24-9. 潮風
右肩の完治予定日まであと3日。
と同時に、マクローリンへの出発日まであと3日。
「ふぅ」
午前9時のリビング。
ダイニングテーブルで食後の麦茶を嗜む。
「んん……いい感じ」
右肩をグルグルと動かしてみれば、骨と骨がピッタリ嵌まってきた感覚。痛みもなく滑らかに肩関節が回る。
全快もいよいよだ。
――――全治1ヶ月。
そう言われてきた療養の日々も、ついに90%が過ぎた。右肩の完全回復まで、残すは最後の仕上げといったところだ。
僕は相変わらず自宅に籠って静養しつつ、近づいてきたマクローリン遠征に向けて準備中。
正直ここまで治ってきたし、買い出しやら魔物狩りやら普通にできそうな気もするけど……万一のことを考えて控えている。
ココで無理して治りかけてた右肩が水の泡、とか目も当てられないもんな。焦らず無理せずしっかり休みましょう。
同時並行で考えている打倒青鬼の対処法についてはー……さっぱり。めぼしい作戦や戦法は未だに思い浮かんでいない。
なので、もう最近は吹っ切れちゃって考えるのを止めた。
遅々として進まなかったし、何よりアーク先生からのアドバイスが効いたんだよな。
『いっそ気持ち切り替えて、白衣の新調とか数学の復習とか美味しいもの食べたりすれば何か変わるんじゃない?』
確かに。そう思ったその日から、分からん分からんと嘆いていた日々は一旦ストップ。いつの間にか数日後まで迫ったマクローリン遠征に向け、準備を整えつつ英気を養うことにしたのだ。
……まぁなんとかなるんじゃない、青鬼の【神出鬼没】は。
アーク先生もああ言ってるんだし。
「……さて」
朝食終わりの午前9時、まったりとした時間の流れるリビングに目をやる。
今日はシン達も狩りをお休みして英気を養っているご様子。好きな事に時間を費やしているようだ。
普段静かなリビングも人口密度が高い。
リビングに設置されたソファには、ダンがどっしりと占領。
彼の自慢の大盾も一緒だ。
「何やってんのダン?」
「武器の手入れ中だぞ!」
手入れ中だそうです。
布で大盾の表面を磨いたり、時にはハァと表面に息を吹きかけたり。
防錆なのか表面保護なのか油を塗ったりと余念がない。
「俺の命、仲間の命を守る大事な相棒だからな。休みの日くらいはしっかり見てやらねえと!」
「さっすが」
……確かに。戦士の鑑みたいなヤツだ。
頼りになります。
リビングのド真ん中を陣取るのは、相変わらずウルフの群れを従えたアーク。
仰向けで縦横無尽にゴロゴロ寝っ転がるウルフ達、その白いモフモフの毛皮に彼女の顔は埋もれていた。
「……何やってんのアーク?」
「吸ってる」
「…………吸ってる?」
「ん」
吸ってるんだそうです。
猫吸いならぬ狼吸いか。
「……ゴニョゴニョ」
「何?」
「…………もふもふ最高」
別に聞き返すまでもなかった。
……まぁ、これ以上至福の時間を邪魔するのもなんだしアークは放っておこう。
開け放たれたリビングの掃き出し窓からは、気持ちよい朝陽とフーリエ港からの潮風が吹き込む。
そこにコースが腰掛け、両足をブランと伸ばす。庭先を駆け回るチェバと一緒に何やらワイワイやってるようだ。
「今日は狩りじゃないんだな」
「うん! 休養日!」
「そっか……で、何やってんの?」
「千本ノック!」
…………千本ノック?!
語感からして既に休養日じゃないんですが。
「そんじゃーチェバ休憩おわり! 続きいくよー!」
「わんっ!」
パンパンと手を打ち鳴らすコース。チェバが立ち上がり、コースが魔法の杖を握る。
その杖先が指す方向には……庭先のチェバ。
まさか。
「【氷放射Ⅵ】!!!」
パスッ!
