12-27. 椅子Ⅱ
アークは黙って俯いたまま、答えてくれない。
前髪が垂れ下がり、表情も見えない。
……それどころか、赤い長髪がフワフワと靡き始めた。
「……これはマズイな」
頭の中に、あの光景……シーカントさんと共に王都に向かっていた時の、あの光景が蘇る。
――――僕の右腕に噛み付くカーキウルフを、アークが倒してくれた。
……のだが、あの時のアークの表情は。
無表情でありながら、完全に釣りあがった眼。
瞳はじんわり赤く光っており、瞳孔も全開。
……今思い出しても身震いがするくらい、怖かった。
――――そんな状況が今、ココで起こりつつある。
……ヤバいぞ。
とりあえずアークの怒りを鎮めなきゃ。
「アーク落ち着け! 僕は大丈夫だから!」
「……ほ、ホントに済まねぇ! 許してくれ嬢ちゃんッ!」
「…………」
「1枚ダメになっちゃったけどさ、もう1枚頼めば良いじゃんか! な、アーク?!」
「…………」
アークの返事は無く、未だ俯いたまま動かない。
……滅茶苦茶キレてる。既に周りの声が聞こえてない。
「おいシン! お前達もアークになんとか言ってくれよ!」
「えっ……で、ですが……」
「「…………」」
ビビる学生達。コースとダンに至ってはダンマリを決め込んでいる。
クソッ、『触らぬ神に』ってヤツかよ!
「……アーク、たかがピザ1枚だ。この人も謝ってんだし、許してあげない————
「ケースケは黙っててッ!」
なんでだよ!!
当事者じゃんか、僕!
「…………よくも、ケースケの……」
そして僕の一言が引き金になったのか、アークがゆっくりと顔を上げる。
垂れ下がる前髪の隙間から見える、釣り上がった眼。
赤黒くじんわりと光る瞳。
……しかし、それでいて無表情。
いつもと全く異なるオーラを纏ったアークに、背筋がゾクッとする。
「ケースケの……ピザを…………」
「ひっ……ヒィッ!」
あぁ……、察した。もう駄目だ。
僕の必死の頑張りもむなしく、アークの怒りを鎮められなかった。
「……駄目に……してくれたわね…………!」
じんわり光る眼で男を捉えつつ、そう呟くアーク。
そのまま、背中の槍に右手を掛けた。
「ちょッ……!」
……いやちょっと待て待て待てぃ!
こんな店の中で槍なんか振り回す気か!?
怪我人が出るわ!
「ちょっ、待てアーク! 武器はダメだ――――
「…………許さないッ!」
僕の制止も聞かず、そのまま槍を背中から抜いて構える。
ボウウゥッ!
「ぅおっ!?」
「ぅっ、ぅわああぁァァァッ!?」
槍からは思いっきり炎が噴き出す。
激怒しているからか、普段より火力が強い。
……いやいやそれはマジでダメな奴だ!
酒がそこかしこに有るところで炎はダメだろ!
酒場が火事になるよ!!
「……わたしの仲間に…………」
しかし、頭に血が上ったアークには周囲が見えている訳がなかった。
燃え盛る槍を大きく右に引き、真正面に立つ男に狙いを定める。
……あの構えは、水平薙ぎ。
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
コレは本当にヤバい。
このままじゃ、本当に酒場が燃えちゃうよ!!
「手を出すなアァァッ!!!」
「ぅわああアァァァッ!!!」
そんな僕の心の叫びもアークに届くハズも無く、アークは燃え盛る槍を男に向かって思いっきり薙いだ。
殺気に気圧され、尻餅を突く男。
槍から溢れる炎が、男を炙らんと襲いかかっていった。
……けどまぁ、流石に手は出させない。
「【定義域Ⅰ】・(0.5 ≦ x)ッ!」
アークが槍を振り抜いた瞬間、そう唱える。
さっき覚えたばっかの【定義域Ⅰ】だ。
アークの攻撃の有効区間を『男の目前まで』に制御する。
シュンッ!
「うわあァァァッ…………ぇっ、ええっ!?」
男の目の前に青透明の板が現れ、アークと男が遮られる。
ボウゥッ……
男への道を阻まれた炎は、男を守る板を寂しげに炙って消えていった。
……そんな板には、焦げ跡すら残らなかった。
「……何ッ!?」
見たこともない『謎の板』と無念にも消えゆく炎を目の当たりにし、驚くアーク。
彼女の動きが一瞬止まる。
おぉ、バリア有能じゃんか!
