0-4. 召喚
木曜日の放課後。
16:35。
もう陽も暮れはじめ、空はオレンジ色。
だいぶ暖かくなったとはいえ、まだ日の入りは早い。
「あー、やっと7限が終わった……」
「お疲れさん、計介」
そんな夕方の校門を出た僕は、『友』と2人並んで大通りを歩いていた。
「あー……眠っ」
……とにかく眠い。
ベッドに横になったら即寝れるな、コレ。
「全授業で寝てる奴が言う事かよ」
「体育の授業寝てないし」
「ハァ……そういう揚げ足取りは要らねぇから」
普段は授業中に寝て体力を回復するんだけど、今日は昼休み含め午後は眠れなかった。完全にチャージ不足だ。
木曜午後の授業は順に体育・英語・化学。体育は無論寝れないとして、英語と化学はちょうど今日提出のやり忘れてた宿題を消化。コイツに写メを送ってもらい、ひたすら宿題の写経だったからな。
ま、まぁ……宿題がどーのこーのは良いとして、だ。
コイツの名前は秋内品行。僕は昔からアキって呼んでいる。
僕の友達の中では最も親しく、付き合いは小学校以来。
身長は僕と同じくらいで、髪と瞳は割と薄めの茶色。
クラスの中でも真面目でしっかりしている子で、成績も上の中だとか。
そんなアキの得意教科は、数学。本当に僕と正反対だ。
面倒くさがりな僕に対して真面目なアキ、数学嫌いな僕に対して数学得意なアキ……、本当に正反対なんだけど、何故かうまく噛み合って仲良くしている。
なんでなんだろう……?
ところで、アキの進路は文系の商学部志望。受験に不要だからって数Ⅲこそ取ってないけど、英語と化学は僕と同じクラス。なので今日の宿題もなんとかなった。
さっきの『数Ⅲをとらなかった友』ってのはコイツの事です。
……まぁ、アキについてはざっとこんな感じだ。
「……あぁ、そうだアキ」
「ん? どうした計介?」
さっきの宿題のお礼、ちゃんと言っとかないと。
「今日はマジでありがとう! 英語と化学の宿題、助かったよ」
「『今日も』だろ?」
「そうだったそうだった…………今日もマジでありがとう! 英語と化学の宿題、助かったよ」
「……まあ、今更気にしちゃいねぇけど」
……アキに宿題を写させてもらっているのは小学校からずっとだ。
悪いことだとは分かってるけど、ホントに毎回毎回ありがとうございます。
「それより計介、今晩ちゃんと準備しとけよ」
「準備……?」
何かあったっけ……?
「召喚だよ召喚。もう忘れちまったのか」
「ゲッ……」
危ない危ない、忘れてた!
「その調子で忘れてて、気づいたら0時になって重要物がゲーム機になりましたー、とかシャレにならねぇからな」
「…………ありそうで怖い。というかフラグ」
「駄目だから! そりゃマジで駄目なヤツだからな!」
どうやったら『ゲーム機』で世界を救えるかな。
それもまぁ、面白そうだけどね。
……ちなみに、アキも勇者召喚される(予定の)一人だ。
彼もまた、僕と同じく精霊様に快諾したそうだ。
「でだ、計介。重要物はもう決めたか?」
「いや、全く。…………それこそゲーム機になるかも」
「冗談になってねぇから」
「えー…………でも、中々決められなくない? 『1つだけ』な訳だし」
「まぁな」
『何でも1個持っていける』、ってのを言い換えれば『1個しか持っていけない』。
そう考えると決断をためらっちゃうんだよなぁー……。
「……寧ろ、『手ブラで来てください!』って言われた方が良かったかも」
「そんな事はねぇだろ。さっさと決めやがれ」
「……じゃあさ、そう言うアキは決めたの?」
「おぅ」
……マジかよ!?
「というか、要は考え方だ。ヘタすりゃ『1つ』と言わず、幾らでも持っていけるかもしれねぇ」
……嘘だろ!?
「……まさか何かのチート?」
「んな訳ねぇだろ。要は考え方だッつーの」
考え方、かぁ。
「…………ちなみに、どんな感じで?」
そう尋ねると、何かを企んだようにニヤリと笑顔を浮かべるアキ。
「……聞きてぇか、計介?」
「勿論」
そして、アキの『考え方』を聞いた。
「俺は……キャリーケースにする」
…………キャリーケース?
「そうだ。食糧や水、服、寝袋だの沢山詰めた、デケぇキャリーケース。キャリーケースを『1個』な」
…………マジかよ!
そういう事!?
