第46話 結婚しているって? それが、なにか?
「なに笑っているんですか」
「うん。たぶん、ギルはきっともてるだろうと思って。ハンスの店でも声がかかるんじゃないかな? ここでも、私がいなければ声がかかるかもしれないね」
これは全くのやぶへびだった。ギルが喜ぶ話題だった。止めておけばよかった。
でも、あの凄惨な死体の話はしたくなかったのだ。
「少尉こそ、ぼくが今ここにいなかったら……」
「この格好でこんな口の利き方じゃあ、病院から出てきたところですかって聞かれそう。まさにそのとおりなんだけど」
私は笑った。
「いや、ぼくは……」
「なんだったらナオハラに聞けば、いろいろ教えてくれると思うな。やつはかなり暗躍していそうだから。でも、私は今回、ナオハラを見直したよ。彼は役に立つ。冷静だ。いざと言うときは、黙って働くやつだ」
ちょっとギルは不満そうだった。自分のことも褒めてほしかったに違いない。
「ギルのことはいつも褒めているじゃない。それで、いい機会だから、ギルに言わないといけないと思って……」
嫌なことだが、言っておくべきだろう。ギルがかなり警戒した顔になった。
「あのね、言いたいわけじゃないけど、私は結婚しているので、言っておくべきなのじゃないかと思ったんだ」
ギルは黙っていた。コーヒーを飲む手がストップしていた。
だいぶ時間がたったと思った。ほんとうはたいして立っていないのかも知れなかった。
やっとギルの顔を見た。唇の端がゆがんでいるように思ったけれど、特にこれと言った表情を浮かべているわけではなかった。彼は静かに聞いた。
「それは、でも、みんな知っているのですか」
「誰も知らないと思う。言ったことがないから。
履歴書を読むことの出来る上官は知ることができると思う。規定でそういった部分の報告も義務付けがある。でも、上司たちは個人のプライバシーについてしゃべって歩くことは禁じられている。
こないだ話のついでに、そんな話題になったので、ジェレミーに言ったら、びっくりしていたよ」
ギルは、なおも黙っていた。
「ジェレミーが、私がギルにこの話を伝えるべきだと言ったんだ。私もそれはもっともだと思うので、言わなくてはいけないと思った」
こんな話し方があるかと自分でも思った。
なんてぎごちない。うまく言う方法はないのだろうか。それに、だからどうしろとか、意見が全く含まれていない。事実しか述べていない。
「ぼくが知りたいのは、そんなことではないのだけど」
周りはコーヒーカップのかち合う音、がやがやしゃべる音、朝の喧騒に包まれていたのに、私達は全く別なところにいた。もう、誰の視線も気にならなかった。
しばらくして、ギルが口を切った。
「あなたは、夫を愛しているのですか?」
私はドキンとした。
ギルの顔を見た。
核心はそれだ。
答えは………違う。
ノーだ。
伝えておかなきゃいけないと思って、とは、なんてマヌケな言い分なんだ。
もし、なにか伝えるなら、結婚してるかどうかだけではなくて、本当に伝えなきゃいけないのは、「私が夫を愛しているかどうか」という点であって、法的問題ではなかった。
『あなたは、ギルさんが、そんな人だと思っているのですか?』
いつかのハンスの言葉が蘇った。
『あなたのことが好きなんですよ』
ギルには、聞く権利があった。
そして、私には答える義務がある。
「いいえ……」
ふたりとも黙ってしまった。
うまく行かなかった結婚、残念な結末、そんなものは世の中にたくさんあるだろう。
突然、ギルが身を乗り出し、他の人に聞こえないように、顔を近づけて聞いた。
「なぜ、今、ここにいるの?」
なぜかって……。
いたくなかったんだ。一人になりたかった。
「あなたの夫は、あなたを愛してくれなかったのですか?」
ああ、ギル。それは違う。
ギルの言ってることは、やっぱり若い。
私の夫は私を愛していたかも知れないけど、愛してるから、上手く行く訳じゃないんだ。
こんな説明には、長編小説が必要だろう。映画だったら二時間モノになりそう。誰も読まないし、観ない。
「愛していたと思う。でも……」
「僕は、あなたのことが好きだ」
……うわ、事情なんて、どうでもよくなったか。
「あなたを見てると、心配になって」
なんだと? あれだけ、一緒にグラクイ狩りしてるのにか。心配なことなんか、今まで一度もなかったろ。
「いつもひとりぼっちで、人を避けている……」
ああ、そっちか。どうしてもそう見えるのね。
「そんなことないでしょ。ギルもいるし、ジェレミーもオスカーも、みんないる」
「僕の言いたいのは、そう言う人のことではなくて……」
店は、相変わらずガヤガヤしていて、朝の時間は情け容赦なく過ぎて行く。
彼の大きな身体と、真っ直ぐな目が、好きになってくれと訴えかけている。
「今、答えてとは言わない。だけど……」
私は何も言えなかった。
でも、そのあと私たちは、店を出て、それぞれ自分の部屋に戻らなければならなかった。次の仕事があった。