お陰様で、とりあえず急場は凌げたかな————
「【強刺Ⅱ】!!」
……そんな事は無かった。
尻餅を突く男に槍先を向け、今度はメラメラと燃える槍を突き出す。
カンッ!
……が、勿論板に弾かれる。
「【強刺Ⅱ】ゥッ!!」
カンッ!
「あぁもうッ! 【強刺Ⅱ】!!」
カンッ!
アークの残念ステータスじゃ板はどうって事無い。
槍に突かれても炎に炙られても、傷一つなく健在だ。
……それにしても、本当にアークって怒ると周囲が見えなくなるんだな。
「ヒイィッ! たっ頼む、やめてくれ!」
槍のぶつかる音に毎回ビビりながらも、板の裏からそう懇願する男。
「【強刺Ⅱ】ゥゥ!!」
カンッ!
「あぁァッ!!」
カンッ!
……だが、アークの耳には届かない。
ってか、ついに【長槍術】スキルさえ使わなくなってしまった。
……そろそろ落ち着いてくれよ。
頼むからさぁー……。
「もうッ! 何なのコレ!!」
だが、そんな思いとは裏腹にアークの怒りは一向に収まらず。
それどころか、今度は板に怒りの矛先が向けられる。
ボウゥゥゥ!!
「ぅわあァッ?!」
手にする槍から勢いよく噴き出す炎。
板越しにビビる男。
「邪魔なのよォッ!」
カンッ!
ボフッ
普段より一段と強火な槍が、バリアに突き出される。
……けど、相変わらずビクともしない板。
硬い音を響かせ、大量の火の粉を散らす。
「ハァッ!」
カンッ!
ボフッ
「んンッ!」
カンッ!
ボフッ
「くゥッ!」
カンッ!
ボフッ
火の粉を撒き散らしつつも、板を破らんと必死に矢を突き出すアーク。
……ハッハッハ。
アークより残念ステータスな僕が言うのもなんだけど、まぁ彼女程のステータスじゃ板は破れないだろ————
「先生、天井が!」
「……何ッ!?」
シンに促され、すぐさま天井を見上げると。
パチパチッパチパチ……
「……ヤベえッ! 梁から火が!」
「マズい!」
アークの槍から出た火の粉が舞い上がり、梁に着火していた。
小さな火が立ち上がっている。
……ああぁぁぁ!
本当に火災になっちゃったよ!
「早く消さないと!」
「まだ間に合う! コース、お前の【水源Ⅵ】で火を消し————
……コースが居ない。
「どこ行ったんだよコースゥゥゥ!!」
「いつの間に居なくなったんですか?!」
「……しゃあねえ! こうなったら俺らで水ブッ掛けるしかねえよ!」
「あぁ!」
アークの板破りは一旦好きにさせておき、周りをグルグル見回して水を探す。
「……水、水、水っ……」
「有ったぞ、先生!」
「ナイスだダン! 貸してくれ!」
「おう!」
隣のテーブルに並ぶ、様々な色の液体が入った瓶。
その中から、ダンが無色透明な水入りの瓶を持ってくる。
「でも先生、あの高さの火をどうやって消すんだ?!」
「天井も割と高いですし、瓶を振り上げても水が届くかどうか……」
「先生、何か策は有んのかよ!?」
「……一応な」
方法なら頭の中に浮かんでいる。
「よし……。シン、ダン! ちょっと離れとけ!」
「おう、分かった!」
「ご武運を!」
そう言い、下がる2人。
さて……、やりますか。
――――集中。
燃えている梁を斜め下から見上げる。
瓶を持った右手を上げ、注ぎ口を火のついた梁に向ける。
左目を瞑り、右目で注ぎ口を梁に合わせる。
……今僕が立ってる所から梁の真下までは、丁度2歩分ほど。1mって所か。
天井の高さは、僕の身長の倍よりちょっと低いくらい。3mって所だ。
横に1m、上に3m。
という事は……直線の傾き『3』!
それを頭に浮かべ、魔法を唱えた。
「よし! 【一次直線】・y=3x!」
ビシュゥゥゥゥゥ!
