第21話 ジャニスと言う男
小高い丘の上には、何も変わったものは無いように見えた。
「こちら側から見ると、何も見えない。でも、もう少し左によると、一軒の平屋建ての家が建っているのが見える。
小さな、背の低い倉庫のような家だ。
だが、最近の調査で、あの家の周りの地下に、大きな空洞があることがわかった。網の目のように通路が整然と整備されているのだ」
少佐がなにか冊子を広げて見せた。上のほうに極秘と書かれていた。反対側にも第1級秘密資料と小さい印が押されていた。
一枚目は、鳥瞰図だった。小さな家が丘の上に載っていて、下に通路が伸びている様子がわかる。
下の通路は、色々な部屋につながっていて、個人の住居にしては大きすぎた。横に付された数字を読んでいくと、おそらく五階建てくらいのビルに相当するのではないかと思われた。何本か縦線が引いてあった。多分エレベーターだろう。
このエリアは、今まで注目されていなかった。グラクイ出没エリア内なので、居住は禁止されていたが、出没の頻度が低かったためだ。
「ジャニス・ガーランは二代目だ。彼の前には、彼の父であるホラント・ガーランがいた。ジャニスは一人っ子で、両親はずっと前に離婚している。ホラントがいつから、あそこに住み着いて、グラクイに指示を出し始めたのかはわからない。ジャニスは、記録によると、現在五八歳になる」
「ジャニスとグラクイに、何の関係があるんです?」
少佐は私の顔を見た。
「グラクイは、要求どおりのことを極めて高い知能で実行できるらしい。グラクイは欲を持たない。人間は欲の塊だ。ジャニスみたいな人間の手に渡れば、大なり小なり必ず害をなすだろう」
心底、驚いた。そんな仮説は聞いたこともない。
「要求通りのことを実行してくれる? どうやって?」
「グラクイに命令しているのではないかと疑われている」
「まさか、そんなはず、ないでしょう」
「そのまさかを証明することができない。でも、それしか考えられない」
「グラクイは、言葉がわかるということですか? ありえない。理解するにしても、そんな細かい指示を理解するのは人間だって大変です。そんな動物はいままで一度も存在しなかった」
「ジャニスは、おんぼろのレーザー銃の部品を買い集めていた」
おんぼろのパーツを集めて作った銃? ちょうど、グラクイが持っていたような?
「それをグラクイに与えていたとでも?」
「そう、そのとおり。だが、グラクイのレーザー銃と同じ部品なのかどうか、証明ができなかった」
「でも……」
私は言いかけた。最近、殺したグラクイが持っていたレーザー銃は、全部回収したはずだ。
「そうだ」
少佐は私の考えを読み取って、答えた。
「初めてグラクイの銃を集め、ジャニスが買った部品と照合したのだ。これまで、あんな汚いぼろぼろの銃なんて、そのまま捨て置いていたのだ。確認しなかった我々がうかつだった」
少佐は、何か言いかけた私を抑えて、続けた。
「わかっている。だが、ジャニスの存在そのものを知らなかったし、一見何の関係もなさそうなジャニスが何を買うかなんて調べなかったのだ」
「ジャニスがここに住んでいることは、誰も知らなかったのですか?」
「いや、彼が買い物をしていた店の連中は、居住禁止地域に住んでいるのではないかと感じていたようだ。だが、誰も確認しなかった。ジャニスと付き合いたくなかったものでね。数か月前、電気の不法使用がばれて……」
「なんですか? それは?」
「ジャニスは金がなかった。地下の送電管に細工して、こっそり電気を盗んでいた。使用量が合わないので、調査が入って、それでばれたんだ。多分、穴掘りが得意なグラクイにやらせたんだと思うが……」
ちょっと、唖然とした。そこまで、金がないのに、レーザー銃をあれほど大量に準備するとは……
「今更な話だが、その結果、ジャニスが買った銃の部品の種類と符合したのだ」
「完全にクロじゃないですか! 少なくとも供給源だ」
「その通りだが、だめだ。裁判所に出したら、多分負ける。あの男を止めることができない」
私は少し冷静になった。それは、殺すほどのことなのだろうか。
「ジャニスは公式には死んでいるんだ。失踪扱いだ。そのため電気料金問題も、宙に浮いたままらしい。ジャニスに接触を試みたが、まったくダメだった。ヤツはある種の狂人だ。人を寄せ付けないのだ。だが、我々は彼を観察し続けた。あそこだ」
彼は、小高い丘の上の、目立たない小さな平屋を指した。
「ジャニスは、いつもグラクイと一緒だ。グラクイに世話をさせている。間違いない、ヤツこそが原因なのだ」
手が届かない相手に、歯がゆそうに彼は言った。
「ジャニスは、雑貨屋の主人とは話をする。もともと軍を憎み嫌っていたらしい。だが、ここ数か月はエスカレートしていると、雑貨屋が言っていた」
雑貨屋情報?
