第44話 ピンクのワンピースを借りました
私は忘れていた。GPSで移動すると、多少は衝撃が残ることを。
うっかり、躓いて転んでしまった。
その拍子に、服が体に張り付いて、それまで服の中で溜まっていた血があふれ出し、床に血溜まりを作った。
マイカが悲鳴を上げていたが、死んだ人もいるんだ。これくらいの傷はたいしたことないだろう。ひょっとすると、ここでの生活が終わってしまうかもしれないが。
ギルは荷物を放り出した。真っ青になっていた。なぜ、私が荷物を彼に預けたのか理解したのだ。
「うん。一応、病院に行くから。ジェレミー、少佐か中佐はいるのかな? 全員無事で帰還したんだが、投光機を一台つぶしてしまって……」
「ノッチしゃべるな」
オスカーが言った。
つまり、さっきは張り詰めていたので、死体を見ても衝撃が少なかったわけだが、日常、見慣れた基地の中で、親しい仲間の私が血まみれという状態だと、ショックに感じるのだろう………
「大丈夫だよ」
勢いよく立ち上がったが、途端に立ち眩みを起こした。しまった。頭が真っ白になった。
次に起きたときは、またもや、病院の中だった。
最初に目に入ったのは、看護師だった。よく見ると、例のルーシーだった。
「ああ、起きましたね。」
「私は……」
「腕は切断しましたよ。」
「!!!」
私は、左手で起き上がった。激痛が走った。ルーシーがけらけら笑った。
「ウソですよ。見たらわかるでしょ。手がついてるじゃない」
また、ベッドに倒れこんだ。ああ、また痛い。大きなため息が漏れた。
「あんた、私を殺す気だな」
「すぐに病院に戻ってくるからよ」
ルーシーは笑っていた。この女は悪魔だ。
「状況を把握した上で、冗談を言ってほしい」
私はぼやいた。
「切り傷だけよ。結構なケガに見るけど、大丈夫よ。骨も筋も支障なし。そこまで深くもないし。でも、病院へ来るのに時間がかかったので、出血量が多くて、ショックに近い状態を起こしました。女の人はダメよ。もともと血の量が少ないからね」
不覚。また、倒れたか。軍人稼業が向いてないのかもしれない。
「こないだより、ましよ。火傷より痛まないわ。なんでそう、しょっちゅう怪我するんだか」
「商売がこれだから、仕方ないんだよ」
私はぼやいた。
「いつここへ来たの? 私」
「夕べよ。すぐに寝かせたのよ。今は朝よ」
「いつ病院を出られる?」
「もう、出ていいわよ」
すぐに、いや、痛いとまずいので、ゆっくり起き上がった。
確かにこれくらいの傷なら、たいしたことではない。
あの時、私は絶対に殺されると思った。腕一本なら安いと思った。それなのに、この軽傷とはどういうことだ。
「私の服は?」
「あれはさすがに捨てたわ。べりべりに破れていたし、血だらけだったので、処分しました。着るものを誰かに持ってきてもらいなさいよ」
一体誰に。シェリか? でも、彼女も忙しいだろう。
「ルーシー、服を貸してよ。」
ルーシーがびっくりした。
「え? なんでよ。将校でしょ? 誰か部下でもいるでしょうが」
「だって部下が男ばかりなんだ。自宅へ入れたくないし。今だけだから」
私はウソを言った。
「うーん、そうねえ。ちょっと聞いてみるわ」
彼女が出て行ってしまった後、私は、しばらく唇を噛み締めていた。
脳裏に焼きついていたのは、キム少佐だった。
彼のバラバラな髪、死んだときの顔、抱えたときの感触、全てがよみがえってきた。
あの時、私は気分が悪くなりかけた。一度、折れてしまった心は立ち直れないことが多い。ああいうシーンはトラウマになる。
何回もこういう体験を繰り返し、それが恐怖として心に食い込んでしまうと、もう兵としては使い物にならない。
何回か痛い思いもした。そういう体験もマイナスだ。自分に自信がなくなるのだ。
若いうちはいい。自分の無限の可能性を無邪気に信じることが出来るが、だんだん年を取っていくと、そうも言い切れなくなっていく。
実のところ、キム少佐のことは嫌いだった。だからか、まだ割と平気だったのかもしれない。大事なのは、二度と起こさせない方策を考えることだ。
そう自分に言い聞かせた。
ルーシーは、大柄な後輩が、ノルライド少尉に貸すのなら喜んでと言ってくれたと、ピンクの服を貸してくれた。