パスッ!
パスッ!
パスッ!
何のためらいもなく魔法を唱えるコース。
チェバめがけて氷のつぶてを飛ばし始めた!
「なんて事を……」
「がんばれチェバー!」
「ぐるっ……ぅわん!」
集中狙いの氷のつぶてから必死に逃げ回るチェバ。
前後に左右に、時にはジャンプ。避けられなければ鉤爪で弾き、小さい氷礫は噛み砕く。
さすがに氷礫は威力もスピードも手加減しているようだが、それでも結構な勢いなのは間違いない。
「いけいけー! これでもっと強くなれるよー!」
「おぅ……スパルタン」
鬼かよ。
やはりコースに休養日という概念は無いんだろうか。
……とはいえ、何より一番凄かったのは氷礫をノーミスで避けるチェバだった。
鬼教官の千本ノックに嫌な顔もせず付き合って、しかもぐんぐんと成長を見せる辺り……さすがコースとチェバの絆は伊達じゃないと感じたよ。
まぁ、こんな感じで皆それぞれの『休養日』を楽しんでいるようで。
何よりです。
「なぁダン、ちなみにシンは?」
「ああシンか。アイツなら朝からクーゴと一緒に出てったぞ」
「成程」
そうか。
シンはクーゴと一緒にお出掛け……となれば行先はフーリエ灯台だな。あのペアは地味に仲良いし、行く場所とすれば9割方そこだ。
彼らは彼らなりにのんびり休養日を過ごしているんだろうな。
そんじゃ、僕も今日は1日のんびり過ごしますか。
昼寝しよっと。
⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥
――――午前9時。
フーリエ灯台。
岬の先端に佇む、白く巨大な塔体。
最上階には、海を見守る光源とレンズを収めたガラス張りの灯室。
その周囲をグルリと囲む展望回廊。
普段から人気のないフーリエ灯台。
こんなところを好んでやって来る者といえば、もう決まっています。
「ふぅ。…………今日もキレイですね」
「同意」
ゆっくりと流れる白い雲。
キラキラと陽の光を反射する青い海。
魚を求めて大海原を進む船。
海岸に押し寄せては引いていく波。
潮風に当たりながら、そんな景色をぼんやりとを眺める影が2つ。
「……涼しい。心地よい潮風です」
「うむ」
鉄柵にもたれかかる1人と、その足元でお座りの姿勢の1頭。
もちろん私とクーゴです。
マクローリン遠征を控えた私達、ここ最近はずっとコース主導で魔物狩りに日々明け暮れていました。
フーリエ砂漠に赴いてはブローリザードを狩って、カースド・スネークも狩って。しまいにはデザート・スコーピオンにまで手を出して。
狩って。
狩って。
狩りまくって。
「……連日の狩猟、ちょっと疲れちゃいました」
「御疲れ様である」
労わってくれるクーゴ。右足をポンポンと優しく叩いてくれる彼の肉球に、いっそう心が癒されます。
あぁ……まるで私の気持ちを読んでいるかのような。
嬉しいです。
「……はぁ、コースのノリに合わせ続けるのも結構大変なんですよ。全く」
「同意」
「クーゴも分かってくれますか?」
「あの御転婆具合には我等も驚愕」
「そうですよね!」
耳を傾けてくれるクーゴに、思わず普段から溜まっていた思うところが溢れ出します。
「いや、決してコースが嫌いだってワケじゃないんですよ。幼馴染ともあって私達3人は仲良いですし、一緒にいると楽しいですし。……けどたまに振り回されて疲れちゃうんですよね」
「理解」
「全く、あの元気は一体どこから湧いて出てきてるんだか。教えてほしいくらいです」
「同意」
「あと……一緒に居るとヒヤヒヤする機会も多かったり。クーゴ、あなたは初見のお偉いさん相手に『ハゲだ!』とか言い放てます?」
「無理」
