。手に取れるモノが必要だった。
文献などは全てデータ化されているのが普通である。こういったものは、コンピューター間で送るので、横取りしようにも生身のスコットの出番がない。
そこで、知恵を絞った末、飼育中のグラクイの一部も加えることにした。ほかには何も思いつけなかった。アナログ中のアナログである。
グラクイを作戦部内で飼うことは出来ないので、当然、少し離れた場所で飼うことになる。
スコットが狙いやすい野外施設だ。戦場認定されているエリアだ。
少なくとも基地の中ではないから、スコットにしてみれば狙いやすいだろう。
あいにく、グラクイを後生大事に連れてくる理由は思いつけなかったが、仰々しく護衛していれば、スコットはやってくるだろう。
私たちにもわからないくらいだから、彼にだって、グラクイの移送の理由はわからないだろうが、少なくとも何かがあると不安になってくれるだろう。彼の命令を受けた敵対的グラクイだけしか現れない可能性もあったが、少なくとも彼には指示を出す必要がある。おそらく近くまで来るはずだ。
「で、ノルライド少尉は、グラクイの担当者になる。少尉は博士号を持つ動物行動学の研究者だ」
オーツ中佐が演説を続けた。
「したがって、少尉はブルー隊にしばらく預かりだ。シンがかわりに隊長を勤め、バルク少佐がレッド隊を補佐する。以上」
仕方が無かった。誰か生物学者が、少なくともスコットが名前くらいは知っている人物が、グラクイの飼育に当たらねば説明がつかない。
この発表は、少なくとも軍のホームページには載せられるはずだった。
スコットは軍のサイトを必ずチェックしているはずだ。これで、もうひとつのえさの要素である私が飼育施設に貼り付けになることを、スコットが必ず知ることになる。二重においしいえさというわけだ。
私は、この発表の後、レッドのところへ走って行った。
「すまない。しばらくの間だけど、頼むよ。うまくいけば、別な研究機関を探し出せるから、それまでの間だ。まあ、シンの方が隊長としてはふさわしいかもしれないが」
ハイデイは何か言いたそうだったが、黙っていた。代わりにコッティが聞いた。
「生物学者だったんですか」
「そう」
私は手短に答えた。私の過去には、いろいろありすぎる。
飼育のための施設には、古い寮を使った。
外階段のついた三階建ての建物である。地下室がない。
一階は作業場として使用されていたので、仕切りがなくて、がらんどうになっていた。
グラクイは地下からやってくる。一階が素通しというのは、うってつけだった。彼らが侵入してきても、すぐわかる。一階には、強力な電灯をセットした。
実験用のグラクイは、二階で飼うこととした。ここも間仕切りをはずし、いつ彼らがきてもいいように、強力なライトを準備した。
一番肝心なことは、ここは岩盤が固くて、グラクイの得意な穴掘りがむずかしいことだった。夜間、地上を歩いてやってくる可能性が一番高かった。
後になって考えれば、こんなに色々気を使う必要は全くなかったのだが。
翌日、麗々しく、ローレンス博士の死去の記事は新聞を飾った。中央は、博士が暗殺されたことについて、ある種の恐怖感を覚えていた。
グラクイは文字通り、いつ、どこからやってくるのかわからない。
黒く、暗闇を好む不気味な生き物。
日の光が比較的強い中央では、絶対活動できないと言われていたはずだのに、どうやってローレンス博士に近づいたのか。
私は自室でテレビを見ていた。中央のチャンネルでは、ブロンドの女がヒゲの濃い年配の男性にインタビューをしていた。たぶん、大学の教授仲間だろう。グラクイがどこから進入してきたのか全くわからないらしく、警察も困惑していると伝えていた。
「専門家の意見をお聞きしたいところなのですが、グラクイ研究の第一人者が、今回犠牲になったローレンス博士でした」
知りすぎた男と言ったところか。そのために消されてしまったと。
「博士は何かを知っていたのでしょうか?」
「研究や観察の結果は、まだ発表する段階に至っていませんでした。でも、なにかを掴んでいたはずです。なぜなら……」
