12-23. 定義域
さて。
それじゃあ練習問題に――――
ガチャッ
「フゥー……気持ち良かったー」
おっ。
シャワールームの扉が開き、首にタオルを掛けたシンが出て来た。
「シャワー出ました、先生」
「おぅ」
「ダンは戻ってきました?」
「いや。まだ帰って来てないよ」
そう言いつつ、シンがタオルで金髪を乾かす。
「先生はこの時間、何をされていたんですか?」
「あぁ、数学の勉強を。2時間有れば単元の一つくらいなら出来るからね」
「成程。……あっ、すみません。勉強のジャマでしたか?」
「いや、大丈夫。丁度キリが良い所だったから」
丁度、練習問題に入る所だったからな。
「そう言えば、先生が勉強している所って初めて見ました」
「おぅ」
「…………先生も、やっぱり数学者だったんですね」
……いや、どういう事だよ。
「……と言いますと?」
「先生って、いつも普通に魔物と戦っているじゃないですか。戦闘職でもないハズなのに」
「……おぅ」
悪かったな。非戦闘職で。
「私達からすれば『先生が前線に出て戦う光景』も当たり前なんですけど…………そういえば先生ってコレが本職なんですよね」
「……まぁ、そうだな」
「戦う先生よりも、勉強してる先生の方がホンモノなんですよね?」
「……まぁ、そうだな」
ホンモノって…………。
まぁ、その気持ちは分からなくもない。
草原で魔物と戦いつつ、『数学者の職を授かったハズなのに、僕何やってんだろう?』って思った事は数知れずだったし。
「それじゃあ、僕の本業を始めようかな」
という事で、改めて練習問題に取り掛かろう。
「……」
「……」
って思ったんだけど。
僕の隣には、椅子に座ったシン。僕の手元をジーッと眺め、何かを考えているようだ。
……こうジロジロ見られてると落ち着かないんですけど。
凄くやりづらい……。
「……あ、あのシン。どうしたの?」
「はい。折角ですから、先生の勉強する姿を見てみたいなと思いまして」
……特に変わった所も無いよ。
普通に問題を解いていくだけだ。
「この『練習問題』のAとBを解いてくだけ。それだけだから」
「いやいや、そんなご冗談をー!」
「いや、本当に解いていくだけだから」
「……そうですか」
そう言い、残念がるシン。
……しかし、僕の隣からは離れようとしない。
「……僕の解く所がそんなに気になるの?」
「はい。まだ1時間半くらい時間が有りますし、暇ですので」
そうかいそうかい。
分かったよ。好きに見てくれ。
という事で、机の奥の方に置いておいた紙とペンを手繰り寄せる。
左手で参考書が閉じないように押さえ、右手でペンを持つ。
さぁ。今度こそ練習問題に取り掛かろう。
「えーっと……A問題の(1)はー…………」
A問題の(1)に左手の人差し指を当てる――――
「おっ」
(1)の問題に近づけた途端、ヒュッっと人差し指が持っていかれる。
来た来た、この感覚! 指先から魔力が吸われる感覚だ!
「……どうかしました?」
「あぁいや。何でもない」
頭の中は『あの感覚』でいっぱいになり、シンの返答も適当になる。
さぁ、新魔法! やって来い!
「ほっ」
ピッ
左手の人差し指から魔力を流した、その瞬間。
青透明なメッセージウィンドウが目の前に現れる。
===========
アクティブスキル【定義域Ⅰ】を習得しました
===========
よっしゃ!
新スキルだ!
「シン。新たな魔法を手に入れたぞ」
「えっ? 本当ですか!?」
「おぅ。……ほら、こんな感じ」
メッセージウィンドウを傾け、シンにも見せる。
「……【定義域Ⅰ】ですか。聞き慣れない名前ですね」
「まぁ、それは仕方無いよ。数学の用語だし」
「成程。……しかし、新しい魔法をこんなアッサリ手に入れてしまうなんて。私の【強突Ⅰ】とか、カミヤさんにご指導を頂きながらも結構時間が掛かったんですけどね……」
シンが項垂れながら呟く。
あぁ、【強突Ⅰ】って迷宮合宿で習得してたヤツか。確かにシンは苦労してたな。
それに対して、僕の魔法は『ワンタッチで習得』みたいなモンだ。
この差を考えたら、シンの気持ちもお察しだった。
ゴメンな。こんな簡単に魔法を習得しちゃって。
「所でなのですが、先生」
「ん? どうしたシン?」
「その【定義域Ⅰ】って魔法、どんな物なんですか? ……どうせまたチート級なんでしょうけど」
「……」
なんだよその最後の一言は!
『どうせ』とか言うなよ。僕だってチートを習得したくて習得してる訳じゃないんだし。
あと呆れた表情するのもやめてくれ!