「ですよね、隣でそれを聞いていて心臓止まるかと思いましたよ。それに――――
そう言いかけて――――私は口を噤みました。
まだまだ言いたい事は沢山ありましたが、ふと急に我に返ったんです。
……あれ、ムキになって何を話してるんだろう。私は。
「……すみません。いつの間にか愚痴を吐いちゃってましたね」
「気付いたか」
「折角のキレイな景色を台無しにしてしまって。大変失礼しました」
「構わぬ。……続きが聞きたい」
「えっ?」
申し訳なさ半分、恥ずかしさ半分
足下から返ってきたクーゴからの返答は、意外なものでした。
「でもいいんですか? こんな下衆な話を聞かせてしまって」
「構わぬ。内容はどうあれ、貴殿と交わす他愛の無い話……悪くない」
「クーゴ……」
私の顔から目を逸らし、海を見つめて呟くクーゴ……その尻尾はゆっくりと左右に揺れていました。
「……嬉しいこと言ってくれるじゃないですか、クーゴ」
「貴殿の話とあらば幾らでも聞く。そして貴殿の蟠り、此の潮風に流せば良い」
「…………っ」
その瞬間、海から一際強い風が吹き抜けました。
まるで、私の心をキレイさっぱり洗い流すかのような、心地よい潮風でした。
「……ハハッ、ありがとうございます」
「続きを」
「はい。それじゃあ、お言葉に甘えて」
それから、私はクーゴと色々なお話をしました。
コースのこと。
ダンのこと。
アークのこと。
チェバのこと。
ウルフ隊の皆さんのこと。
先生のこと。
王都の思い出。
風の街・テイラーの思い出。
港町・フーリエの思い出。
この先、魔王軍との戦いはどうなるのか。
青鬼との戦いはどうなるのか。
王国はどうなるか。
空腹も忘れて楽しんでいると、気付けば時刻は正午を過ぎていました。
本当に他愛のない話。時にはオチも何の面白さもない話もありました。
それでも、クーゴは熱心に耳を傾けてくれました。
「……そもそも、何なんですかねあのステータス強化魔法は。ATKの8乗とか、暗算はおろか手計算でも厳しいですよ」
「違いない」
「それだけじゃありませんよ。分身に巨大化にバリアに……挙げたらキリがありません。私はまだ見たことないですけど、【消去Ⅲ】とかいう透明化魔法もあるとか」
「同意。……彼の魔法には驚いた」
「え、クーゴは透明化見た事あるんですか!?」
「左様」
「いいですね、ぜひ私も見てみたい!」
「……殺されるやもしれぬが」
「えっ、殺されるんですか?! 先生に? まっさか~」
「とにかく。貴殿も心して見よ」
「はい。その際にはしっかり目に焼き付けますよ」
……さて、次は何の話題にしましょうか。
―――― と、一息ついて事を考えていた時。
滅多に誰も来ないハズのフーリエ灯台に、どこからともなく誰かの声が響きました。
「――――しねよ」
……ん、今のは?
空耳でしょうか?
「しねよ」
「「……ッ!!」」
立て続けに響く不穏な単語。
……空耳ではない。明らかに私達に向けての言葉ッ!
「何ッ!?」
「…………っ」
全身の毛が逆立つような感覚。
腰の長剣に右手を掛け、クーゴも耳をピンと立てて牙を剥きます。
「敵はどこから――――
「背後、頭上!」
すぐさま声の出処を察知するクーゴ。
揃って後ろに振り返りました。
「……居ました!」
「何者ッ!」
灯台の一番上、天辺。
球状に造られた塔の頂上に2本の足をつけて、声の主は居ました。
――――が。
私達の目にした『声の主』は、まるで魔王軍や敵襲のイメージとはかけ離れた存在。
「しねよ」
繰り返し繰り返し、死ねと私達に言葉を放っていたのは――――1羽のミミズク。
焦茶と黒の羽を身に纏い、橙色の瞳を光らせる……ミミズクでした。