ヒゲの濃い、鋭い目つきをした大学関係者はインタビューに答えて言った。
「なぜなら、ほぼ一月ほど前でしょうか、博士は奇妙な電話を受けているからです」
「奇妙な電話……ですか? まさかグラクイからですか?」
男性は、この突飛な質問には思わず苦笑していたが、まじめに答えた。
「グラクイはしゃべれません。そうではなくて、ある人物からグラクイを操る方法について尋ねられたと言うのです」
「グラクイを操る? そんなことが出来るのですか?」
「わかりません」
ヒゲの濃い男性は真剣に答えた。
私には、この男性がローレンス博士の夫人のグラディスが言っていた、オールズ氏なのかグレン氏か、わからなかったが、ちょっと好感を持ち始めた。
なかなかうまい芝居だ。
「博士は、なにかを知っていたのでしょう。グラクイには、なにか知られていない秘密があるのだと考えられます」
「秘密?」
「その秘密は、肝心の博士が殺されてしまったので、今となっては、知る由もありません。
そして、かかってきた電話は、博士がグラクイの秘密をどれくらい知っているのか、探りを入れる為の電話だったそうです」
インタビューをしていた女性は、これを聞いて驚いた様子だった。
「その電話の主は、何かを知っていますね。その人物とは誰ですか?」
「全然わかりません」
大学関係者は、皆目分からないといった身振りをした。そして残念そうに力を込めて訴えた。
「知りたいのです。博士の殺害と、つながりがある可能性があります。警察にも全力を挙げてもらっています。でも、全然わからないのです」
もちろん、知っているが、絶対に言わない。ジャニス・スコットは、用心深い。油断させなければならない。
「何も記録が残っていないのです。電話も一回きりです」
二度目の電話はなかったことにされていた。
「次に誰かが狙われる可能性はあるのでしょうか?」
「それは、わかりません。でも、殺された理由が口封じである以上、この研究にかかわらない限り、今のところ、危険はないでしょう」
「口封じ? 人を殺してまでですか? いったい何を知られたくないのですか?」
「グラクイの秘密です………なにか、よほど知られたくない何かがあるのだと思われます。そのために、グラクイ研究の第一人者は、狙われ、殺されてしまったのでしょう」
テレビと世界は知らないだろうが、グラクイ研究の第一人者は、実は私だ。
それから、今頃、博士とグラディスは、この手の番組を居間のソファの上に並んで見て大喜びしているだろう。もしかすると録画して集めているかもしれない。
このインタビューを受けた大学関係者は、真面目で信頼の置ける人物に見え、得体のしれない存在に同僚を殺されて、深刻に不安を感じている様子だった。
だが、彼はローレンス博士の無事を絶対に知っているはずだったし、スコットの犯行だと言うこともわかっているはずだった。
なかなかの名演技に、ちょっと感心してしまった。タマラ少将の筋書きもバッチリ伝わっていたし、これを見たらスコットは安心するだろう。
自分以外は馬鹿だと信じ込む病気をスコットは患っていた。なんだ、こんなものかと他人を侮る傾向があった。
彼はこの情報をワナだとは考えないだろう。
一方、ローレンス博士によるグラクイに関する研究の一部が軍に移送される記事は、ごくちいさなスペースで報道されていた。しかし、ぬかりない手によって、全ての新聞に掲載されるよう取り計らわれていた。
実際に小さなグラクイ共が、軍についたのは、3日後で、私はオリの中に閉じ込められた、ちっぽけな連中と初めて対峙した。
いままでは、狙いをつける対象だったが、今は違った。
ずいぶん小さい。
「こいつらは生後どれくらいなの?」
「3週間です」
「体長と体重の記録は残っているよね」
私は詳細なデータを読みながら、不思議な気がした。
本当に鳥のような連中だった。我々の話にも何の反応も見せなかった。それなのに、どうして人間を殺したり出来るのだろう。




