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スフィア

──今も昔も私はあなたのことが反吐が出るほど大嫌い


 そう言われたとき、私の頭は真っ白になった。口から溢れたのはただ一言だけ。


「なぜ・・・?」


 なぜ?何故なの??


 私には本当にわからなかった。ユリア様が私のことを昔から嫌いなのは知っていたわ。でも、何故そこまで自分が嫌悪されるのかがわからない。最初は自分が市井暮らしの新参者だからだと思っていた。でも、そんなことでここまで人を嫌悪するものなのだろうか?私には本当にわからないのだ。


「なぜ?わからないの??」


 そんな私を怒りを顕わにしたユリアさまはせせら笑い、全てを暴露した。その内容は私には到底信じがたい事ばかりだった。


 アニエスさまがエドを慕ってて、辛い思いをしていた?

 アニエスさまは私を庇って暴行されたですって?

 

 最後に言われた、私はいつも誰かに助けられてばかりだと言うことは咄嗟に否定できなかった。けれど、アニエスさまの件は聞き捨てならなかった。


 絶対に嘘だわ。


 必死にそう自分に言い聞かせていた私の心は脆くも打ち砕かれた。最も信頼していた夫の手によって。


──ねえ、エドウィンさま


 ユリアさまが同意を求めるようにそうエドに語りかけた時、エドは明らかに顔を強張らせた。その瞬間に私は悟ったのだ。全ては真実であり、知らなかったのは愚かな私だけなのだと。


 なんてことなの。


 なんて私は浅ましい・・・






──良かったわね、スフィア。


 あの方はいつもそう言って私に優しく頬笑みかけてきた。


 初めてアニエスさまにお目にかかったのユリアさまが主催したお茶会でのことだった。初めてのお茶会へのご招待がただ嬉しくて喜んで参加したその場で、私は貴族社会の手厳しい洗礼を受けた。

 皆が示し合わせたようにクスクスと私を嘲笑するけれど、貴族の礼儀作法に疎い私には自分の何がいけないのか、どうして自分が意地悪をされるのかがさっぱり判らなかった。

 訳が分からなくて泣きそうになった私に救いの手を差し伸べてくれたのがその日初めて会ったアニエスさまだった。


「まあ、本当に珍しいわね」と手作りの髪飾りを見ながら言ったアニエスさま。「とても珍しいから、気に入ったわ。私のと交換して下さらない?よろしければですけど」


 にっこりと微笑んで私にご自身の髪飾りを着けてくれたアニエスさまは本当に美しくて、私には唯一の救いの手を差し伸べてくれる天使のように見えた。その日から、アニエスさまは何も返せない私をいつも気に掛け、助けてくれた。

 お茶会でのマナー、お客さまをもてなすときのお茶の煎れ方、ダンスの踊り方、ご招待状やご機嫌伺いのお手紙の返信の仕方。アニエスさまに教えて貰ったことを数えだしたらきりが無い。

 そして、私はアニエスさまのことを本当のお姉さまのように慕っていた。いつも穏やかに笑っていて、誰よりも美しく、優しく、大好きな私の憧れのお姉さま。


 とある日、顔を合わせたユリアさまに私は激しく詰め寄られた。


「あなたねぇ!厚かましいのも程々にしなさいよ?あなたがエドウィンさまにエスコートされているせいでアニエスさまがエスコートされなくなったのよ?エドウィンさまはアニエスさまのパートナー役だったのよ。少しは気を遣ったらどうなの??」


 怖い顔をして睨みつけるユリアさまの言葉に私は本当に驚いた。アニエスさまはいつもアーロンさまにエスコートされているけれど、本当はエドウィンさまにエスコートされることを望んでいるの?


「アニエスさま。エドウィンさまはアニエスさまのパートナーをずっとしていたとユリアさまから聞きました。私がいつもエドウィンさまにエスコートして頂いてもいいのですか?」


 私は次に会った時にアニエスさまにそう聞いた。その時、アニエスさまは一瞬の沈黙の後にクスッといたずらっ子のように微笑んだ。


「エドは幼なじみなの。ずっとエスコートされていたのは腐れ縁よ。それに、こう見えても私にエスコートを申し出る人は結構多いのよ?ご機嫌伺いのお手紙が山のようよ」


「それはわかりますわ。アニエスさまはとても素敵ですもの。どのご令息もアニエスさまに見つめられると心ときめくに違いありません」


 アニエスさまは本当に素敵だった。美しくて凜としててお優しくて。この人に惹かれない男性などこの世に存在するのだろうかと私は本気で思っていた。


「まあ、褒めすぎよスフィア」


 アニエスさまは扇で口元を隠して楽しげに笑った。そして、にっこりと微笑むと「だからあなたは何も気にしなくていいのよ」と言った。


 なぜ気付かなかったのだろう。市井で育った私は言葉の裏を取ることが出来ず、とうとうアニエスさまの優しい嘘に気付く事が出来なかった。

 アニエスさまはその笑顔の裏で、ずっと辛い思いをしてきたのだろうか?この私のせいで??


