4-3. 絶望
ガキンッ!
「うぉっ」
ナイフとウルフが交錯する瞬間、反射的にギュッと目を閉じる。
聞こえたのは硬質なものが触れ合う音。
上半身には何かにぶつかられたような、鈍い衝撃。
そして体が背中から倒される感覚。
目を開けると、草原に押し倒されていた。
草がクッションになったようで痛くはなかった。
すぐさま立ち上がり、周囲を見て現状を確認する。
どうやら、ナイフの振り抜きはカーキウルフの攻撃に間に合い、爪や牙の攻撃は躱せたのだろう。僕の身体に裂傷は無い。
で、爪や牙の攻撃は避けられたが、ウルフの勢いが余って体当たりで押し倒された、という感じだな。
まぁ、なんとか奇襲をやり過ごせたのは幸運だった。
ウルフも今起き上がった所で、距離をとりつつこちらを睨んでいる。
「……ちょっとヤバいな」
奇襲をやり過ごしたのは良かったが、この状況はまずいかもしれない。
今思い出した図書館の魔物図鑑情報によると、カーキウルフは群れで狩りを行う習性があるという。
そして僕の目の前には奇襲を仕掛けてきたカーキウルフが一頭。
ということは、この近くにまだ……?
いやいや、カーキウルフ一頭でも僕には荷が重いんだ。
こんな所で相手に増援が来てくれちゃ困る。
……あ、そうだ。こいつはきっと一匹狼だ。一人で狩りをやってる孤高なヤツなんだ、きっと。そういうことにしておこ――――
「ウォン!!」
カーキウルフが一鳴き。
すると、周りの草むらがザワザワと動き、ウルフが続々と出てくる出てくる。
そして十秒も経たないうちに僕の周りは総勢5体のカーキウルフで囲まれてしまった。
しかも5体の立ち位置が絶妙で、逃げ場がない。
「……詰んだかこれ」
さて、本当にヤバい状況になってきてしまった。
少しずつ間合いを詰めるウルフ達。
このままだと喰い殺される。
……いやいや、勇者召還を受けときながら狼のエサになって終了なんて絶対嫌だ。
だったら魔王に討たれる方が数億倍もマシだ。
徐々にウルフ達との距離が縮まっていく。
――――何とかせねば。
――――解決法はあるか?
――――考えろ、僕。
【解析】と【減法術I】のデバフ戦法は……駄目だ。5頭に掛けるにはMPが足りない。掛けたとしても焼け石に水だろう。
【加法術Ⅲ】も駄目だ。これ以上掛ければ魔力枯渇で即終了だ。
他に今アテになる情報と言ったら……魔物図鑑ぐらいだ。
必死に図鑑の情報を思い出す。
『カーキウルフの群れを相手にする際に最も気を付けなければならないのが、「包囲されない」事です。奇襲に失敗したカーキウルフは、次に頭数を使って獲物を囲み、一斉に襲い掛かる戦法をとります……』
カーキウルフの項目だ。だけどこれじゃない。
『……もしもカーキウルフに囲まれてしまった際には、何よりも包囲を抜けることを考えなければなりません。その方法としては、適当に決めた一体に向かって攻撃するのが最良です……』
――――これだ!
「ぅおおおおぉぉぉぉ!!」
目の前のウルフ、奇襲を仕掛けてきた奴に向かってナイフを向け、特攻を仕掛ける。
まぁ本当に特攻なんて事はしない。ナイフは構えているだけ、飽くまで突撃するフリだ。
特攻する気を見せるのがポイントじゃない。ポイントはこの次だ。
「グルアァァ!!」
僕が動き出すのと同時、ウルフも僕へと跳び掛かる。
しかし、ウルフ達の動きが一瞬鈍る。
ウルフの狙いが僕から奇襲を仕掛けた奴へと変わった。
『……一体のカーキウルフを狙うと、カーキウルフは獲物を仕留めることより仲間を庇うことを優先するため、攻撃が一瞬弱まります。その隙に包囲から抜け出しましょう。カーキウルフの群れと戦う際には、群れが散開している時よりも小さく纏まっている時が絶対的に有効です……』
カーキウルフは基本的に狩りの成功よりも仲間の生存を優先する。
獲物なら幾らでもいるが、仲間はそういない。
群れの中の一体に狙いが定められたときは、全員で庇って狙いが分散するようにする。
群れの一体に被害が集中しないようにする。
そういう事のようだ。
周囲の4頭の動きが完全に僕と正対する奴を庇うものになり、僕への攻撃は無くなった。
その正対するウルフは奇襲時と同じく跳び掛かってくる。
よし、来た! ここがポイントだ!