「そうなんだ。だが、店の連中もジャニスは話が通じないと言っていた。話は一方通行で、質問には答えない。勝手にしゃべって帰るらしいんだが、グラクイに命令できると以前から自慢していた。雑貨屋は信じなかったが、最近は卵を集めていると話していたそうだ。時期的には、卵の回収が始まる少し前だ。全く信じられなかったが、観察と部品の符合、間違いない。
そして、次は、金の準備ができたので、グラクイに短銃を持たせ、穴を掘って進み、軍を殺すつもりだと言っていたそうだ。命令さえすればグラクイは何でもすると」
私は必死になった。
「じゃあ、生かしておかなくちゃダメです。そのジャニスを。グラクイは貴重だ。もし、そんな動物なのだったら、研究したい。彼は何らかの意思伝達方法を解明したに違いない」
少佐は語気荒く答えた。
「バカな事を言うな。我々は、グラクイを研究する気なんか、さらさらない。グラクイさえ残っていれば、そんな研究は後でいくらでも出来る。
このままだと、いつまでたっても、旧の気象センターにたどりつけない」
「旧の気象センター?」
「そうだ。もしかすると、ジャニスが盗んで彼の自宅に隠し持っているかもしれない。戦争前の気象と大気のデータが残されているかもしれないのだ。
グラクイは空を暗くする原因だと言われ続けてきたが、立証するものがない。
せめて、戦争前の大気と比較したいのに、データが取れない。最近では、グラクイが凶暴化して、ますます困難になってきている」
私は、ずっと、グラクイを退治する、のんきで楽しいシューティングゲームに参加しているだけのつもりだった。何匹グラクイを殺すかが問題になるだけの。
「データが取れない限り、軍は縮小を強いられる。グラクイがほんとにただの野生動物だったら、軍は虐殺者になってしまう。誰も金なんか払ってくれない。少尉だって、困るだろうが」
バルク少佐がにらんだ。
「状況から見る限り、空を暗くしている件について、グラクイは限りなくクロに近い。でも、証明ができない。そうかといって、このまま放っておくわけには行かない。ジャニスは邪魔だ。始末しないと我々は一歩も前に出られない」
私は、ふと思いついた。
「ジャニスがあの家にいるときに、バンカーバスターみたいなのを打ち込めばいいじゃないですか」
「ジャニスがあの地下のどこかに、われわれが喉から手が出るほどほしがっている気象データを隠し持っている可能性が残っているというのに? 全部パーになるぞ。ジャニスの生死やグラクイの絶滅より、そっちの方が死活問題なんだ」
少佐が冷淡に言った。
そうか。軍にとってはそうだ。グラクイ退治だけが、今や軍の存在理由になっているのだから。
「ジャニスを殺せば、グラクイが人間に刃向かってくることは無いだろう。やりたいことが自由に出来る」
私はとても不思議だった。
「どうしてライフルなんです? こんな旧式を使ってどうするんです。ロケットランチャーだってあるし、追尾すれば簡単じゃないですか。人間が一週間も待機しなくたって、ここに遠隔監視装置をおいておけばいい。どうせグラクイは、そんな機械を知らないんだから……」
「うん。その方がずっと正確だし、効率的だし、なにより少尉をわずらわせなくてすんで我々も大喜びなんだが、そうは行かない。
知らないとは言わせないぞ。国際規約で、軍が実戦で、定められた以外の武器を用いる場合は、二週間以上前に議会の承認を必要とする」