「あとで、サインが欲しいそうよ。その服、要らないんだって。入らなくなったそうなのよ」
確かに、私にぴったりのサイズだったが、色が気になった。
なにやら妙な服だ。ビーズとスパンコールがついている。着てみると、どうも変な具合だった。
これはパーティドレスみたいだが、なんでこんなのを勤務先に置いてるんだろう。ハイウエストのフレアのミニスカートだった。足がにょっきり出てしまう。それに、これだと風でも吹いたら、どこまでまくれ上がるかわからない。不安なスカートだった。だが、しかたない。
「靴もお借りできませんかね?」
ありがたいことに看護師シューズを貸してもらえることになった。それだと、サイズが全部あるらしい。服がピンクでよかったと思わなくてはならなかった。看護師シューズが白だったからだ。白以外の靴はないとルーシーは断言した。
「下着とかなら、売店があるわ。まだ、早いから、一般の人の出入りはないから、気にしなくてもいいわよ。患者以外は誰もいないわ」
かなりかっこ悪い。
まあ、この際、知り合いがいて本当によかった。
着ているもののことを考えると、あんまりいい気分ではなかったが、とりあえず、すぐに病院を脱出できるのは助かった。
鏡を見て、髪を直した。すごい格好だ。
全く似合ってない。大体、こんなかわいい系は、もともと全然好きじゃなかった。買ったこともない。
「あら、意外によく似合ってるわね。ステラは、全然、合わなかったのにね、その服」
靴を持ってきてくれたルーシーが、ちょっとびっくりしたように褒めてくれた。
そして、彼女はいきなり後ろに回って、自分のヘアピンを抜いて、髪を結ってくれた。
「かわいいわよ。あんた、細いわねえ。」
と、あっさり言った。ルーシーは悪い冗談は言うが、親切なのだ。
「とはいえ、ここで、パーティードレスは普通着ないけどね」
私もそう思う……
なにか、こう、ルーシーのやっていることと、昨日の気象センターの凄惨な有様は、あまりにもギャップがありすぎて、もしかしたら、そのどちらかは現実じゃないんじゃないか、みたいな錯覚に陥りそうだった。
この格好を軍の誰かに見つかったら、さぞ驚くだろう。早めに出て服を着替え、状況を聞くために基地へ戻ろう。
あの時はいちいち確認しなかったが、二十人全員が死んでいたのか、何人かは虫の息で生きていたのか。
確認するのがすごく嫌だったのだ。おそらく全員死んでいるのではないかと思われたのだ。医者ではない我々が出来ることは、出来るだけ早く救出することだけだった。
また、中佐ら上層部がどの程度まで公表するつもりがあるのか、この事件は非常に深刻だった。
「はい、こちらです、どうぞ」
突然、甲高い声に導かれて、廊下にどやどやと数人の足音が聞こえた。いきなり、病室のドアが開いて、誰かが顔をのぞかせた。
「オー、ノルライド少尉、大丈夫だったか」
オーツ中佐だった。思わず条件反射で直立不動になって、
「大丈夫です。ご心配をおかけしました。」
と、言ってしまった。
うわあ、このドレスでは、全然似あわない。どうしよう。中佐はそれ以上何も言わず、まじまじと凝視していた。
「大丈夫か」
と覗き込んだのは、元亀の少佐だったが、これもピンクのワンピースを見て絶句していた。
「ノッチ……」
オスカーも、私の姿が目に入ると、黙り込んだ。
次はギルだった。これは、声を掛ける前にこの格好が目に入っていたらしく、ずっと黙っていた。
「あらあ、すごくお似合いですわ。軍服がだめになってしまって、着るものがないそうだったので、私が貸しましたの。よく似合うわぁ。ネットの写真みたい」
案内してきた黄色い声が、軍の連中の後から病室へ入ってきて、うれしそうに言った。
ははあ、この子がステラか。ネットの写真てなんだ。
ステラをみて私はちょっと驚いた。大柄な後輩といっていたはずだが、私の胸くらいまでしか背がない。幅は倍くらいある。納得した。彼女には、普通のウエストの位置で、ロングスカートなんだ。
でも、若くてかわいい顔はピンク色に染まっていた。
「どうも、ありがとうございます」
私は彼女にお礼を言った。
事情説明を受けて、軍の連中は肩で息をついた。全員、私がどうかしたのかと思ったのに違いない。昨日の今日で、ドレスアップとは異常である。




