語り部とオルカ
魔術師は魔力と引き換えに、本来なら必要ない手順を省いた現象を起こす。例えばマッチがなくても薪に火がつけられて、弓兵がいなくとも矢があるなら飛ばすことが出来る。
魔法使いは魔力を火種に世界の法則に干渉し、現象のルールを捻じ曲げる。マッチが無くとも火はつくことになって薪が無くても燃え続けるし、矢は自然と出来上がって飛んでいくものになる。
魔術師と魔法使いは科学技術が発展する以前の時代では、戦場で最も警戒された敵であり、また心強い味方だった。
さて、科学技術が発展して以降も、これはどうしようもないとされた存在がある。例えば“怪人”、彼らは存在からして出鱈目で、必要なら空も飛ぶ。他には“高位干渉者”、なんの対価もなしに世界の法則を捻じ曲げる滅茶苦茶な存在で、幸運なことに春告げの時代にはいなかった。最後が、神々からなんらかの加護を授けられた存在である。これはもう、人の領域外の事なのでどうしようもない。なお、修道女タチアナの瞳がこれにあたる。
ところで、魔力を必要とせず、かといって加護によるものではない能力や術も数多くある。その中でも、“祝福”と呼ばれる法術は、なかなか特殊な分野だった。これは神々から与えられた祝福、ギフトを、術者の魔力を用いて再現するというものだ。その法術の中でも、セフィ神教の語り部にしか使用できないものが、今も昔も一つだけある。
通称、“語り部の身隠し”。人がいるなら辺境だろうと徒歩で向かう語り部とその同行者の、姿や気配を消すためのものだ。通常、語り部になった際に与えられる杖に付与され、持ち主の語り部にしか使えない。
ヤヒラの心当たりとは、語り部マルガリータの杖に付与された、その術を用いるというものだった。
☆
拠点の居間は東方寄りの調度品で整えられている。マルガリータは物珍しいのかきょろきょろ見回していたが、オルカがお茶をいれて戻ってくると表情を引き締めた。
「改めまして。オルカ・エコーと言います。直接お会いできて、光栄です」
「マルガリータよ。ええ、私も会いたかったのだわ」
拠点には、オルカとマルガリータ、そして壁際でじっと成り行きを見守っているヤヒラしかいない。アガサ達は夕食の買い出しに出ている。マルガリータは遠慮せず、それで、と話を切り出した。
「その手の紋章については、説明をもらえるのかしら」
「誰にも話さなかったのに、わかるものなんですねぇ」
オルカが左手のグローブをはずし、手のひらをマルガリータに見せる。
「蔦と小鳥ね。確か、あなたの従魔は吸血蔦だとか」
「ええ」
「なら、この小鳥は春告げ鳥ね。アガサのことなのだわ。春の花の開花を追って旅をする、流浪の民」
あなたは、とマルガリータはオルカを見つめた。オルカもまた、マルガリータを見つめている。
「ユファリリアの、四人目の“選定者”。アガサはあなたが選んだ“芽吹きを待つ勇者”というわけなのかしら」
「ご明察のとおりです」
グローブをはめ直し、オルカはマルガリータの言葉を肯定する。
「光の柱が“ぎるどのまち”にも立ちました。神使様が指名した“選定者”がおれです。公表しなかった理由は」
「騒動、と言うよりは、権力争いに巻き込まれることを忌避したから。わかるのだわ。実際、その通りになっている。……私を呼んだのは、あなたとアガサを隠すためね?」
「はい」
「私が、中央神殿所属の語り部だと知っているのに、言っているのね?」
「はい」
ふふ、とマルガリータは口の端をつりあげる。
「私が口外しないと思っている。頼んでも、あなたとアガサに損はないと。その自信は何を根拠にしているのかしら」
「簡単です」
オルカもまた、笑った。
「ここには、あなたの大切なものが集まっていますからね。語り部マルガリータ。たとえ誰かに報告をされたとしても、カクロウと我らがギルドマスターがいる限り、おれ達にとって悪いようにはならないと思っています」
オルカの言葉に目を丸くして、マルガリータは大きく息を吐いた。対して、オルカの顔は変わらず笑みが浮かんでいる。
「あーあ! 嫌なのだわ。“黒点”のカクロウが、完全に足抜けするきっかけになったっていうから、どんな聖人君子かと思っていたのに! トオテからも気にかけられているというから期待していたのに」
「二人とも、頼れる仲間です」
「あーあ! ……そうね、ギルドマスター達も協力しているのなら、みぃんな巻き込まれるのだわ。悲しいことになるのは、私も望まない」
手を出して、とマルガリータは語り部の杖を掲げた。オルカがグローブを外して手を差し出す。
「あなたと、あなたを通してアガサの輝きを隠すのだわ。でも、この事は私が信頼する人に話す」
「ありがとうございます」
「よく言うのだわ」
語り部の杖が燐光を放つ。マルガリータはオルカの手のひらに杖を近づけた。
「“翼神よ、語り部マルガリータが請い願う。その大いなる翼でもって、雨風を恐れる鳥達を守り給え”」
☆
「どれにしようか、ネメシス」
首にまとわりつく吸血蔦に話しかけながら、アガサは魚を眺めていた。
「アガサ、お前そいつ、怖くないのか」
「え?」
カクロウが自分の首を叩くと、アガサはネメシスを撫でた。
「たまにくすぐったいです」
「うん、平気なのはわかった」
「オルカさんが言って聞かせてくれていますし、僕にとっても身近な生き物なので」
アガサは流浪の一族の生まれだ。普段は年間を通して暖かな土地にいるが、春先になると特定の花の開花を追って旅をする。吸血蔦は野宿の時に、野営地の入り口に張り巡らせていることもあった。そうすると、魔物が来ても蔦が捉えてくれる。
「ネメシスは意思疎通ができるから、可愛いですね」
「そこはオルカの努力のたまものさ。野菜買ってきたよ」
ミササギが野菜の入った袋を持って戻ってきた。
「ミササギさんとオルカさんって、同じ先生を師事していたんですよね。ネメシスっていつからオルカさんの従魔なんですか?」
「今のアガサくらいだったんじゃないかな。森に入って一匹必ず何か連れて帰るって課題でね、七人いた弟子で一斉に入ったんだ。オルカだけ森の奥まで行っちゃったのさ」
「じゃあ、その時にネメシスに?」
「そうそう。懐かしいな」
魚を人数分選び、そろそろ帰ろうと歩き出す。
「オルカさん、ネメシスしか従魔いないんですよね?」
「一応もう一匹いるにはいるけど、師匠に預けたままだ。常に連れているのはネメシスだけだよ」
「僕が連れ回して大丈夫なんでしょうか。最近、依頼以外の時について来ちゃうんですけど…」
アガサとしては嬉しいのだが、オルカは困るのではないだろうか。
「あいつがこうして許してるなら良いって事だろ。今後はそいつとも連携とることになるんだ、慣れとくのは大事だぞ」
カクロウがネメシスごとアガサの頭を撫でくりまわして言う。そう、いよいよ本格的に依頼に参加する予定なのだ。
「はい!」
気合を入れて応えると、ネメシスも大きく葉を振っていた。
アガサは生まれもあって馬術と弓術に慣れ親しんでいます。なので主要武器は弓。ヤヒラからは剣と魔法を習っていますが、修行中のため、ギルドには弓術士で登録しています。