17-16. 鋏Ⅱ
「和ノ十字架斜ニ構ウレバ是積ヲ為ス——
————【乗法術Ⅵ】・ATK(-100)」
耳に入ったのは、聞き慣れない呪文。
それと、確かに聞こえた『-100』倍という値。
僕の使い慣れた魔法……【乗法術Ⅶ】は今、『8』までしかステータス加算を使えないハズ。
『100』なんて数字、僕は決して使えない。
――――有り得ない。
――――僕の使える魔法じゃない。
それなのに……その声は、他でもなく僕の声。
いつの間にか、僕の口から発せられた魔法だった。
そして————その効果は、『シンのATKを-100倍』。
詛呪は回復しないもののないものの……シンのATKの値を負から正に戻し、かつ破格の100倍に跳ね上げるという……信じがたいモノだった。
……そんな奇妙な魔法を受けた、シンは。
「……こっ、コレは…………ッ?!」
————驚くべき身体能力を、手にしていた。
「えっ…………」
手足を砂漠についたまま、うつ伏せのシン。
その頭上からは……立ち上がる時間すら与えぬとばかりに、シンの背中めがけ迫る毒針。
「だめ…………ッ!!!」
「避けろシィィンッ!!!」
「キャアアァァァァァァッ!!!」
絶体絶命な状況にアークが目を背け、ダンの絶叫が轟き、顔を覆ったコースの悲鳴が響く。
そのまま……毒針が、シンの背中を貫こうとした————
――――その時。
「……これは…………ッ!!」
身体の『変化』に気付いた、シンは。
全身の筋力が100倍に爆増した、そのパワーで――――
「ふッ!!」
うつ伏せのままから…………獣の如き恰好の、四つ脚で飛び退けると。
迫る毒針の射線から一瞬にして逃れた。
「マジかよっ……!!」
「シンよけた!!」
「どうやって……?!」
有り得るハズのない光景を目の当たりにし、3人から驚きの声があがる。
ブスッ!!
と同時……獲物を逃した大サソリの毒針が、シンの居た所に突き刺さる。
衝撃で砂が舞い上がり、毒針周りの砂が段々と紫色に染まる。
「………………危なかったです……」
横っ飛びに回避した勢いを四つ脚で殺し、砂煙の外側に現れるシン。
身体の動きが止まると、四つ脚の姿勢から立ち上がる。
「それにしても…………この力は一体……っ?」
突然起こった身体の変化に戸惑い、左手をグーパー。
右手に握る長剣を軽く振り、身体の感覚を確かめる――――
ギロリッ
「……うっ」
大サソリの怒りの眼差しに射抜かれ……無意識に身構えるも、プレッシャーに押され後ずさるシン。
「やはり……私1人じゃ厳しかったのでしょうか……」
シンの気持ちまで後ずさり始めてしまった。
――――いや、そんな事ないさッ!
「シン! 弱気になるな!!」
「……先生?」
「今のお前なら……きっと、コイツを倒せるハズだ!!」
気圧されるシンに、鋏脚の中から鼓舞。
「……どういう事ですか?! それにこの身体も一体何が……?」
「よく聞けシン! お前の身体は今…………DEFもINTもMNDもマイナスだけど、ATKだけは100倍になってるみたいなんだよ!!」
「「「「……ひゃっ、100倍!?」」」」
有り得ないステータスの上昇率に、4人も驚く。
「どうして、そんな100倍なんて……」
「僕にも分からないけど、とりあえず説明は後だ!」
「…………分かりました」
おぅ、理解が早くて助かる。
「つまり……お前は被弾すれば大ダメージだが、逆に当てた攻撃はもれなく一撃必殺! 『当てれば死ぬ、当たれば死ぬ』って状態なんだよ!」
「……成程…………」
白蛇のせいでマイナスに転じたDEFでは、軽いダメージ一発一発をも致命傷になりかねない。
けど――――100倍のATKならば、攻撃力も筋力も100倍。どんなに硬い大サソリの鱗であろうと、もはや紙同然のハズだ。
……今のシンは、諸刃の剣。
まさに『当てれば死ぬ、当たれば死ぬ』。
「だけど……いや、だからこそ! この状況を覆せるのはシン、お前だけアアアアァァァァァァッ!!!」
うるさいと言わんばかりに、大サソリが僕の鋏脚を閉じる。
痛みで僕の言葉が遮られる。
「ぐぅゥゥゥゥゥッ……!」
「「「先生!」」」
本気で僕をちょん切ろうとしているのか、今までより力の入り具合が異常に強い。
頭がボーっとしてきた…………。
――――けど。
飛びそうな意識を鷲掴みにし、出せる力を振り絞って叫んだ。
「ぐぅッ……だから、シン…………コイツを頼むッ!!!」
「…………」
僕の言葉を聞いた、シンは……眼を瞑り。
「…………フゥゥ」
深呼吸すると。
「…………分かりました」
一言呟き、眼を開いて大サソリに視線を戻す。
ギロリッ
「……っ」
獲り逃した獲物を睨む、怒りの籠った大サソリの視線。
金髪の下に輝く、覚悟を決めたシンの鋭い眼つき。
「(……当てれば死ぬ、当たれば死ぬ)」
互いに退く事無く、ジッと睨み合う。
――――そして。
「なら……当たらなければ問題ないです!」
チャキッ
シンが剣を握り直したのをキッカケに…………再び、戦いが始まった。
ミシミシッ……!
