芽吹き待つ勇者
修道女タチアナが“ぎるどのまち”を訪れ、その上にある浮島に拠点を構えて一週間。
「リタ、朝ですよ」
「起きてる。おはよう、タチアナ姉さん!」
朝の日課に、芽吹き待つ勇者に声をかけるというものが加わった。
☆
「ふむ、随分見違えたな!」
「ユークリッド、頭撫でるなよ! せっかくタチアナ姉さんが結んでくれたのに」
「はっはっはっ」
冒険者ギルド“大宴会”の拠点は、今日もたいそうにぎやかだ。メンバーは種族も職業も幅広く、時折タチアナも目をむくような立場の人間まで混ざっている。その拠点の食堂で、タチアナ達は主に待ち合わせている。
タチアナと同席するのは、護衛として雇用した勇者の末裔ユークリッド、“怪人”ディー、なぜか他のギルドにいる魔術師ルヒト、そして。
「ほら、午後は稽古なのですから、きちんと食べてください」
「もー、タチアナ姉さんってば、あたしをぷくぷくにしようとしてない?」
タチアナが期日の数日前に見つけた、“芽吹き待つ勇者”リタ。彼女はまだ十二歳の少女である。護衛をしてもらいユファリリア皇国の首都へ行った際、路地裏で倒れているところに出会った。スラムに住んでいて、盗みを働いた先から逃げる途中に屋根から落ち、動けなくなっていたのである。タチアナは傷を癒した後、事情の説明より彼女を風呂に入れることと食事を摂らせること、そしてきっちり休ませることを優先とした。有無を言わさぬその勢いにディーが腹を抱えて笑っていた。
「貴方の信仰には食事の決まりが多いですが、量は制限されていないでしょう。食べてはいけないものは最初から隠し味含めて入っていませんから」
「タチアナ様、リタさんが困ってしまうからほどほどにしましょう。貴女も午後は施療院に行かれるんでしょう」
「あ、ごめんなさい、ルヒト殿。急ぐのでした」
「何度見ても面白いな」
ディーが笑いをこらえて呟く。
「タチアナ殿の出自を考えれば当然だろう。その瞳は誰かを助けよと与えられたものだ。誰かとは助けが必要か、それとも弱っている相手だ。どんぴしゃりというわけだな」
「なるほど。オレやユークみたいなのだったら怒られて終わりか」
「ディー達も笑ってないで早く食べないと! ユークリッドは神殿の偵察で、ディーはリタさんの稽古でしょ!」
「すまんすまん、ルヒトはタチアナ嬢ちゃんの護衛だったな」
「はっはっはっ」
今まで経験のなかった賑やかな日々に戸惑いながら、タチアナはできることを模索していた。まず必要なのは、リタに新しい生活に慣れてもらうことだった。リタの両親は東方の生まれで、リタが生まれる前に戦火から逃れてユファリリアにたどり着いたのだという。両親が死んでから一人きりで、盗みをして生きてきた。タチアナはリタの衣食住を整えて、必要な事を学べる環境を整える事を決めた。勉強はタチアナとユークリッドが教え、鍛錬はディーが稽古をつけることになった。
「ご馳走様でした。では、リタ。また夕方に」
「はーい。いってらっしゃい、タチアナ姉さん」
ルヒトと連れだって食堂を出る。
タチアナ自身も、この“ぎるどのまち”に受け入れてもらいたいと考えるようになっていた。リタの事もあるが、自分自身にきっと必要な事だと思ったからだ。瞳に宿る治癒の奇跡は、乱用して良いものではない。だが瞳の力は使わなくとも、怪我の手当てと病気の看病の知識をタチアナは持っていた。“大宴会”のギルドマスターに紹介してもらい、今は施療院を手伝っている。
つまりタチアナを含めて、殆どのヒトが気がつかないうちに、“ぎるどのまち”には現在、二人の“芽吹き待つ勇者”と、二人の“選定者/剪定者”がいる。
☆
リタはディーから槍の基礎を学んでいる。まだ持たせてもらえるのは棒の先に布を巻いたものだが、初日に比べればだいぶマシな動きになったらしい。
「っはー! よし、型の練習終わった!」
「おう。じゃ、休憩にするか」
リタは頷くと、放置されている木箱の上に座った。
「ね、ね、勇者アウロの話して」
「好きだなあ、お前」
「だって伝説の勇者と旅してたなんて聞いたら!」
「伝説ねえ…」
自分が勇者になるかもしれないと聞かされた時、真っ先に思い出したのは、母が眠る前に話してくれた勇者の物語だった。特にリタは、三百年前に魔王と戦った勇者アウロの話をよくねだったものだ。その勇者の末裔と、勇者と旅をした“怪人”、勇者と関わりがあった傭兵の子孫なんて自己紹介の時に聞いてしまったら、実話を聴きたくなるのも当然だと思うのだ。
「多分お前、本人に会ったら相当驚いたと思うぞ。物語の中のアウロは随分とこう、格好良くなってるからな」
「それもう百回は聞いた」
「あの頑固者が伝説とはなぁ、長生きすると何が起きるかわからん」
ディーはヒトを辞めてすぐ封印されて、次に目を覚ました時には百年が経っていたという。だから、アウロの前の勇者とは面識がない。アウロの先代勇者の子孫には出会ったと言うので、その話も聞きたいところだ。
「カサラ・シカルとアウロって、結局恋人だったの?」
「あー、物語によってはそうなってたな、そういえば。違うぞ。もしそうだったら、ルヒトとユークリッドの二人はいなかったはずだ」
「あ、そうか。それぞれ別の家なんだもんね」
「とはいえ、カサラの方の血筋はよくわからないんだがな。あいつは自由気ままに世直し旅みたいな事をしてた奴で、勇者と旅をしていたわけじゃない。魔王との戦いの前に会ったきりだ」
「ディーは長生きなのに、それきりなの」
「ああ。ルヒトは確実にカサラの直系だが、いつどこで家庭を持ったのやら」
ディーは大昔のことでも、少し昔くらいのことのように話す。怪人はヒトのことわりから外れてしまうから、自然と時間の経過も曖昧になっていくらしい。
「ディーは、ずっとアウロの一族と暮らしているんだよね」
「契約があるからな。だけどな、昔はもっと旅をしてたんだぞ? 今はユークリッドがやたらと問題を起こすから、お目付役を申しつけられてんだよ」
「アウロとユークリッドって似てる?」
「いやあんまり。アウロはわりと普通の感性で生きてる人間だったんだが、ユークリッドはこう、自分に素直に生きるにもほどがある」
「ルヒトとカサラは?」
「……たまにすごく似てるな」
ふと、ディーが目を道の方へやった。黒い服の青年が、赤い服の少年と連れだって向かってきている。
「あれ、ディー?」
「オルカ、元気か?」
肩に植物を巻きつけた青年は、元気ですよと笑って返した。リタは。
「…?」
「はじめまして」
ふわりと笑って会釈をする少年のほうがなぜか気になって、そちらばかり見ていた。