「……ちょ、ちょっと待ってろ。【状態確認】!」
ピッ
頭の中で不満を叫び散らしつつも、言われた通り魔法の確認は一応しておく。
ピッピッとステータスプレートを操作し、【演算魔法】のウィンドウに到着。
===【演算魔法】========
【加法術Ⅲ】 【減法術Ⅱ】
【乗法術Ⅳ】 【除法術Ⅱ】
【合同Ⅰ】 【一次直線Ⅱ】
【確率演算Ⅰ】
【定義域Ⅰ】 【解析】
【求解】 【状態操作Ⅳ】
===========
「おっ。ちゃんと入ってるな」
一覧に追加されているのを確認し、【定義域Ⅰ】の項目に触れる。
ピッ
===【定義域Ⅰ】========
魔力を消費して、定義域が設定された関数の計算、およびそのグラフの描画を高速かつ高精度に行える。
計算および描画の精度はスキルレベルによる。
※【状態操作Ⅲ】との併用による効果
物理攻撃・魔法攻撃に対して、その攻撃の有効範囲を自由に設定できる。
但し、スキルレベルに対して攻撃力が著しく高い場合等では、この魔法が効かない場合がある。
===========
んー……。
「スキルの説明が難しい」
「えぇっ」
シンに驚かれちゃったけど仕方ないじゃんか。難しいんだもん。
まぁ、この文から分かった事と言えば……。
「とりあえず出来る事と言えば……『関数を計算する』、『グラフを描く』、あと『攻撃の有効範囲を設定』かな」
「成程……。前の2つは如何にも数学者らしい能力ですけど、最後の1つが気になりますね。もしかして戦闘に使える能力だったりして」
「あぁ。『攻撃の有効範囲を設定』ってヤツか。どんなモノなんだろう?」
『定義域』っていうスキル名、それに『攻撃の有効範囲を設定』っていうワード。
うーん……、一応、僕の頭の中で『こうすれば良いかな?』って感じの方法は思い付いたんだけどなー……。
如何せん、正しい使い方が分からない。
だがしかし!
こういう時の解決策を僕は知っている。
「よし。こんな時は」
「何か分かりましたか、先生?」
「いや。まぁ、とりあえず使ってみよう」
「……なにか根拠でも有るんですか?」
「無い」
「…………」
面倒くさくなってきたら、『取説』を読むのより『実際に使ってみる』のが一番なのだ!
シンが再び呆れた顔でこちらを見てくるけど、そんなの気にしない。
「そんじゃあ、シン」
「何でしょうか?」
「僕を軽く剣で斬ってみてくれ」
「エェッ!? 出来ませんよ! 故郷でも『絶対に剣を人に向けてはいけない』って教わりましたし!」
シンの猛反対に遭う。
「大丈夫大丈夫。ちゃんと【加法術Ⅲ】で僕のDEFを30足しとくから」
「そういう問題じゃないです!」
「ついでに【除法術Ⅱ】を使ってシンのATKも3で割っとくから。そうすれば、残念ステータスの僕だって流石に怪我しないでしょ」
「いや、怪我とかの問題じゃないんですって! あと勝手に僕に弱体化を掛けないで下さい!」
「えー……」
ダメだ。シンが全く折れてくれない。
シンが協力してくれないと魔法の検証が出来ないじゃんか。
「でも、シンは【定義域Ⅰ】がどんな物か知りたいんだよね?」
「……はい。知りたいです」
「『チート魔法』とか何とか言っておきながら、実はシンも気になるんだよね」
「気になります」
「そんじゃあ、協力してくれるかな?」
「……………………わっ、分かりました」
凄く長い葛藤を見せた結果、シンはやっと折れてくれた。
さて。
部屋の中には、2人の男が向き合って立っていた。
「万が一怪我しても、私は責任を負いませんからね!」
「おぅ。全部僕の自己責任だ。安心して斬ってくれ」
両手で愛用の長剣を構える剣術戦士・シン。
対するは、白衣を羽織っただけの丸腰数学者・僕。
忘れないうちにステータス加算は済ませておこう。
「【加法術Ⅲ】・DEF30、【除法術Ⅱ】・ATK3!」
「うっ、なんだか剣が重く……。先生、本当に僕にも弱体化を掛けるんですね」
「おぅ」
よし。何はともあれコレで準備はオッケー。
頭の中に浮かんだ『【定義域Ⅰ】の使い方』のイメージを、もう一度頭の中で繰り返す。
……よし。シミュレーション完了。
「よし、じゃあシン! 来いッ!」
「……はいッ!」
そう叫ぶと、剣を大きく振りかぶるシン。
そのままギュッと目を瞑り、僕に向かって全力で振り下ろした。
「ハァッ!!」
……目を瞑って現実を直視しない手を選んだか、シン。
そんな事を考えつつも、僕はシミュレーション通りに頭を回す。
定義域を掛ける攻撃は、『シンの斬撃』。
定義域の範囲は、『僕の手前1mまで』。
こうすればきっと、シンの斬撃は僕の目の前で有効範囲外になり、僕まで届かないハズ。
……そして、魔法を唱えた。
『【定義域Ⅰ】・(1 ≦ x)ッ!』
その瞬間。
僕の正面に、大きな青透明の板が現れた。
まるで、僕とシンとの間に割り込むかのように。
目を瞑ったままのシンはそんな事にも気付かず、大振りで僕に向かって長剣を振るう。
長剣は僕ではなく、その手前に聳える青透明な板に近づいていき。
カンッ!
青透明な板が、硬質な音と共に長剣を弾いた。
「おぉ!!」
その光景を見た僕は、思わず感動で声を零してしまった。
新たな魔法、【定義域Ⅰ】。
その能力は、子どもの頃にも憧れた『バリア』だった。




