9-1. 顰蹙
「さらばだ————
矢野口の放った矢を腹に受けつつも、セットはそう言い残して消えた。
無表情エルフと共に。
沈黙の大広間には、大量の魔物の死体と僕達30人、それと半ば掻き消された銀色の魔法陣だけが取り残されていた。
「クソッ、あの野郎! 散々やりやがった挙句ッ……!」
「……に、逃げられたのか」
大広間を覆う沈黙を、強羅と神谷が切り裂く。
「ゴーラ殿、カミヤ殿、気持ちは分かる。だが————
「団長、もう少しで魔王の手下を捕えられたんだぞ! 情報だって沢山抜き取れたかもしれねえ!」
「セットの持つ情報が魔王討伐の近道だったのかもしれないのに……」
「いや、そう焦るな」
団長、プロポートさんが2人を止める。
「飽くまで我々の目標は『ここから生きて帰る事』だ。魔王軍の者を捕らえるのは『余裕があれば』に過ぎない。今はセットを逃した事を悔しむより、無事に危機を脱した事を喜ぼう」
あ、あぁ、確かにそうだ。
セットを倒した事で、少し調子に乗ってたかな。
「……そ、その通りだな」
「団長の仰る通りだ」
少し頭も冷えたようで、神谷と強羅も落ち着いたようだ。
皆の顔も、どこかホッとした表情だった。
さて、なんとか魔王軍の尖兵による奇襲を退ける事は出来た。
合宿が終わった直後、テイラーへと帰ろうとした矢先の事だったが、死者はゼロ。怪我人も4人で済んだ。戦士と魔術師に1人ずつと僕、それと転移魔術師さんだ。
……まぁ、怪我人が『4人で済んだ』のか『4人も出てしまった』のかは分からないけど。
僕の矢を受けた腹の傷はまだ痛むけど、なんとか血は止まったようだ。そこまで深い傷じゃなかったし、意識も朦朧している訳じゃない。大丈夫とは思うけど、後で可合に治療して貰えたら良いな。
それよりも気になるのは、転移魔術師さんだ。コレレさんの様子を見るに、まだ意識を取り戻してないようだ。
……心配だ。大丈夫かな。
さて、合宿は無事終了したし、なんとか皆生き残ったし、あとは風の街・テイラーに帰還するだけだ。
あー、早くフカフカベッドでぐっすり寝たいな……。
ココから地上の迷宮入口までは転移魔法、そこからテイラーまでは歩きって予定だ。
だが。
そういえば。
「ねえ、神谷」
「なんだい、数原君?」
「……そういえばさ、結局僕達はテイラーまでフルで歩きって事?」
転移魔術師さんは大怪我により魔法が使える状況ではない。
……となると、テイラーへ帰る方法は。
「そうだな。テイラーまでの全行程が徒歩だ」
……えー、やっぱり?
やっと合宿終わったし、敵も退けられたってのに。
フカフカベッドまであと何日掛かるんだろうか。
大怪我を負った転移魔術師さんに超失礼だから口には出さないけど、早くテイラーに帰りたい。
テイラーに着いたら、どんな宿でもさっさと取って、フカフカなベッドにダイブしてオヤスミナサイしたい。
あぁぁ……早く僕にベッドを……
「そうだな……。よし、勇者諸君、聞いてくれ」
そんな大顰蹙モノの考え事をしている時。
ここでどうやらプロポートさんからの提案があるようだ。
「今日は此処でもう一泊し、明日の朝に迷宮を出るというのは如何か? もし皆が早くテイラーへと戻りたいと言うのなら、今から帰還しても良いが」
プロポートさん曰く、あれだけの数の敵を相手にして戦ったのだ。結構体力も使ったし、同級生達は昨晩の睡眠不足もあるだろうって事で、出発を1日遅らせる事にするっていう提案だ。
プロポートさんの話を聞いて周りを見回せば、心なしか皆ぐったりしている。
同級生の戦士組だけでなく、魔術師組も精神的に疲れている顔だ。
あの野球部員の長田でさえ、膝に手をついて荒い呼吸をしている。
まぁ、そんな感じだ。
結局プロポートさんの提案に反論する人は居らず、今日1日は休息に充てる事になった。
そのまま皆大広間の隅に移り、テント張りや寝袋広げを開始。
少し遠くには魔物の山が見えるんだけど、そんな事を気にする人も居ない。
結局、殆どの人は昨晩の寝不足や生死を賭けた戦いでの疲労により、一瞬のうちに夢の世界へと行ってしまった。
戦士・魔術師の方々も、殆どが寝てしまった。
やっぱ皆、疲れてるんだね。
……さて、皆寝ちゃったな。
起きているのは僕含めて数人だけだ。
そんじゃ、僕は僕の用事を済ませますか。
「(可合ー)」
回復魔法が使える可合に、腹の傷を治して貰うのだ。
皆を起こさないようにしつつ、数少ない起きている人の可合に声を掛ける。
可合はコレレさんの隣に座って何かを見ている。
どうやら、コレレさんが転移魔術師に回復魔法を使う所を見ているようだ。
勤勉だね。
「(なに、数原くん?)」
「(あぁ、ごめん。今忙しかった?)」
「(ううん、大丈夫だよ。で、どうかしたの?)」
そして可合スマイル。
あぁ、さすがだ。優しすぎる。
コレだけで傷が治っちゃいそうだ。
そんな感じで心がホッコリした時。
「あら、数学者の小僧じゃないか」
老魔女の横槍。
アンタはお呼びじゃないんだよ。
「何か用かい? アタシゃ今忙しいんだけど」
見りゃ分かるよ。
ってか声がデカい。皆起きちゃうよ。
まぁいいや、とりあえず本題だ。
「(えーと、可合にちょっとこの傷を治して貰えたらなー、って思って……)」
そう言って白衣と麻の服を捲り、傷口を見せる。
「あら、アンタも怪我してたのかい!? 怪我したんならさっさとアタシ達の所に来りゃ良かったのにねぇ」
色々あって離れられなかったんすよ。
本物のセットを見分けられるの、僕しか居なかったし。
「あらま、矢を喰らったのかい…………にしては、思ったより刺さってないね。フンッ、命拾いしたじゃないか」
ギリギリで【加法術Ⅲ】・DEF30が効いたお陰だな。
……ってか、その『フンッ』って何?
そんな感じでコレレさんが診断していると、可合は僕の白衣を見て驚いた表情をしている。
「(こ、コレ……数原くんのケガだったんだね。てっきり魔物の返り血だと思ったよ……)」
まぁ、確かに乱戦状態だったしね。
「(数原くん、王都で『血に塗れし狂科学者』って噂になってるよ? てっきり今日のもそれかと思って……)」
……ぇ?
いやいやいや。
なんすかその新しい渾名。
聞いたこと無いんですが。
確かに『狂科学者』とは呼ばれてたけどさ。
いつの間にそんな厨二チックな進化を遂げてたんだよ。




