ユリア 1
ユリア視点です。
その小さな表情の変化に気付いたのは、私が彼女の一番の友人であるだけで無く、私もまたカミーユさまを見つめる一人の恋する少女だったからなのかもしれない。
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また今日もアーロンさまだわ・・・
私は舞踏会の会場でアニエスさまの隣を見てそう思った。最近、これまでアニエスさまを常にエスコートをしてきたエドウィンさまにかわり、アーロンさまがアニエスさまのパートナーになっていたのだ。
突然のパートナーの変更に、噂好きな貴族連中の間にはすぐに妙な憶測が飛び交い始めた。
エドウィンさまが婚約目前だったアニエスさまを袖にした。スフィアが誰にも靡かないエドウィンさまを陥落した。はたまたアニエスさまがアーロンさまに乗り換えた・・・
けれども、当の本人達はそんな噂話などどこ吹く風で堂々としたものだったので、次第に噂話は鳴りを潜め始めた。あまりにも堂々とした態度だから、一番近くに居た私ですら円満にパートナーを組み直したのだと思ったほどだ。
だから、アニエスさまのあの表情を見たとき、私は心臓を鷲掴みにされたかのような苦しさを感じた。そして、スフィアには激しい怒りを感じたのだ。
それは、エドウィンさまがスフィアとダンスを踊り始めた時だった。私達は女友達と数人で壁際で歓談していた。その時、私は見たのだ。あの二人を見た途端に、穏やかに笑みを浮かべるアニエスさまの瞳が一瞬だけ寂しげに揺れたのを。
アニエスさまはスフィアを社交界デビューさせてあげたいと自分からエドウィンさまに相談したと言っていた。エドウィンさまはその要望に応えるべくスフィアをエスコートしたのだろう。
でも、なんでまだスフィアをエスコートしているの?アニエスさまに戻るべきなのに。私はエドウィンさまの配慮のなさに憤りを覚えたわ。
そして、ダンスの後に私達の元に来たエドウィンさまとスフィアを見たとき、私は彼らの態度から察したわ。スフィアは人の気持ちがとことん察せない無神経な子で、エドウィンさまは人の気持ちを察しても自分の思い通りに物事を動かそうとする典型的な貴族男性で、とてもしたたかな男なのだと。少なくとも、その時の私はそう思った。
こんな男にアニエスさまは勿体ないわ。
それが私の素直な感想だった。だって、アニエスさまは本当に美しくて、誰もが認める模範的な貴族令嬢だった。
そして、彼女の一番の魅力は誰にでも分け隔てなく優しいところだと思っていた。それが、こんな気の利かない庶民上がりの子を気に掛けたばっかりに辛い思いをしてるなんて理不尽だわ。
でも、スフィアのことは大嫌いだけど一つ褒めてあげることがあるわ。それは、エドウィンさまはアニエスさまには釣り合わないちっぽけな男であることを明白にして、こんな狡猾な男にアニエスさまが生涯を捧げるという悲劇から解放したことね。
私の一番の大切な友人があんな見た目が良いだけの男に翻弄されるなんて許せないわ。アニエスさまに比べればあんな男、大したことない小者よ。リボンを結んで返品してやるべきだわ。
本気でそう思っていた私は、アニエスさまとアーロンさまが恋に落ちたとき本当に嬉しかった。だって、アーロンさまがアニエスさまをとても大切に思っているのは傍目から見ても明らかだったもの。
爵位こそ劣るけれど伯爵位なら十分高位だし、顔だって私はエドウィンさまよりアーロンさまの方が優しそうで素敵だと思うわ。あ、もちろん一番素敵なのはカミーユさまだけどね。
そして何よりも、アニエスさまはエドウィンさまといるときよりアーロンさまといるときの方が自然で幸せそうに見えた。私はそれが何よりも一番嬉しかった。
だからこそあの現場を目撃した時、私は看過できないと思ったのだ。
ウインザー公爵家で開催されたその舞踏会で、フロリーヌといた私は男爵令嬢のルシエラに声を掛けられて見たその現場が俄かには信じられなかった。
庭園のベンチにはアーロンさまとスフィアがいたのだ。暗がりでよく見えなかったけれど、アーロンさまは困惑したような表情をしていた。そして、もう一人のこちらに背を向けた金髪女の髪にはスフィアが時々つけているアニエスさまのプレゼントした髪飾りが付いていた。
気遣いが出来ないだけじゃなくて、他人の男に手を出したくなる淫乱女だったのね!
驚くとともに激しい怒りに駆られた私はすぐにアニエスさまに報告に行ったわ。これが仕組まれた壮大な罠だということに少しも気付かずにね。
私はアニエスさまが好きだった。侯爵令嬢と言うことを鼻に掛ず、私と仲良くしてくれた。私達は社交界デビューする前からの友達で、よくお茶会の席で即席のお菓子の品評会をしたりして笑いあっていた。決して酷い目に合わせるつもりは無かったのよ・・・
その日、ウインザー公爵家では一つの大事件が起きた。表向きは何も公表されずに和やかなまま舞踏会は終わったけれど、口にするのも憚られるおぞましい出来事だ。
変わり果てたアニエスさまを目にしたとき、目の前が真っ暗になった。なぜこんなことになってしまったのかと悲しみのあまりに気が狂いそうだった。そんな私を支えてくれたのは、後に夫となるカミーユさまだった。
私は考えなしに自分の口から飛び出た無責任な言葉を深く反省して、あの事件後からは付き合いで必要な以外の殆ど社交から身を引き、騎士であるカミーユさまを支えることに専念し始めた。
女手での領地経営は本当に大変で、何度も投げ出したくなった。けれども、好きな人と結婚して子供に恵まれた私はあの方に比べればどんなに幸せか。それに、私は騎士団服を着込んで凛々しい姿のカミーユさまに「いつもありがとう」と微笑まれるだけで、頑張ろうという気持ちが沸いてきたのだ。
そんなある日、私のその後の人生を狂わす歓迎しない訪問者が現れた。
シエラ夫人と名乗るその訪問者に私は聞き覚えは無かったけれど、もしかしたら領地製品の取引先かもしれないと思って面会を許可した。
「ご機嫌よう。ユリアさま」
平民なのに貴族のように挨拶をして微笑むその訪問者は、忘れたくとも忘れられない女だった。