瓶の中の水が、注ぎ口から真っ直ぐ飛び出した。
「おお、凄え!」
「これなら火を消せます!」
「おぅ!」
梁の火が点いた所めがけ、文字通り直線のように真っ直ぐ飛ぶ水。
やっぱりコースの【水線Ⅳ】には勢い・水量共に足りないけど、これでも十分だ。
まだ梁の火が小さいうちに消し止めちゃお――――
ブヮァアアアァァァッ!!!
「えっ」
……消えるどころか、勢いを増す火。
「なんでだァァァァ!!」
「ええェェ!!」
「嘘だろッ!?」
梁に着いていた火が増々大きくなる。
僕達、パニック。
……ヤバいヤバい!
このままじゃ梁が焼け落ちちゃうぞ!
「ストップストップ!」
すぐさま【一次直線】をキャンセルし、瓶の注ぎ口から中を覗く。
……なんだか、水が少しトロッとしてる。怪しい。
…………ま、まさかコレッて!
注ぎ口を鼻に近づける。
「……ぅゎ臭ッ!」
油性ペンを鼻に突っ込まれたような、頭が一瞬グラッとなる臭い。
……メチャクチャ酒臭い。
「おいダン! これ酒じゃんか!!」
「……す、済まねえ先生!」
「先生、水貰ってきました! コレを!」
すかさず水差しを渡してくれるシン。
水が一杯入った、ガラスの水差しだ。
「うっ、ちょっと重い……」
「大丈夫ですか!?」
「……まぁ、大丈夫。ありがとうシン!」
「はい! 消火お願いします!」
「おぅ任せろ!」
……さぁ、仕切り直しだ。
さっきと同じところに立ち、ちょっと重めの水差しを両手で持ち上げる。
よし、テイク2!
「【一次直線】・y=3xッ!」
ビシュゥゥゥゥゥ!
水差しの水面から細長い水が勢いよく飛び出す。
「「「行けェェェッ!」」」
方向は大丈夫。水量も少ないとはいえ、火を消すには十分。
そして、そのまま…………水鉄砲は、激しく燃える梁に直撃した。
シュゥゥゥ…………
程なくして、白い煙を上げる梁。
……フゥ、無事消火されたみたいだ。
「よし、これで大丈夫だ。梁も焦げたくらいでなんとかなったし、助かったよシン!」
「いえ、先生もナイスコントロールでした!」
「さすがだぜ先生!」
「おぅ、ダンもありがと――――
ボッ
「「「えっ」」」
再着火。
「「「えぇっ!?」」」
3人揃って再び梁を見上げる。
「なんで?! 消し忘れが有ったのか!?」
「ですが、火はしっかり先生が消し止めたハズなのに――――
パチパチパチっ……
ボゥッ
どこからか漂ってきた火の粉が、梁に燃え移る。
「【一次直線】・y=3x」
シュッ……
消火。
「でも、この火の粉って……」
「一体どこから……」
「…………」
3人で火の粉が飛んでくる元を辿る。
「「「…………」」」
そんな僕達の視線が、行きついた先は。
「ハァ、ハァ……あぁもうッ!」
カンッ!
ボフッ
「ハァ、ハァ……なんで割れないのッ!」
カンッ!