うん。それはそうだった。私は陰気そうな顔をした。
「いいじゃないか、君の出番が増えるわけだ。君は結構目立ちたがりだから……」
少佐は意地が悪そうに続けた。
「ジャニスは公式記録上は死んでいる。死のうが生きようが、誰も問題にできない。武器の申請なんかしたら、理由まで言わなくちゃならなくなる。このやり方だと、どこにも誰にも知られないで終わる。司法的に安全らしいぞ。よかったな」
私は、少佐のもって回った皮肉にげんなりして、灰色の荒野を眺め渡した。風が吹き渡り、草ともいえない草がハゲオヤジの髪の毛みたいにまばらに生えて、ぱらぱらと風になびいていた。私は話題を変えてみた。
「ジャニスは、なんだってあんなテラスに出てくるんです? 地下にもぐっているほうが安全なのに」
「ひなたぼっこらしい」
「えっ?」
私はびっくりした。
「彼も所詮、人間なんだ。日の光を浴びたがっている。
でも、グラクイを利用し続けるなら、ああやって今みたいに日の光を遮断し続けるほかない。
彼は、定期的に、日の光を浴びに出てくる。
外が好きなんだな。
だが、失敗すれば、もう二度と日向ぼっこなどという危険なマネはやらなくなるだろう。
チャンスは一回きりだ。だから、一発必中といった」
私は少佐の顔を見た。少佐も私の顔を見つめた。
「我々は、スナイパーを捜し始めた。まず、ジャニスを始末しなくてはならない。
しかも極秘に、戦場認定されているここでだ。ここなら、人を殺しても警察のご厄介にならない。
我々の想定狙撃ポイントはあの家からおよそ七百メートル離れている。
幸いあの家は非常に日当たりがいい。ガーラン一家の持っているGPSは、ボラントが隠遁する前に入手した種類のものなので、旧型で警戒範囲は七百メートルを下回っていると思う。だから七百メートル射撃が確実なスナイパーを探し続けた。」
バルク少佐が非難の目つきで私を眺めた。
「本来なら、一週間前にスナイパー計画は始まっているはずだった。
力があるくせに、なぜ、アピールしないんだ。
オーツ中佐が、苦労して、少将以下全員を説得して、少尉のライフル実射を見せに連れて行った」
私はようやく気がついた。
バルク少佐がぴりぴりしながら、私を射撃場に呼びつけた時、射撃場に誰もいないので不審に思ったが、あの時、将校たちは物陰で私を見ていたのか。
「実射を見れば、誰も何も言わない。みんなあきれ返っていたよ。つまらん苦労をおれたちにさせるな」
私は少し驚いたが、しばらくして笑った。
笑えば、少佐を怒らせることは確実だったが、少佐が口ぶりの割には怒っていないことがわかっていた。
「少尉の能力は変わっている。撃つだけならギルやシンの方が成績がよかったんだ、わかるか?」
私はびっくりした。今の今まで、私の方が成績がいいからスナイパーに選ばれたのだと解釈していた。私が驚いた様子なのをみて、少佐は小意地が悪そうに続けた。
「少尉の方が成績がいいはずがないだろう? 少尉には、ライフル競技の優勝記録がなかった。ギルやシンはタイトルを取ったことがある。
むろん、あんたは非常に優秀だった。軍に入隊するだけなら十分すぎるほどだ。
だが、スナイパー向きじゃない。筋力、持久力、耐久力、体格。なんでこんな女を使わなきゃならないんだ。みんながそう思ったし、おれたちだってそんなことはわかっていた。でも、問題はそこじゃない」




