神殿にて
番外編のようなものです。
ユファリリア皇国から見て東の方角に、大陸一の大国がある。名をカガミ国といい、現在は女王が治めている。日暮れ前にその国の王都に入った語り部マルガリータは、そのまま王都の中にある、特別な区画へと向かった。
カガミ王国内、セフィ神教中央神殿特別区。王国の中であって王国の法律の下にはなく、国のようでいて国ではない。セフィ神教の中枢、神に仕える者達が集まる場所である。
「あ、まぐー!」
「こんばんはなのだわ」
「おかえりなさいませ、マルガリータ師」
「ええ、戻ったのだわ」
「語り部殿、夕飯の場所はお決まりかね」
「後でうかがうのだわ!」
特別区の住人に手を振り声を返し、マルガリータは奥まったところにある聖堂へ入った。
「ジン様、ただいま戻りました」
「……マルガリータか」
信徒用の座席に座り祈りを捧げていた神官が、立ち上がって振り返る。黒々とした髪に、精悍な顔つき。まだ年若いように見えるが、マルガリータの記憶では初老といってもいいはずの歳だ。
「一回戻ってきたの」
「ご苦労だったな」
セフィ神教は、創造神セフィを始め、数々の男神女神を奉じる多神教である。海向こうの国や島国は特定の神のみ奉じられていることもあったが、この大陸ではそうではない。ただ、何に祈るのか、何を心に秘めるのかによって、多くの神々の中から一柱を特に信仰する形をとる。
神官ジンは、時の流れと巡り合わせの神ジンテルゼルに仕える神官であり、女神ジンテルゼルを信仰する神官信徒の中心である大神官だ。立場としてはセフィ神教の長、教導者に次ぐが、あくまで大神官の一人であり、ジンが大神官の筆頭と言うわけではない。
「首尾は?」
「まあまあ、座りましょう」
横並びに座り、ジンテルゼルの彫刻を見上げながら、マルガリータは報告を始めた。
「連れ去られた影使いの子どもは目下捜索中。王都に入って以降の足取りが綺麗さっぱりなかったのだわ」
「族長と接触は?」
「達成。今の隠れ里は放棄して、昔の里の方に移られていたのだわ。あれなら心配はないと思う」
影使い一族は勇者の仲間の選定を行う一族で、ありとあらゆる影を操ることができる。ジンがマルガリータをユファリリアに送り込んだのは、この一族の事があってのことだった。次の勇者に仕える予定の小さな影使いが、ユファリリアに連れ去られたのである。神殿が関わっていることまでは突き止め、一部関係者も認めたが、身柄を返そうとしない。仲間を選べるなら、勇者になる者も最初からわかるのでは、と言うことらしい。
「修道女タチアナに対しては?」
「ユファリリアの神官長を振り切って神殿を出た。荷物もまとめてね」
「一人か」
「まぁ、こっそり護衛はついていたのだわ。でも、さすがに一人はねぇ。箱入りだし」
「だがそれだと連れ戻される可能性があるだろう」
「そこは問題ないのだわ。“ぎるどのまち”に向かったから」
「は?」
「“ぎるどのまち”の“白刃の舞い手”を訪ねなさいとお勧めしたのだわ。そこで護衛を探すはず」
「お前が関わっているギルドか。たしかに、信頼は置けるのだろうが」
「あ、違う違う。多分、トオテさんは断るのだわ。いたら困ると判断して」
「なに?」
マルガリータがにやりと笑う。
「ほら、ジン様がお告げを受けた“選定者”の数と、ユファリリアから発表があった“選定者”の数が一人合わないって言っていたでしょう? あたりがついたのだわ」
「本当か」
「ユファリリア神殿の観測官が報告したものの、見間違いとして処理された場所があったのだわ。城の観測棟の方は入り込めなかったけど、多分間違い無いのだわ」
「それが、“ぎるどのまち”だというのか」
「ええ。それも、“白刃の舞い手”。なんでも、お喋りな神官の一人が、神託のすぐ後に聞き込みを受けたらしいのよ。“獅子の牙”って小さなギルドがあるんだけど、そこの魔法使いに。で、次の日どうやら“白刃の舞い手”に他の主要ギルドのギルドマスターが集まっていた」
「……すぐに状況把握に動いて、確認を受けたのかどうかを確かめた?」
「“選定者”は“白刃の舞い手”の誰かなのだわ。公表しなかったのは、まあこうややこしい事になると予想したからでしょう」
ギルドは依頼を受ければ国の仕事も神殿の仕事もするが、どちらにも属すことはない。国と渡り合うような大きな後ろ盾のない彼らは、隠すことで守りに徹する事にしたのだろう。知られていなければ戦いは仕掛けられないし、情報戦の被害もない。
「トオテさんは、だから修道女タチアナを歓迎しないのだわ。彼女はしがらみが多過ぎる。長く留まられれば、それだけ神殿も国も注目するのだもの、遠ざけたいでしょうね」
「なら、なぜ向かわせた」
「トオテさんは冷静だけれど冷酷ではないのだわ。長く護衛ができるメンバーが今いないとかなんとか言って、多分信用のおける他のギルドに紹介する。浮島あたりに家を借りれば、神殿の護衛も近づけないから、きっとタチアナはそうするのだわ。そうすれば“選定者”のうち少なくとも二人は、安全な場所にいる事になる」
「理解した。場合によっては、隠れている“選定者”についても調べてくれ。いつ出るんだ?」
「明日の昼前には」
「そうか。気をつけてな」
聖堂を出て行くジンを見送ってから、マルガリータは改めて女神ジンテルゼルの印を見上げた。時の流れと巡り合わせの女神。
「あなたの導く巡り合わせによって、私がすべき事を全うできますように」
そう呟いてから、マルガリータも聖堂を出た。
ジンが実年齢よりかなり若く見えるのは、若い頃にジンテルゼルの加護を受けたからです。