ユリア 2
私は目の前に現れたこの女が信じられなかった。フロリーヌからこの女が恐喝まがいのことをしてしぶとく生きていることをは時々話に聞いていたけれど、いったいなんの用で私のところに来たのかさっぱりだった。
「なんの用ですの?」
「あら、嫌だ。怖い顔しないで下さいませ。世間話を少々しに来ただけですのよ」
ルシエラは睨む私のことなど気にとめぬ様子で接客用のソファーに腰を下ろすと、部屋の中をぐるりと見渡した。
「さすがゴーランド子爵家は鉄鋼事業で財を為しているだけあって子爵家なのに立派ですわね」
「何が言いたいのかしら?」
「それに引き換え、私は誰かさんの言うことを聞いたばっかりに貧相な市井暮らし。不公平だとは思いませんこと?」
ルシエラは私の問いかけには答えずに、大げさに手を広げて嘆いて見せた。私は嫌な予感がしてくるのをとめることが出来なかったわ。
「ねぇ、ユリアさま。フロリーヌさまったらもう支援できないって泣くのですわよ。私一人にに罪を擦り付けておいて、支援出来ないと泣いて済まそうだなんて酷いと思うのです」
「あれはあなたが勝手にやったのでしょう!」
私は苛立ちから強い口調で言い放った。ルシエラは昔のように首をかしげて微笑んだわ。
「まぁ、酷いわ。ユリアさまったらご自分が主犯のくせに惚けるの?私、フロリーヌさまからとある物をお預かりしましたのよ。なんだと思います?」
にっこりと微笑むルシエラに私は答えることが出来なかった。碌な物じゃないことは想像がついたわ。
ルシエラはしばらく待っても私が答えないのでつまらなそうに口を尖らせた。そして、おもむろに鞄から一通の手紙を取り出して読み上げ始めた。そして、最後に笑顔でこう言ったのだ。
「ちなみにこれは写しですわ。大切なお友達から頂いたお手紙はきちんとした場所にしまわないと無くしてしまいますものね。」
その内容を聞いたとき、私は全ての終わりを感じた。この事が表に出ればこれまでの苦労が、私の幸せが、何もかもが終わってしまう。
私が違うのだと言い訳したところで、自分の信用に傷が付くのは避けられないだろう。何よりも、カミーユさまにこんな事が知られたら離縁されるかもしれない。なんとしても隠さなければならないと思った。
領地の鉄鋼石を横流しする。
なぜあんなことをあの女に提案してしまったのか、そのことに関しては自分の愚かさを悔いずにはいられないわ。大量の鉄鋼石を横流しすればいずれバレる事など、ちょっと考えればわかりそうなことなのに。あの時期の私は、そんな事にも気付かないほどに動揺していたのだ。
あの日、カンナが全てを明らかにして国の警備隊が私自身を捕らえた。縄で両手を後ろ手に縛られたとき、絶望と共に、もうこんな事をしなくて済むのだとわかって私はとてもホッとした。
私の愛する人達は茫然自失の状態で私を見つめていた。カミーユさまには離縁されるだろう。子供達にももう二度と会えないかも知れない。これは浅はかな発言であの方を死に追いやるきっかけを作った私の行いに対する罰なのだと思った。
それなのに、なんであなたはここにいるの?
もう二度と会うことは出来ないと思っていたあの人は、予想に反して私に会いに来た。薄暗い監獄までわざわざ赴いて。私は彼の姿を扉の格子越しに見たとき、重度の精神的ショックで遂に幻を見るようになったのだと思ったわ。
「ユリア。君の刑期が2年になった。努力して手を尽くしたがこれ以上は無理そうなんだ。非力な俺を赦してくれ」
泣きそうな顔をしたあの人がそう言ったのを聞いて、私は訳がわからなかった。2年ですって?10年以上はあったはずよ??
「何をしたのです?」
「保釈金を支払うために爵位を売った。あれは俺には必要の無いものだ」
私を見つめる彼の言葉に、私は頭が真っ白になった。爵位を売った?私のために??なんてことなの!
