11-5. 母
アキと別れた僕達は、さっきアキから教えてもらった道順の通りに王都の街を歩いている。
空は紫色になり、街はだいぶ暗くなってきた。
辺りの建物からは光が溢れ、煙突から煙が上がっている。
夕食の準備だろうか、美味しそうな匂いもそこかしこから流れてくる。
「オバちゃん元気かな」
「だと良いですね」
「俺にはオバちゃんの倒れる所が想像出来ねえな」
宿のオバちゃんを思い出し、そう言って笑う僕達。
「私たちがお世話になってた宿のオバちゃん、すっごくいい人なんだよ!」
「へぇ、それは楽しみね」
「『僕の仲間がまた増えました』って言ったら、オバちゃん喜んでくれるかな」
「ゼッタイ喜んでくれるよー!」
算盤亭の受付に座り、笑顔で新たな仲間を祝ってくれるオバちゃんを頭の中で想像する。
……まるでオバちゃんが『こっちの世界での母』みたいに思えてきちゃったな。
でもまぁ、その考えも間違いじゃないかもしれない。
配属先も無く、先輩も居らず、王城から出されて1人だった僕が最初にお世話になったのがソコ、そしてオバちゃんだったんだし。
そんじゃあ、『精霊の算盤亭』は『こっちの世界での家』?
……それも悪くないかもな。
そんな事を考えながら、僕達5人は精霊の算盤亭へと向かって歩いていった。
休暇1日目、17:18。
幾つか十字路を抜けていくと、見慣れた大通りに出る。
道の端には、通り沿いの窓の光に照らされた『東門通り』の看板が立っている。
「おっ、東門通りだな」
「ココも久し振りですね」
もう完全に陽も暮れてしまい、大通りに人は少ない。
のだが。
東門の方に少し行った所に、妙に明るい一角と多くの出入りする影が見える。
「あの人集りは何なのかしら?」
「あぁ、あそこは居酒屋だよー!」
「へぇー、居酒屋……」
『居酒屋 箱髭』だ。
僕達もコース達のお薦めで行った事があるよな。
確か深夜の2時くらいまで飲んで話して楽しんだよな。
ソフドリだけだったけど。
「また皆で行こーよー!」
「良いですね。港町・フーリエに旅立つ前に一度行きませんか?」
「おっ、良いじゃねえか。行こうぜ、先生! アーク!」
そうだな。
たまには夜更かしも良いよね。
「そうだな、そうしよっか。アークはどう?」
「わ、わたしは居酒屋とか行った事ないし……気になるわ」
……お、おぅ。
流石は領主のお嬢様、そんな大衆酒場なんかには行かないか。
「それなら良い機会だ。俺らと行こうぜ、アーク!」
「うん。宜しくね、ダン」
「おう、任せろ!」
さて、箱髭の件はそろそろ終わりにして。
東門通りまで来ればもう直ぐだ。僕達でも分かる。
「おっ、見えてきたぞ」
東門通りとの交差点から道を少し行くと、もうそこには『精霊の算盤亭』が見える。
「あー、やっと着いたねー!」
「懐かしいですね、あの感じ」
「俺らが先生と出会わなければ、ココに泊まる事も無かったもんな」
「確かにそうですね、ダン。私達にとっては、ココは他の宿とは違います」
どうやら『精霊の算盤亭』に特別な想いを僕だけじゃなく、学生達もだったようだ。
「そういえばケースケ、もし空き部屋無かったらどうするの?」
「あっ…………」
やべっ、部屋を取れなかった時の事を考えてなかった。
「んー……、まぁ、部屋が取れなかった時はオバちゃんに挨拶だけして他の宿だな。オバちゃんならオススメの宿とか教えてくれるかもしれないし」
「その時は仕方ねえもんな」
「なるほどね。分かったわ」
まぁ、今心配した所で何か変わるわけじゃないし、5部屋空いてる事を願おうか。
「それか、皆で野宿しよーよー!」
「「「「それは無い!」」」」
という訳で、精霊の算盤亭に到着。
ドアノブに手を掛ける。
カランカラーン……
「「「「「こんばんはー」」」」」
挨拶しながらゆっくり宿のドアを開く。
段々広がっていくドアの隙間からは、宿の受付が見える。
そして、いつもの如く受付に座るオバちゃん。