特攻を見せたのは、飽くまで他のウルフの攻撃を止めさせるため。
跳んでくるウルフの攻撃をドッジボールの内野プレーヤーよろしく躱し、その瞬間にウルフと入れ替わる。
そのまま少し距離をとり、包囲を逃れる。
振り返れば、ウルフ達は奇襲を仕掛けた奴を庇うかのように纏まっている。
なんだか苦虫を嚙み潰した様な顔をしているように見える。
ひとまずは包囲脱出、作戦成功だ。
自分で言うのもなんだが、僕ってこんなに度胸がある奴じゃなかったはずなんだが。
気が高ぶっていたからか、アドレナリンがでているからか、はたまた火事場の馬鹿力か。
……まぁ、そんなことはどうでもいい。
しかし、ここからも道は遠い。
包囲を抜けたとはいえ、5体を相手に一人で戦うのは無理だ。
となれば……逃げるしかない!
サッと振り向き、街道へと全力で走る。
後ろからは「ゥオン! ゥオン!」というような鳴き声とともにウルフの群れが追いかけてくる。
ウルフの方が僕より足が速いのは知っている。
陸上の代表選手になる程の人ならば分からないが、運動もそこまで得意ではない普通の高校生だ。野生には勝てない。
しかし、戦うなんて以ての外だ。幾らATKやDEFを加算しようと、勝てないものは勝てない。
このまま街道まで逃げきれれば僕の勝ちだ。モンスタートレインにはなってしまうが、誰か助けてくれるだろう。プライドなんて即捨てだ。
しかし背後から迫るウルフに追いつかれるのも時間の問題だ。
あー、クソッ! 街道はまだなのか!
今日の僕、どんだけ遠くで狩りをやって――――
「うおっ!!」
足元に突然現れるプレーリーチキン。
丈の高い草のせいで全然感知できなかった。
やばい、避けられない!
そのままの勢いでプレーリーチキンに躓く。
全力で走っていたため、その勢いで草原に頭からスライディング。
すぐさま上体を起こして振り向くが、ウルフはすぐそこまで来ていた。
こちらへと走ってくるウルフ、それに対し転んで膝をついた状態の僕。
――――あぁ、もう間に合わない。
終わった。
そう思った瞬間、頭が真っ白になった。
何も考えられない。
無意識に頭を下げ、目を閉じる。
あぁ、これが現実逃避ってやつか。
ウルフの走る音と鳴き声が近づいてくる。
あぁ、終わった……
「【水線Ⅲ】!」
「「ギャンッ!!」」
……ん、何だ!?
何が起きた!?
突然の事態に驚き、反射的に目を開ける。
開いた目には驚きの光景が飛び込んでくる。
先頭を走っていた二頭のウルフが左側の腹部から血を噴き出し、右へと吹っ飛ぶ。
まるで左側から銃で撃たれたかのような状況だ。
後続のウルフは一瞬驚きつつも、流石の連携を見せ、足を止めずに次の行動をとる。
一頭は吹っ飛んだ奴らを庇いに行き、残りの二頭は引き続き僕を喰い殺さんと迫る。
「【硬壁Ⅵ】!」
そして、僕の目の前に何かが立ちはだかり、ウルフたちと僕を遮る。
ガツンガツンッ!
「「グォンッ!」」
そしてその直後、硬質的な音と弱々しいウルフの鳴き声が聞こえる。
目の前の何かのせいで現状が理解できないが。
一体何が起こっている?
目の前の何かの横から顔を出し、何が起こっているかを確認する。
そこには既に4頭のウルフが倒れており、残るウルフは庇っている1頭のみだ。
しかし、そのウルフも倒される寸前だった。
「【強斬Ⅴ】!」
その掛け声と共に、最後のウルフも頭から真っ二つにされた。
……何が起きた?
未だに理解が進まない。
そんな僕に誰かが声を掛ける。
「ハァ、ハァ……マ、狂科学者さん、大丈夫ですか!?」
そう声を掛けたのは、水色のとんがり帽子とローブを身に着けた魔法使いの女の子だった。