「なぜそんなことをしたのです!私など捨て置けば良いものを」
こんな事になるなんて。何も悪くないカミーユさまに、私はなんてことをさせてしまったのだろう。私は大切な人を次々に不幸にする、とんでもない疫病神だわ。
「俺と君は夫婦だろう?ユリアはいつも頑張って俺を助けてくれた。今度は俺が君を助ける番だ。当然だろう?」
そう言って扉の格子越しに微笑まれて、私は涙が止まらなかった。
「馬鹿なひと・・・」
思わずこぼれ落ちた言葉を聞き、カミーユさまは優しく目を細めた。
「馬鹿な男は嫌いか?」
「いいえ。今も昔も世界一愛しております」
「その言葉だけで十分だ」
ほんの僅かな隙間越しに触れる指先の温かさが、幻覚で無いことを教えてくれた。愛おしいこの人が私を待っていてくれるというのならば、2年間の投獄など辛くないわ。
♢♢♢
「ユリアさま。今日はお菓子を頂きながら利き茶をしましょう!」
一息つこうと休憩にすると、とたんに私の目の前でカンナが目をキラキラと輝かせた。
「いいわよ。言っておくけど、負けないわよ」
「あら、私も負けませんわよ?」
カンナは胸を張ってフフンと笑った。そして、おもむろに並べたティーカップに何種類か紅茶を注ぎ始めた。
なぜ私がカンナとこんな事をしているのか。それは遡ること数ヶ月前の話になる。
私が出所して少し経ったその頃、私は家族と慎ましく暮らしていた。カミーユさまは子爵位を売ってもまだ騎士であり少将の立場だ。なので、私達家族はカミーユさまの収入だけでも幸せを感じる生活を十分に送れていた。そんなある日、彼らは突然訪ねてきたのだ。
「今なんと仰いました?」
「妻の個人教師をして欲しいのです。妻もそれを熱望しています」
私の目の前には私がこの世で最もそりが合わないであろう夫婦の息子であるウィリアム・バレットとその妻のカンナがいた。
「馬鹿なことを仰らないで。私が何をしたかご存知ないの?」
「女手ながらゴーランド子爵領を切り盛りしていました。元・優秀な敏腕経営者で、妻を指南するには最適な人です」
目の前の若者は大真面目な顔をしている。私は彼を睨み付けたけど、彼は目を逸らさない。私は鼻でフンと笑った。突然現れたかと思えば、この人達は何を言い出すのかしら。
「私があなた達に近づくことをあなたの両親は許さないでしょうに」
「両親は関係ありません。最近は領地で福祉事業に熱心に取り組んでいて、鉄鋼事業は僕に任せきりですから。商会を訪れても会うことはまず無いですよ」
主力事業の鉄鋼事業をまだ若年の息子に任せきりですって?どんだけ早く引退するつもりなのかしら。
「とにかく、お帰りなさい」
「ユリアさま、お願いしますわ」
言い募る彼らを突き放し、私は有無を言わさずに追いかえした。本当に何を考えているのかと困惑せずには居られないわ。
けれど、彼らは諦めなかったようだ。ウィリアム達はその後も連日のように私を訪ねてきた。そして、挙げ句の果てに私の監視人である義兄のゴーランド伯爵にまで頼んできたので、さすがの私も遂に折れたわ。
カンナはとても優秀だった。私が教えたことはどんどん吸収して、領地の鉄鋼事業を牽引する夫を支えるだけの力を確実に身に付けていっていた。
こんな事になってやっと気付いたけれど、私はこの仕事が好きみたいでカンナに教えるのはとても楽しいわ。それに、2人ともなぜだか私にとても懐いてて良く話を聞くから、なんだか可愛らしいのよ。
それにしても・・・
「さあ、入りましたわ。ではまず、ピエール地方の紅茶を当てて下さいませ!」
カンナは4つのティーカップを私の前に並べた。私はまず紅茶の色を見比べ、次に香りを確認して、最後に一口ずつ味見をしていく。そして、少し考えて答えを決めた。
「これよ」
私が右から二つ目を前に差し出すと、カンナは目を丸くした。
「当たりです。さすがですわ」
「当然よ」と私は口の端をあげる。
「でも、私も負けませんわよ」とカンナは対抗心を燃やして拳を握り締めた。
なんだかこの子といると、若かりし日のことを思い出すわ。よく、私はこんな感じでアニエスさまと遊びをしていた。
愉しげに再びお茶を煎れていくカンナを見ながら、「カンナがうちの息子の嫁だったら良かったのに」と思わず独りごちる。すると、そばにいたウィリアムが血相を変えて「駄目です!カンナは僕の妻なのでいくらユリアさんに頼まれても譲れません!!」と言いだした。
「わかってるわよ。残念だわ」
私はヒラヒラと片手を振る。
上の息子は最近、子どもの居ない義兄夫婦のゴーランド伯爵家に養子として迎え入れられた。将来はゴーランド伯爵領の鉄鋼事業を引っ張る立場になるだろう。カンナのようなお嫁さんなら安心なのに、本当に残念だわ。
「まあ、ウィリアムはカンナにお似合いのとてもいい男だとは思うわよ」
「ありがとうございます」
私の言葉を聞いたウィリアムは嬉しそうにはにかんだ。やっぱり懐いててかわいいわ。
顔はイマイチだけどね、と私は心の中だけで付け加える。
だって、性格は全然違うけど、この子の顔はあのいけ好かない男と殆ど同じなのよ?あの2人からこの性格の息子が生まれたのはまさに奇跡ね。どうせなら顔も違ったら良かったのに。まあ、妻であるカンナは中身も見た目もウィリアムが本当に大好きみたいだけど。
そんな事を考えていると、「一番左ですわ!」とカンナの愉しげな声がした。私はチラリとティーカップに視線を落とす。
「違うわよ」
「えぇ!?そんなぁ」
しょんぼりとするカンナに、私はしてやったりと口の端を持ち上げた。私の教え子はまだまだ修行が足りていないようね。