第65話 愛の使者、現る(おっさん天使)
私はしばらく黙っていた。
「中佐、ここへ来たのも少将の指示ですか?」
多分、図星だったのだろう。中佐はあせったようだった。
「私はずっと監視体制下に置かれると思っていました。それについては一向にかまいません。戦場認定をされているこの場所で、決着をつけたい少将の考えはわかります。
でないと、この問題はいたずらに長期化するだけです。
グラクイの呼気が自然環境にどんな影響を及ぼすかの証明、スコット博士がグラクイに影響力を及ぼすことの証明、スコット博士によるパレット部隊の殺害指示の証明、これだけのもの全ての証明を我々がしない限り、裁判で勝てない。
長い時間がかかってしまったら、その間にスコットは、きっとグラクイをどこかの小悪人に売りつけようと計画して、我々の手の届かないところに行ってしまうでしょう。確かに今しかチャンスはない」
中佐は驚いた様子だった。
「タマラ少将も、同じようなことを言っておられた。君がそんなことを言い出すなんて不思議だな。少将から聞いたのかね?」
私は首を振った。
「私が気になるのはグラクイの呼気が自然環境に及ぼす影響の立証です。
これは、非常に時間がかかる。
今は大きな問題になっていないが、グラクイの生存権を守る団体が勢力を持つと、この点を証明しない限り我々は動けなくなる。
つまり、グラクイを今のように殺すことが出来なくなります」
「その点に関しては、ローレンス博士から同じ指摘があった。彼は法律の専門家ではないが」
「たぶん、そういった団体から詰問状でも受け取ったんでしょう。ローレンス博士なら、心配はいりません。彼はなかなか巧者です。いろいろ経験を積んでいますから。大学もついています。
しかし、スコットは自分の力を維持したいと願うでしょう。
そのためには、そういった団体に近づき、いろいろな支援をしていくでしょう。特に金銭面での。
グラクイの生存権を社会的、政治的に主張し始めるでしょう。
そうなったら立証問題にカタがつくまで、この暗い空がずっと続き、スコットは闇の世界で力を振るい続けるチャンスを得るわけです」
軍のグラクイ退治が許されているのは、グラクイの保護団体が市民権を得ていないからだ。
グラクイは見た目が悪かった。普通の一般市民からは嫌われていた。保護を訴えても思うように資金は集まらないに違いない。
だが、スコットは違う。
保護団体の主張は彼の時間稼ぎにうってつけだった。それくらいの金なら、彼には十分ある。今後、こういった団体の動きが活発化していくだろう。
「立証は難しい。きちんと化学的に立証をしようと思ったら、十年以上かかる場合がある。今は状況証拠しかない」
私は黙った。きっと少将は私が言ったこと以上のことを想像して、状況の確認作業に入っているのだろう。
そのうちのひとつが中佐の来訪だ。
中佐は少将に促されて、私の意図の確認にやってきたのだ。
私のほうから別れたとはいえ元の夫である。万が一、私がスコット側の人間だったら、軍は内部にスパイを抱えていることになる。
多分、中佐も少佐も言下に否定したことだろうし、この二年間を見てもスパイなどと言うことはありえなかった。
しかし、少将は念には念を入れたかったのだろう。
中佐が語を次いだ。
「私としては、当然君のことも考えたのだ。あの作戦は、君の私生活に食い込み利用する作戦だった。しかも、君の意思に全く配慮していない。君に事前の説明すらしなかった。しかし、事態は逼迫している。君がよく理解しているように。我々は、君がだんなさんに対しどんな感情を抱いているか全く聞かなかった」
少将の心配が、中佐の口を通して語られると、裏切りを心配する冷たい疑心暗鬼が、仲間への温かい心遣いになってしまう。
「たいした感情は抱いていません。ご承知のとおり、実質の結婚生活は5年くらいのものです。離婚手続きをしなかったのは、再婚する予定が全くなかったからで、結婚していることを人に話さなかったのは、詮索されるのがいやだったからだけです。
彼の実家は裕福で力もあります。私のことは恨んでいるかもしれません。話のわからない人たちでもないと思いますが、さすがにかわいい息子のこととなれば、話は別でしょう」
「その一家についても、すでに監視下においている。私たちが気にしているのは、君の意見、君の感情だ」
「もし、彼が殺されても、私は何も言いません。
彼は変わった人でした。徹底して自己中心的なのです。好んで悪をなすのではなく、邪魔な人間を殺しても全く気にならないのです。彼が私に対して感じている感情のほうは、おそらく愛情というより、一種の支配欲だろうと思います。彼を殺す計画に加担したいかと聞かれれば……」
私は非常に低い声で言った。
「夫を殺すような人間は誰にも信用されないんじゃないかと心配しています。たとえ、それしか方法がなかったとしても。
でも、一方で、私はスコットのことはよく知っています。彼が権力を握ったとき、どんなことをするか。
多分、どんな独裁者にでもなれるでしょう。
すでに二十人もの仲間を殺してしまっている。これからも殺すでしょう。
彼が制裁を受けても仕方のないことと思っています。