私は、大急ぎで服を着替えて(やっとピンクとおさらばできる)、ルーシーの好意には感謝するが、自分的にはなんともいえなかった髪型をほどいた。
ギルはいつだって、正しい。
そう。結婚なんて、問題じゃないだろう。
フェアになろうとして、カードをさらけ出したが、カードに意味はなかった。
いっそ、手の内を知らせない方が、まだ、マシだったかも知れない。
余計なプライバシーをさらしてしまった。
それに、ギルには、そんなこと、関係ないと宣言されてしまった。
なんの歯止めにもならなかった。
当たり前か。ジェレミーが言ってたように、丸二年以上、会ってもいない……
いや、それより、ギルさん、あなた、今、私に要求しましたね。
うっかり、答えなきゃいけない気がして、答えたけれど、どこかにほんのり、当然みたいな雰囲気が漂ってきたな。
ギル、それは違う。
なんだか、ハイスクール時代、男子のグループが、仲間の一人を、集団で「いいやつだから」「こいつが好きなんだって」「お似合いだと思うよ」と口々に言いながら、意中の女子に押し付けに来るみたいな匂いに似てきた。
好きなら言わなきゃ通じない。どんなに好きでも通じない。好きなのに、うまくいかない。
もうすぐ八時半になる。
結婚問題とか恋愛問題とか、そう言う話題から離れて、私は、基地に行かなくてはならなかった。
ジェレミー、マイカ、オスカー、ナオハラ、ロウ曹長、バーグ曹長、シン、ベッグ、ケムシア、ブラック隊、シルバー隊、レッド隊、ほぼ全員がもう集まっていた。
彼らは私をみると一様に大丈夫だったかと問いかけながら、押し寄せてきた。
「大丈夫だよ。少し切っただけなんだ。心配させて申し訳ない。たいしたこと無かった。どうしてみんなして集合しているんだ?」
「別に集合してるわけじゃないだよ。昨日の戦闘について、情報がないかと気になってね」
ロウ曹長が言った。ジェレミーが念を押した。
「ところで、ノッチ、君は本当に大丈夫なんだろうね? また、手加減して言ってるんじゃないだろうな。この前みたいに再入院なんてことは無いんだろうな?」
「本当に大丈夫。余計な心配をおかけしました」
オスカーが、例の全く似合わないピンクのフレアのミニのドレスの話を持ち出して、皆を笑わせた。
その騒ぎの裏には、パレット中佐の死がひそんでいて、詳細を知る者も知らない者も、不吉なものを感じ取っていたけれど、せめて表面だけは、いつも通りにしようと努力しているのかもしれなかった。
そのうち、時間になったので、バーグ曹長と、ロウ曹長、オスカー、ジェレミーは会議室へ向かった。
他の連中は、今回の事件については誰も一言も触れなかったが、私たちの後姿から目を離さなかった。
みな、緊張していた。今後、どうなるのか、誰が死んだのか。
その会議室は、例の防音設備のある会議室だった。HPにも、どこにも昨日の戦闘やパレット中佐の隊の話は載っていなかった。更新が止まって一週間になる。
会議室の前には、文官が控えていた。私はびくりとした。佐官級より上の人間が来ているということだ。私はオスカーにそっとささやいた。ロウ曹長、ベッグ曹長、ジェレミーへとそれは伝わって言った。
狭い会議室には、びっちり人数が入っていた。
タマラ少将が中心で、オーツ中佐、バルク少佐、そのほか何人か全く知らない顔ぶれだった。全員、非常に暗い顔つきをしていた。例の間抜けな元スナイパーのオヤジなどはいなかった。
「おお、お入り。そして、掛けたまえ。私から現在の事情をまず説明しよう。それから、今後の方針を言う。次に君たちから、意見を聴取する。先に言っておくが、もちろんよくわかっていることだが、今後の方針に対する意見ではない。グラクイについての事実の提供をしてもらおうと思っている」
タマラ少将自らが我々を招き入れ、説明した。
私たちは真剣にうなずいた。
「では、まず、現状を簡単に説明しよう。ジャクソン、紙を配れ」
文官が一人入ってきて、我々全員にペーパーを配った。コピーには赤く番号が手書きでふられ、誰にどの紙がいったかわかるようになっていた。
「後で回収する。説明するのが大変だから、紙にした。」
そこには、パレット隊の惨状が報告されていた。
パレット中佐 死亡 死因 腹部弾丸貫通による失血死
キム少佐 死亡 死因 首部切断 その他足数箇所弾丸貫通
そのリストはずっと続いていて、全員分があった。
全員分に目を通すのは苦痛だった。だが読まねばならなかった。私達は知らなくてはならない。
武官は全員死んでいた。従いてきた気象関係の学者も5人ほどいたが、彼らの多くも殺されていた。
死因は、ほぼ全員が、撃たれた後、レーザーで首を切られていた。
いやな死に方だ。どうせなら、一発で殺してくれ。そう思う。
生き残ったのは、最初にホールで助けた連中だけだった。気象関係の助手で、死んでいると我々は思っていたが、実は虫の息だったらしい。
我々全員、うつむき、歯をかみしめた。




