第50話 バルク少佐のプライバシーを無視してみる
「もし、お許しいただけるなら、中佐にお願いして、タマラ少将に少しお伝えしたいことがあるのですが……」
中佐も少佐も、びっくりした。
「何を言い出すんだね?」
少佐は声を荒げた。
「もし、よろしければ、少佐に内容をご確認いただいた上で、タマラ少将にお伝えしたい」
私は頭を下げた。
「お願いします」
二人は黙り込んだ。中佐は当惑と迷い、少佐は怒気を含んだ沈黙だった。
「ダメだ。そんな勝手なまねは許されない」
少佐は、低い声で言った。
「少尉風情が、少将相手に一体何を言うつもりなんだ」
「生物学の専門家としてのお願いです」
「なおさらダメだ。この件に関しては、立派な専門家がちゃんとついているのだ。何年もブランクの開いた研究者なんかお呼びじゃない」
「それでも、グラクイを観察し続けた年数は私の方が長いです」
「ノルライド少尉、なぜ、君が直接言わなくてはならないのかね? 私が内容を聞いて伝えてもだめかね? 少将が私より生物学に詳しいわけがないと思うが。あの方の専門は法律だ」
オーツ中佐が、当惑しながら、提案した。
「それは……どうでもいいことかもしれませんが、先日、少将が私のプライバシーの件について話していただいたことがありまして、それに関わる問題があるものですから」
少佐は苦りきった。
「君のプライバシー?」
「確かに私のプライバシーなんかどうでもいいことです。少将のお話によると、一部私の個人的な情報を含んだ資料がジャニスの城から発見されたとのことです。私は、それをぜひ生物学の担当者に読んでほしいと思うのです。必ず、参考部分が含まれていると思うのです。軍関係者が読んでも、おそらく何の意味もないと思います」
少佐は深いため息をついた。
「ごめんなさい。」
「そう。じゃあ、少将に聞いてみよう」
中佐は突然言った。彼なら電話をつなぐことが出来るのだ。彼しか出来ないのだ。
大分時間がかかったが、少将は出てくれた。中佐は例の甲高い声で、長くしゃべっていたが、ついに向き直って、電話を変わってくれた。
「少将が、私は聞かなくていいとおっしゃるのだ。君が直接話しなさい。バルク少佐、この部屋をでよう」
「いいえ。少佐は出ないでください。残っていてください」
私は、頭を下げた。
中佐は目を丸くした。しかし、そのまま出て行った。バルク少佐は、私をにらみつけた。
ドアが閉まったのを確認して私は少将に話した。
「申し訳ございません。こんな時間にお電話いたしまして」
かまわない、と言ったような意味の言葉を彼はつぶやいた。
「私は軍に入る前、ローレンス博士の下で動物行動学の研究者でした。
ジャニスの日常をこまごまと記録した資料の存在を、バルク少佐から聞いたのですが、これを専門家が読めば、その中に必ず意思伝達の方法を解明するヒントがあると思うのです。一から観察を始めるよりずっと早く解明できる可能性があります。
グラクイは凶暴化しつつあります。他の地域のグラクイが、人間を襲撃する可能性も否定できません。人間を攻撃するだなんて、グラクイの普段の行動からは考えられない。私は第二のジャニスが存在するのではないかと思っています。
そして、もうひとつ、私はその意思伝達方法が、少なくとも言語によるものであることを知っています。」
少将はかなり戸惑ったようだった。
「なぜ、言語によるものと思うのかね?」
「バルク少佐と私は見ていたからです。ジャニスがグラクイに口で説明して命令していたところを。
狙撃するために私達はジャニスを見張り続けていました。ジャニスが口を開けば、グラクイは彼の望むもの、飲み物とか椅子とかテーブルを運び込んでいました」
バルク少佐は、腕を組んで陰気臭そうに突っ立っていた。目は空を見つめていた。
「バルク少佐が君に何を言ったか知らないが、私は少佐とも話してみたい。」
私は大急ぎで、少佐に代わった。
少佐は、私が目に入らないかのような態度で受話器を受け取り、ほとんど自分はしゃべらず、少将の話に聞き入っていた。時々、ぼそぼそと相槌を打っていた。
私は部屋を出て行ったものかどうかためらった。しかし、出て行く決断が着かないうちに、話は済んでしまい、少佐は受話器を置いた。
待ちきれない中佐がドアをノックした。少佐は、ドアのほうに振り返ると丁重にドアを開け落ち着いた調子で言った。
「すみません、話は済みました。少尉、君は皆が集まっている店に急ぎたまえ。」
私は、頭を下げ、急いでいるように見えないように気をつけながら、出て行った。
後はどうなったか知らない。
私が会場に着いてから、すぐ少佐も店に着いた。
オスカーを始めとした面々はすでに最初の乾杯を済ませていて、少佐を喜んで迎え入れた。
彼は完全にいつもどおりで、パレット中佐の救出にわが身の危険をもかまわず尽力した隊の勇気を褒め称えた。
「一番すごいことは、ほぼ無傷で帰還したことだ。それが最も重要だ」
少佐は全員と静かに乾杯して労をねぎらっていた。隊員達は、ただ黙って静かに食事をして飲んでいた。酒が入った時のいつもの陽気さとはかけ離れていた。
だが、陰気というより、なにかエネルギーを感じさせる。そして食事が済むと散会した。
「明日があるから」
私は少佐に逆らって、彼のプライバシーを踏みにじって、無茶に自分の意見を通したことをぼんやり考えていた。
どう考えても、彼にとってすごくいやなことだろう。離婚した妻の日記を他人に読ませるだなんて。もしかしたら、彼のことが書かれているかも分からないし、もし書かれているとしたら、確実に悪口である。
私は絶対的に正しいことをした。しかし、絶対的に正しいことなんか世の中にあるんだろうか。
そんなことほっておけばよかったのかも知れない。これから、何人、人が死のうと、知り合いではあるまいし、私に関係する話ではないはずだ。
だが、それができなくて、私は今バルク少佐に背中を向けられていた。
彼は専門家ではないので、私みたいに資料の重要性を認識できているはずがない。
一方で少佐はエリートで、軍の中でも影響力を持っていた。彼は怒っているに違いなかった。
ここを辞めて、次はどうしようか。そんなことも考えた。ほかに私に特技があるかといえば、何もなかった。生物学に戻ることも考えたが、いろいろ係累があって、それもわずらわしい。転属願いを出そうか。少佐が後押ししてくれるだろう。
だが、今のこの状態では、経験のある部下を手放すとは考えにくかった。私は、特に成績が悪いわけではなかった。色々欠点もあるだろうけれど。