軍について言えば、私はここ以外で暮らすことが出来ません。お金もありません。ここで勤務させていただくしか生きていく方法がありません。中佐のお考えはどうですか?」
「ううむ。感情的に問題はないが、道義的には気になると、そういうところなのか」
「夫殺しと呼ばれたくありません。私は、これからも軍の中で生きていくしかない。悪い評判のもとで暮らしていくのはつらいものです。心配はそれだけです」
中佐は、うなずいた。
「わかった。君の状況は理解できたし了解した」
私はなんとも言えなかった。私は困った立場なのだ。
豪華で華やかな結婚式や、著名人が出席するパーティ、そんなときの写真がきっと資料として集められているに違いない。スコットと一緒に、贅沢な衣装を身にまとい、笑って写っている写真がいっぱいあったろう。あれを見たら、いっぺんで私のことを信用しなくなるだろう。
だが、中佐は今の私を知っていて、それを信じてくれているのだ。
今の私はもう傷だらけだ。あんな服はもう着られない。後戻りできない。
話は済んだはずだのに、中佐はぐずぐずしていた。ほかにも何か言いたいことがあるらしい。
「私が言いたいだけなんだけれど、本人の意思は関係ないのだがね」
「はぁ、なんのお話で?」
「バルク少佐だよ」
中佐の額にしわが二本寄っていた。
「言ってはいけないのかもしれないが、彼は、あのおとり役を買って出た。君のことが好きなのだろうと思う」
「はあ‥‥」
「頼りないな。確かギルも君と付き合いたがっていたよね。もてて大変なのかもしれないが、私は彼の心情を思うと、なんだか放って置けなくてね」
「はぁ‥‥‥」
「まあ、こういうのは、個人的問題だから、私ごとき中年男が口をさしはさむ問題じゃないことは百も承知なんだが、あのおとり作戦は非常に危険だったのだ。なぜ、彼があの役を買って出たのかといえば、本当に、どうしても君を好きだからとしか思えなかった」
「それは……私にはわかりませんが」
本当に中佐は人がいい。こんなことにまで、気を使っている。
「彼は、離婚しているけど、結婚期間は短かった。多分、半年くらいで離婚してるんじゃないかな? 若いころの間違いみたいな話だ」
「それは全然知りませんでした」
どうでもよさそうに私は言った。
その話はしたくなかった。中佐は知らないのだ。私がその女の人を撃って殺したことを。
「娘の話をしていたかもしれないが、彼の子供じゃなくて、連れ子だった。ずいぶん大きい。もう、学校も出て、この間、結婚したはずだ」
「そうなんですか」
中佐がもじもじしていた。あんたの問題じゃないんだから、あんたがもじもじすることはあるまい。そして、バルク少佐のプライバシーを公表してどうする気だ。
私はバルク少佐のプライバシーに関しては、中佐が知らない恐ろしい事実を知っているぞ。彼の妻を殺したのは私なんだ。
「少尉はどうなのかね?」
「バルク少佐ですか? 特に悪感情はありません。昨日は、さすがに少し腹が立ちましたが」
「彼は信頼できるいい男だと思うんだが。誰かと再婚する気はないのかね?」
何を熱心に勧めているんだ……
「再婚は誰ともできないですよ。結婚しているんだから」
私は穏やかに指摘した。
「あー、そうか。でもね、君のためにも、そのうち誰かと結婚する予定だというのは、みんなにばらしておいてもいいんじゃないか?」
「私は誰とも結婚予定なんかありませんが、どういうことですか?」
「これから、私達はスコットを殺しに行く。何があっても殺したい。
君は彼の妻だ。しかし、実質、君の結婚生活は破綻している。軍の内部の者はそれを知っている。
君が誰もが信頼する軍のメンバーに言い寄られて、押し切れらて、恋仲になったとしよう。
軍以外の人間から見ればただの浮気だが、君と一緒に生活してきた軍の内部の人間には、君やその軍のメンバーの気持ちがよくわかるし、君たちを応援するだろう。
君がスコットを殺す側に回ったとしても納得するだろうし、おそらく君を気の毒に思うだけで終わってしまうだろう。
道義的に責めるなんてことはありえない。
軍の人間は君たちを祝福するだろう。君としても、その方が気楽じゃないか?」
本当に余計なお世話な上、どこまで想像力が豊かなんだろう。
そもそも、どうして人の結婚にくちばしを突っ込むかな。中佐が善意なのは疑いを入れないが、善意も行き過ぎるとろくでもないな。
だが、この時、私は気が付いた。これは中佐の考えではないかもしれない。
「私が道義的な点を気にするからですか?
こう考えれば大丈夫という理屈の組み立て方ですね。
どう解釈してもやっぱりただの浮気だろうと思いますがね。恋人のために、その夫を殺すだなんて、余計まずいんじゃ無いんですか? 評判はがた落ちだろうと思いますよ。
ところで、それも少将のプランのうちの一部ですか?」
「えっ?」
多分、少将が考えたのだろう。中佐がそこまで気を回すはずがない。
「まあ、いいでしょう。少将の頭脳には感服いたしました」
私は穏やかに嫌味を言って、中佐を帰した。中佐には、嫌味だとわからなかったかもしれない。中佐は、夜分に私室を訪ねたことを、詫びながら帰って行った。