眼鏡をかけてペンを持ち、何か書いているようだ。
「いらっしゃい、やけに大人数だね————
そう言ってペンを置き、眼鏡を外してこちらに目を向けると。
「…………あらっ! 誰かと思いきや!」
「どうも、オバちゃん」
「お久し振りです」
「帰って来たよー!」
「オバちゃん、久しぶりだな」
「こんばんは、オバちゃん」
順に建物に入り、それぞれオバちゃんに一言挨拶していく。
「そうかい、アンタ達だったのかい! また来てくれて嬉しいよ!」
「こちらこそ、またお世話になります」
「勿論、大歓迎だよ! これでまた宿が賑やかになるねえ!」
「ちなみにオバちゃん、部屋は空いてるのか?」
「ああ、もう選び放題さ。今日は不思議と人の入りが悪くてねえ」
あらま、珍しい。
少なくとも僕が泊まっていた頃には、精霊の算盤亭は毎日毎日ほぼ満室。いつも冒険者や旅人で大賑わいだったハズだったんだけどな。
「このアタシが言うのもなんだけど、部屋の半分も埋まらない静かな日なんていつ以来だかねえ!」
「おぉ、やっぱりオバちゃんは言う事が違えな」
「流石は人気の宿の女将さんだねー!」
「『人気の宿』だって? アッハッハッハ……、そう言ってくれると嬉しいねえ。死んだ夫も喜ぶよ」
「宿が人気なのも、オバちゃんのお陰ですよ!」
「やだよーアンタ、おだててもアタシからは何も出やしないよ!」
そう言いつつも、シンの言葉に少し照れるオバちゃん。
『あらヤダ』と言わんばかりの右手はたきがシンの肩に直撃。
バシッ!
「痛ッ! オバちゃん強いですよ!」
「あらあら、ゴメンね。アンタが褒めてくれたお陰でパワーアップしちまったようだね」
オバちゃんは『何も出やしない』と言っていたが、どうやら出たのはオバちゃんの手だったようだ。
さて、じゃあそろそろ部屋に入らせて貰おうかな。
「オバちゃん、201は空いてますか?」
「あぁ、狂科学者さんの特等室、角部屋なら空いてるよ。……というか、2階は軒並みガラガラさ」
「そうですか。じゃあ……201から205の5部屋、とりあえず2泊お願いします」
そう言い、リュックから銀貨30枚を取り出して受付カウンターに置く(【乗法術Ⅲ】利用:銀貨3枚×5×2=銀貨30枚)。
どうせなら、レストランに続いて宿代も僕が出してあげよう。
「はいよ。銀貨30枚、確かに受け取ったからね。…………フフッ」
「……どうしたの、オバちゃん?」
「いやいや、何でもないよ。ただ、狂科学者さんは最初お金の計算すら出来ていなかったのを思い出してね」
「……」
……あー、あったな。そんなの。
当時はロクに数学の勉強もやっていなかったし、【乗法術Ⅲ】も手に入れてなかったからな。
まぁ、流石に今となっちゃそれなりの計算なら間違えない。
「まあ、今となっちゃ懐かしい思い出だね。……はい、5部屋分の鍵だよ」
そう言いながらオバちゃんが鍵をカウンターから取り出し、5本纏めて僕に手渡す。
「そういえば、前までは4部屋だったよね。見慣れない赤髪の子は、狂科学者さんの新しいお仲間かい?」
「はい。僕達がテイラーでの合宿を終えた後、王都への帰り道で出会いまして。一緒に旅をすることになりました」
「アークです。オバちゃん、よろしく」
そう言い、アークは優雅にゆっくり一礼する。
……流石はお嬢様だけあって、作法は一流だ。
「あらっ、随分と品の良い子だね。気に入ったよ」
そう言うと、オバちゃんも椅子から立ち上がる。
「それじゃあアタシもお返しにちゃんと挨拶しなくちゃね。……ここ『精霊の算盤亭』の女将、タマ・アバカスだよ。よろしくね、アークちゃん」
お互いに名乗ると、カウンター越しに握手を交わす。
「狂科学者さんは凄く良い子だからね。勿論、その学生さん達も。元冒険者のアタシが保証してあげるよ」
「ええ。それはわたしも分かってるわ」
「そうかい。良い仲間に巡り合ったね、アークちゃん」
「ありがとう、オバちゃん」
そして、アークとオバちゃんはお互いに微笑んだ。