「……っ!!」
大サソリの極太尻尾が、軋みながら持ち上がる。
「……毒針が来ます!」
そう言い、シンは剣から片手を離して右に駆ける————と思った時には既にシンの姿が無い。
「……速いっ!?」
「消えちゃったー!」
「どこ行った!?」
「……コレが100倍の力かよ…………」
……速すぎてシンの動きが見えなかった。まるで瞬間移動だ。
大サソリの眼にも留まらなかったようで、尻尾を突き出す体勢のまま停止している。
「ケースケ後ろ!」
「…………居たッ!」
アークの言葉に振り返れば……大サソリの背後には、剣を構えたシンの姿。
僕達の視界をも振り切ったシンは、一瞬にして大サソリの背後にまで動いていたようだ。
「フッ!」
そんなシンが足元の砂を蹴り、跳び上がる。
剣を振り上げて宙を舞う先には……大サソリの尻尾の付け根。
大サソリがやっとシンの気配に気付くが、時すでに遅し。
なんとかシンを仕留めようと尻尾の毒針をブンブン揺らすも……まるで当たらず。
「……行きます!」
シンとサソリとの間合いが詰まり……――――
「【強斬Ⅷ】!!」
ザシュッ!!
シンの袈裟斬りが……付け根から尻尾をバッサリと、両断。
キイイイィィィィィィィィィッ!!!
「よしッ!」
「効いてんぞ!!」
金属音のような甲高い悲鳴をあげる大サソリ。痛みに耐えかね、ひたすら暴れ回る。
……コレは効いたぞ!
ブゥンッ!
ブゥンッ!
「いやぁぁぁ……酔うぅ…………」
「ぐっ……吐きそう………………」
だが……尻尾を落とされ暴れ回る大サソリと一緒に、鋏脚に捕われた僕とアークも一緒にブンブン振り回される。
うぅっ、気持ち悪い…………。
…………けど、とにかくコレで尻尾の脅威は無くなった!
「……尻尾が無くなれば!」
シュンッ!
尻尾を切り落としたシンが、小さく呟くと。
文字通りの『目にも留まらぬ速さ』で……背後から大サソリの眼の前に移動する。
「……毒針さえ無くなれば、怖い物は有りません」
キィィッ………………
苦しそうな声を上げつつも眼前に現れたシンをジッと捉える大サソリ。
そんな大サソリに真っ直ぐ剣を構え、狙いを定めるシン。
……形勢は、完全に逆転していた。
「……次でトドメです」
そう、シンが呟いた――――
――――その瞬間。
グググッ…………!!
「「……ッ!!」」
大サソリの鋏脚が、本気で僕達を殺さんとギチギチに閉じてきた。
お腹に物凄い力が加わり、内臓が飛び出しそうな感覚に襲われる。
「ぅぅぅぁアアアアアアアアァァァァッ!!!」
今日イチの締め付け力にアークの悲鳴が響く。
「ぐううぅぅぅゥゥゥゥッ!!」
僕も必死で耐えるけど……なんだか、次第に感覚が分からなくなってくる。
こっ、コイツ……死ぬなら僕達まで道連れってか?!
――――だけどさ。
大サソリ……いや、デザート・スコーピオン。
一時期は本当にヤバかったけど…………今回はコッチの勝ちだ。
「…………数学者、舐めんなァッ!」
なんとか守り抜いた、8倍のDEFと……100倍のATKの勝ちだァ!!
「ハアアァァァァッ!」
シンが、大サソリの顔に長剣を構えたまま。
100倍の力で身体を蹴り出し――――
「先生も、アークも……返してもらいますッ!!」
ロケットスタートの勢いと共に、大サソリの眉間に向かって……――――
「【強突Ⅴ】!」
ブスゥッ!!
――――長剣の刀身が見えなくなるくらい、深く……長剣が大サソリの眉間にブッスリと突き立った。