ボフッ
「「「ハァ……」」」
呆れる3人。
……アークは未だ青透明の板相手に格闘し、火の粉製造機になっていた。
そんな彼女の標的は男じゃなく、完全に板。
息切れしつつも槍を突き出すアークに対し、バリアは未だ健在。ヒビも歪みも入っていなかった。
「アークが火元だったのか」
「まだやってたのかよ……」
「……にしても、どうしてあの方は倒れてるんでしょうか?」
板に守られていたハズの男は気を失っていた。
「アークの殺気にやられちまったか」
「……まぁ、見た感じ怪我も無いようですし、大丈夫そうですね」
「そうだな」
……さて。
とりあえず火元は消すに限る。アークは運転停止だ。
梁に着いた火を水鉄砲で消すのも割と面倒なんだよ。
「……アーク、これ以上延焼は止めてくれ。【除法術Ⅱ】・INT3、【減法術Ⅱ】・INT20」
アークのINTにデバフを二重掛け。やるなら徹底的にだ。
…………ぅぅっ。ちょっと今ので魔力を使い過ぎたかもしれない。全身を脱力感が覆う。
とは言え、これ以上酒場に迷惑を掛けられない。
アークを止めるならこんぐらいしなきゃな……。
ボゥゥゥ………………
「……エっ…………?」
槍の火力が弱まる。
シュウゥゥゥゥゥゥゥゥ……
「炎がッ……?」
そのまま炎が消え、槍先から白煙が上がる。
「……なん……でッ…………――――
バタッ
シュン……
そのまま、アークはうつ伏せに倒れた。
板も役目を終えたと言わんばかりに消えていった。
「お、おいアーク!」
「どうしたんですか!?」
シンとダンが駆け寄る。
「……大丈夫そうか? シン、ダン」
「……はい、呼吸は有ります」
「ああ、寝てるぞ。体力を使い果たして寝ちまったんだろうな」
そうかそうか、大丈夫そうで良かったよ。
「ですが先生、念のため【解析】で状態の確認をお願いできますか?」
「おぅ、分かった」
シンの言う通りだ。これで何かの病とかだったりしたら大変だしな。
「【解析】っ……」
ピッ
===Status========
アーク・テイラー 17歳 女 Lv.7
職:火系統魔術師 状態:魔力枯渇
HP 43/43
MP 0/64
ATK 23
DEF 21
INT -12
MND 22
===Skill========
【火系統魔法】【長槍術】
===========
状態欄には『魔力枯渇』の文字。MPも0になっている。
「シン、ダン、アークは単なる魔力枯渇だ。大丈夫そッ……――――
その瞬間、僕の意識が急激に薄れる。
全身の脱力感がピークに達し、頭の回転も急激に下がる。
……頭が前につんのめっていくのが分かるけど、どうにも出来ない。
……あぁ、しまった。
久し振りに味わうこの感覚、どうやら僕も魔力枯渇に陥っちゃったようだ。
MPポーション……途中で、飲んどけば良かっ……――――
∫∫∫∫∫∫∫∫∫∫
「…………先生まで倒れてしまいました」
「……どうするよお、シン?」
「…………どうしましょうか?」
「「…………」」
椅子2脚が蹴り飛ばされており、床にはピザ1切れが張り付いており。
天井を支える梁からは白煙が上がり、その付近からは水が滴り。
男が仰向けに倒れており、その向かいには槍を手にしたままのアークがうつ伏せに倒れており。
さらに少し遠くでは、アークのステータスプレートを表示したまま先生も倒れており。
現場は正に、『カオス』と言う他ありません。
そんな惨状に、私達はどうすることも出来ず……しばらくつっ立っている事しか出来ませんでした。
「フゥー、スッキリしたー! 先生達、私がトイレ行ってる間にアークを止められたかな………………」
そんな状況で、何処からともなくコースも帰ってきたですが……。
「………………なにコレ?」
アークももれなく、この惨状を目にして立ち止まります。
足も止まり、表情も笑顔のまま……まるで固まってしまったかのようです。
「「「…………」」」
私達3人の時間が、惨状を眺めたまま止まったようでした。
「先生とアークとオジさんが死んでる…………」
「3人とも死んでないです。勝手に他人を殺さないで下さい」
「…………もしかしてシン、ヤッちゃった?」
「どうして私になるんですか!? あと誰も死んでませんから!」
「……そんじゃー、ダンがヤッちゃったの?」
「俺でも無えよ! こんな狭い所で大盾振るえるか!」
「んー……じゃー誰がヤッちゃったの? 誰が殺したのー?」
「だから誰も死んでないんですが…………犯人を挙げるとすれば、MPでしょうか」
「MP? ……魔力枯渇ってコトー?」
「恐らく。俺らは【鑑定】持ってねえから、魔力枯渇かどうかは分からねえけどな」
「んー、そんじゃー【鑑定】!」
ピッ
コースの目の前に、青透明の板が現れます。
「………………あっ、ホントだ。先生魔力枯渇だってー」
「そうでしたか。コース、ありがとうございます」
「どーいたしまして。そんじゃーピザ食べよーっと」
「「…………」」
……えっ。
「あっ、冷めちゃってるー。チーズ伸びないよー」
「「…………」」
……こんな惨状の中でも、何事も無かったかのようにピザを食べられるなんて。
コースのメンタル、少し分けて欲しいくらいです。
たかがピザ。されどピザ。
『食べ物の恨みは恐ろしい』という言葉の意味、改めて知らしめられた気がしました。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴




