24-14-1. 『アーク先生の特別講義③ 割り算Ⅰ』
人も寝静まった、港町・フーリエ。
海沿いの港から坂を上に上に進んだ先の、空き家通り。
住民の居ない家屋が軒を連ねる中、とある1軒の家。
灯りのついていた2階の一室、窓から漏れる光がパッと消えた。
「……電気オフ」
マクローリン遠征、出発前夜。
全ての準備を終えた僕は、照明を落としてふかふか羽毛の掛け布団に潜った。
……荷物、OK。ポーションもOK。
目覚まし時計、OK。
明日着る服もOK。
あとはちゃんと時間通りに起きるだけだ。
普段寝るより少し早めの就寝。早寝早起きで明日はシャッキリ起きよう。
「……おやすみ」
期待と不安と、そして復讐と。
様々な感情を心のタンスに仕舞って、深い眠りについた。
……。
…………。
………………。
「あー」
ダメだ。
困った。
人間の身体とは本当に困ったもので、大事な時にばっかりこうなるのだ。
「眠れん」
目が冴えちゃって寝られない。
深い眠りどころか眠気なんてサッパリだ。
くうぅ……心のタンスが閉まらない。
期待と不安と復讐心、何度押し込んでも出てきちゃう。
「……マズいな」
コレは良くない。危険だ。
なんたって明日からククさんと騎乗の日々、背中の上でグワングワン揺られるんだぞ? そんなのを寝不足で臨もうなんて……確実に酔う。
車酔いならぬ狼酔い必至だ。
「嫌だー……」
鳥肌が立つ。想像しただけで気持ち悪くなりそうだ。
……寝なきゃ。何としてでも。
「……寝よっ」
一度寝返りをうち、ギュッと目を瞑り。
引き上げた掛布団に潜り込んだ。
さ、おやすみおやすみ。
…………。
……。
「ダメだーッ」
終わった。もう寝れない。
残念ながら寝不足が確定してしまった。
……ハァ、仕方ない。
明日の朝食は少なめにして、騎乗中は前だけ見るようにして。
酔い止めの薬、もし誰か持ってたら分けてもらって。
それでもダメなら……その時はその時だ。あとはもう――――
「【恒等Ⅲ】して騎乗すればいいじゃない」
「……あ。確かに」
そっか。その手があったじゃんか!
あの眠り鱗粉さえも無効化した【恒等Ⅲ】なら、狼酔いの無効化なんて朝飯前だろう。1時間ごとに掛け直す手間も惜しくない――――
「……ってアーク!?」
「ええ」
思わず飛び起きれば、いつの間にか開け放たれていた自室の扉。
腕を組んで微笑むアークが佇んでいた。
「全然気づかなかった……」
「ごめんね。黙って入ってきちゃって」
「いやいや、別にいいけど」
……それにしても、こんな夜遅くにどうしたんだろう。
「僕に何か?」
「んーん、特にないんだけど……なんだかふと『ケースケが困ってるかも』って思って。来てみただけ」
「なんだそりゃ」
「直感、ってやつかな。案の定お困りみたいだし」
「んまぁ、確かに」
直感鋭すぎない?
……とはいえ、気遣ってくれて何よりです。
「寝れないのかしら?」
「おぅ。……アークさ、こんな時に何かいい方法とかない?」
「眠るための、ってこと?」
「そうそう」
「うーん……」
下を向いて考え込むアーク。
「そういう時は眠くなるまで起きてたらいいんじゃない?」
「まさかの開き直り」
「仕方ないじゃない身体が元気って言っているのなら、眠くなるまで待つ。違うかしら?」
「……ごもっともです」
一理ある。
布団の中で悶々とするよりは、いっそ起きて何かした方がマシだな。精神的に。
それに――――【恒等Ⅲ】、あるし。
「そうしよっと。ありがとうアーク」
「いえいえ」
そうと決まれば早速行動。掛布団から這い出て立ち上がる。
さーて、何をしようかな……。
「数学の勉強でもどう?」
「え?」
ん、聞き間違いかな。
「勉強しない?」
「ベンキョー?」
「そう。数学、勉強」
「今から?」
「今から」
何しようかとは言ったけど、さすがにこの短時間で数学の勉強は……。
マジで言ってんのアーク?
「ええ。マジ」
「嘘だろ……」
「ケースケ、もっと強くなりたいんでしょ。なら勉強しなくちゃ」
「そりゃそうだけど……今はちょっと違わない? 数時間後にはもう出発だよ?」
「関係ないわ」
鬼教官ッ!
「はい決定」
「えっ。えっ、ちょ僕まだ何も――――
「だいじょうぶ。眠くなるまでだから」
「いやいやそういう問題じゃ――――
「じゃあ紙とペンを持って作戦会議室・CalcuLegaに集合!」
「えー……」
「待ってるからね!」
僕の気持ちには一切触れることなく、勝手に物事を進めるアーク。
そしてそのまま、僕を残して行ってしまいました。
「おいおいおい……」
……え、本当に今からやるの?
人も寝静まった、港町・フーリエ。
海沿いの港から坂を上に上に進んだ先の、空き家通り。
住民の居ない軒を連ねる家屋の中、人気の、とある家屋。
灯りの消えていた1階の一室……作戦会議室・CalcuLegaに、パッと光が点いた。
「じゃあ、今日の単元は……」
「本当にやるんだな……」
「いまさら何言ってるの。ちゃんと部屋まで来たくせに」
部屋に入るや否や、僕の着席も待たずしてアークがカツカツと板書を始める。
「待ってアーク、早い早い」
「ほら、ちゃんと追いついて来てよね」
……そんな焦らせないでよ。
いつになく容赦のないアークに尻を叩かれつつ、席に着いて紙とペンをセット。
黒板の左上、アークの右手が伸びる先に目を凝らす。
「はい。今日の単元は……これ!」
「えーと……――――
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│ アーク先生の特別講義 │
│ ―3rd period― │
│ │
│ 整式の割り算 │
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「整式の……割り算?」
「そう」
整式の割り算……なんだそりゃ。そんな単元あったっけ?
既に不穏だ。
「うわ難しそう」
「そんな事ないよ。今夜はわりかし簡単、パパっと終わる単元を選んできたんだから」
「パパっと……」
「なに、疑ってるの?」
ごめん、アーク。バリバリ疑ってます。
今までの経験上、数ⅡBの問題がパパッと終わるワケないのだ。
「分かった。なら――――1問解けたら終了にするわ」
「マジ?」
ちょっと流れが変わった。
……これならパパッと終わるかも。
「やります」
「その意気ね」
やる。
やってやる。
1問くらい、秒で解いてやるよ。
そしてグッスリ眠るのだ!
point①
『式を式で割る』
「それじゃあ、発表します。問題を」
「なんでも来い!」
アークが白衣を靡かせて振り返り、黒板に白チョークを走らせる。
静かな深夜の作戦会議室・CalcuLegaに、カツカツと心地よい音が鳴り響く。
「……はい。コレ、解いてみて」
思いの外、静寂はすぐに終わった。
アークが黒板の前から逸れ、例の問題文が姿を現した。
解いたら終わり。解くまで寝れない、運命の問題。
――――それは想像以上にシンプルで、かつ……見ただけで嫌になる問題だった。
∫∫∫∫∫∫∫∫∫∫
8x²+9x+6 を 4x+1 で割れ。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「……は」
何これ。
終わった。コレ解けない。
今日徹夜だ。
「……どういう問題?」
「ただの割り算よ」
「割り算……か?」
「ええ。書いたじゃない、『割れ』って」
いやいやいやいや、割れないってこんなの!
割る数も割られる数もx混じり……式を式で割ってるじゃんか。式を数字で割るならともかく、式を式で割れとか理不尽だろって。
それに数字の組合せも悪意を感じる。何だよ8、9、6に4、1って。単なる計算でも割る気失せるわ。
「……アーク」
「なに?」
「分かんない」
「そうよね。知ってたらわたしが教える必要ないもんね」
いきなり意気消沈の僕に、小さく微笑むアーク。
……すると。
「でも、だいじょうぶ」
表情一転、真剣な眼差し。
紅い瞳が僕をジッと見つめると……投げ飛ばすかの勢いで、右手の白チョークを差し向けた。
「宣言する。今ここで」
「ッ!?」
「これから5分以内で……ケースケ、あなたは――――これを解く。そして寝る」
「……なっ」
勢いに気圧された。言葉が出ない。
「たっ……たったの?」
「そう。5分で」
そこまで言うなら……頼らせてもらおう。
「だから、とりあえず私の言う通りにしなさい。ね?」
「……分かった。よろしくお願いします」