「確かに『1個』だわ。それなら……」
「だろ?」
……それが出来たらやりたい放題じゃんか。
「……ズルな気もするけど」
「知るかよ。何でも好きなものを1個、あの女神様の仰ったルールに則ったまでの事だぜ」
「…………」
もしコレが成功すれば、頭の良さがズル賢さにまで発達したアキの作戦勝ちだ。
「まぁ、流石はうちのアキさんだ。頭のいい作戦なことで」
「お前のモンになった覚えは無ぇ」
「はぁ………もしもその脳が理工学を志望してたら、僕の数Ⅲも敵無しだっただけどなー……」
……思わず、心の声が口から出てしまった。
「……数Ⅲなら前に渡した参考書が有んだろ。アレを使って頑張れ」
「あぁ、アレかー……」
参考書——――『僕が数Ⅲを取る』って知ったアキが、自身の使ってた参考書をお古でくれたヤツだ。
……とはいいつつ、まだ貰ったっきり開いてもないんだけど。
「アキも一緒に数Ⅲ、受けない?」
「無理だわ。流石に数Ⅲを取る程の余裕は無ぇよ」
「…………そうっすよねー……」
ハァ……やっぱり、僕一人でなんとかしなきゃいけないのか……。
そんな話をしながら、僕とアキは夕暮れの大通りを歩いていった。
5月の夕方は暑くもなく、かといって寒くもない丁度良い季節だった。
やがて、朝も通った路地の前に到着。
いつもアキとはここでお別れだ。
「じゃあな。マジで気をつけろよ、今晩」
「分かってるってアキ。ホントに召喚されたらその時はそっちでも宜しくね」
「ハハッ、まぁ状況にも依るから確約はできねぇな」
「おう。じゃあ」
最後に軽く言葉を交わすと……お互いに、手を挙げ。
「「また明日、異世界で」」
アキは大通りへ、僕は路地へと別れた。
「…………うぅっ、眠っ」
……アキと別れるや否や、午後の睡眠不足による疲労がドッと押し寄せる。
あぁ……眠い。
「とにかく早く、ベッドに……」
昼寝の欲求で頭を一杯にしつつ……朝通った道をクネクネと戻り、数分で家に到着。
ドアノブを握り、玄関の扉を開く。
「着いた…………」
ガチャンッ
……開かない。鍵が掛かってる。
誰か帰ってくれば鍵は開いているハズだから、まだ誰も帰ってきてないようだ。
カチャッ
「ただいまー……」
鍵を開けて家に入り、うがい手洗いを済ませ、部屋着に着替えてさっさと2階の自室へ。
「うはぁぁぁ……疲れたー…………——――
ベッドが目に入った瞬間、僕はダイブするようにベッドへと落ちた。
…………意識も、一瞬で落ちた。
「……はっ」
目が覚めた。
うーん、若干の疲労は残っているけど、気持ちが良い。
やっぱり昼寝は最高だな。
「……さてーっと………………」
段々と意識が覚醒してくると、部屋はもう真っ暗。
窓から月明かりが差し込むだけになっている。
「いっけね、もう夜か」
……ちょっと寝過ぎちゃったかもな。
結構腹も減ってるし、夕食の時間はもうとっくに過ぎちゃってるかもしれない。
さて、1階に降りて夕食でも食べに行こうかなー……。
「ぃよっと」
そんなことを考えつつ、ベッドから立ち上がって部屋を見回す。
「……んっ、アレは…………」
ふと、勉強机の上で月光に照らされた分厚い『参考書』が目に入る。
グチャグチャに資料が山積みされた、その一番上に置いてある本だ。
「アキから貰ったヤツ…………」
さっきの帰り道の会話を思い出しつつ、手に取って表紙を見てみる。
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これ一冊で算数から高校数学まで分かる本
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「道理でこんなに分厚い訳だ」
小学校の算数レベルから纏めてあるのか。
国語辞書レベルの厚みがあり、結構ずっしりとくる。
「………………ハァ、数Ⅲかぁ……」
危機的状況に陥っている数Ⅲを思い出し、思わず溜息がこぼれる。
——――今までの勉強はなんだかんだ他人に頼っていた。
——――けど、今回は。
——――数Ⅲは、誰にも頼れない。
「自分で頑張るしかない、か……」
そう呟くと……ふと、視線が参考書から机上のデジタル時計へ移る。
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23:59:54
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もうすぐ0時か。
そりゃ外も真っ暗な訳だ。
さて、夜はまだまだ始まったばかり。夕食を食べたらゲームでも————
——――ん?
0時……?
ゲーム…………?
「あっ…………!!」
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23:59:55
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その瞬間、召喚の件が再び頭の中に溢れ返る。
「……ヤバい、忘れてた!!」
……召喚だよ召喚!
本日二度目の冷や汗。しかし今回は昼の比ではない。
召喚まで5秒、なのに一切の準備をしていない。
全身の毛穴という毛穴がブワッと逆立ち、大量の汗が噴き出る。
半ばパニック状態に陥り、身体が動かない。
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23:59:56
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「ヤバいヤバいヤバいヤバい…………」
面倒くさがりである僕の頭が、エンジン全開で思考と後悔を繰り返す。
……空腹で旅立つなんてあり得ない。家に着いて予め何か食べておけば良かった。
服装も部屋着のままだ。せめて制服の方が何かと役に立つかもしれない。
この先何が起こるかもわからないのに、家族にも何も伝えられなかった。メールでも送るべきだった。
そして……重要物さえも決まってなかった。
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23:59:57
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——――完全に準備不足。
——――コレは詰んだ。
そう察するや否や、僕の脳は方向転換し、現実逃避に走り始める。
……そうそう。アレは飽くまで『夢』だしな。
……異世界召喚? そんなの作り話だって。
……本当に起こるなんて事、有る訳ないさ。
その瞬間、緊張が少しばかり解ける。
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23:59:58
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しかし、そんな僕の現実逃避は、一瞬にして砕き割られた。
ピカッ!!
「なっ…………!?」
突然、床からじんわりと白い光が溢れ出す。
僕を中心に、星とそれを囲むような円が白い光の線で描かれていく————魔方陣。
それを見た瞬間、『召喚が本当に起こるんだ』と悟った。
と同時……、自業自得とはいえ準備ゼロの僕自身に嫌気がさす。
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23:59:59
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そして……希望すらも否定された僕は、完全なパニックに陥る。
頭が真っ白になる。何も考えられない。
魔方陣の光が段々と強くなっていき、反射的に目を瞑る。
そんな中で出来たのは……後悔を叫びに変えることくらいだった。
「クソオオオオォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」
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0:00:00
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時計の表示が切り替わった瞬間……魔法陣の光は僕の部屋を満たし、僕を異世界へと連れていった。
————————手にした、参考書とともに。