 私はあまりの自分の浅ましさに戦慄すら覚えた。


 ユリアさまに嫌われるのも当然だ。そして、ユリアさまが言ったことが真実ならば、アニエスさまを殺したのは私だ。私が被害に遭うべきだったのに、アニエスさまを巻き込んで殺したのだ。


 私は自分の罪深さに恐れおののき、暫くの間はショックのあまり寝込んだ。そして、少し気持ちが落ち着いてきた頃に思ったことは、どうして教えてくれなかったのか、だった。私はエドに詰め寄った。

 

「何故教えてくれなかったのです!」


「教えてどうなる?俺は一人しかいないんだから君のエスコートをしたらアニエスをエスコートできないのは当たり前だろう?それに、事件のことは教えてもアニエスは帰ってこない。君が傷つくだけだ」


 エドは不愉快そうに顔を顰めて私を突き放すような言い方をした。


 事件のことは教えてもアニエスさまは帰ってこない?


 ええ、そうね。私は取り返しのつかないことをしてしまったのよ。

 でも、それよりも私が聞き捨てならなかったのは『私が傷つくだけ』という部分だった。私が傷つくですって?私はあの方を死に追いやるほど傷付けたというのに、あなたは私が気付つくのを恐れたの?? 


「私が傷つくだけかどうかはあなたが決める事ではありません!あの方にしてしまった仕打ちを考えると、私の行動はなんと浅ましいことか!!」


「教えたところで君に何が出来る?君はユリアの言う通り、いつも誰かに助けてもらうばかりだ」


 エドの言葉に私は絶句した。信じられなかった。ユリアさまと同様に夫まで私のことをそんなふうに思っていたなんて。


 いつも誰かに助けて貰うだけ。


 否定は出来ない。確かに私はいつも誰かに助けられてばかりだ。

 幼いときは母の庇護の元で市井に育ち、母が亡くなると父親であるゴーランド伯爵に引き取られた。そこからはアニエスさまにただ一方的に助けられ、アニエスさまが居なくなると今度はエドが救いの手を差しのべてくれた。


 これまで、自分はそのことに何一つ疑問を覚えてはいなかった。けれど、ユリアさまのお怒りで目が覚めた。私はまわりの好意に甘えすぎたのだ。もっと早くから自分の足で立つ努力をすべきだったのだ。


「私はあなたの飾りではありません。私にだって考えることは出来ます。意思のない人形ではないのです!!」


 私は初めてエドに反発して屋敷を飛び出した。行く当てなんて何も無い。仕方が無いから領地の屋敷に戻った。結局、私はエドの庇護が無いと何一つ出来ないのだ。情けなさのあまり涙がこぼれ落ちた。


 そこからはひたすら慈善活動に打ち込んだ。こんなことで自分が許されるとは思っていない。けれど、私はこれまで人に助けられてきたのと同じくらい人を助けなければならない気がした。それに、何かに打ち込んでいないと精神的に壊れてしまいそうだった。


 孤児院と教会通いを熱心に行っていたそんなある日、見たことが無いほど焦燥しきった夫が現れた。


「スフィア。王都の屋敷に戻ろう」


「嫌です」


 私は意地を張って夫の申し出を断った。夫は唇を噛んで俯くと、私の手を握りそれに額を押し付けるように今度は私の前に膝をついた。


「スフィア。君の気持ちを考え無かった俺が悪かった。今は赦さなくとも、どうか戻って来てはくれないか?皆、君のことを心配している。それに、俺は君無しだと駄目なんだ」


 エドがこんな風に私に頼むなんて、これまで一度も無かった。私だけで無く、この人もまた変わり始めいることを感じた瞬間だった。


♢♢♢


 私が庭園で薔薇を摘んでいると息子のウィリアムの婚約者であるカンナが声を掛けてきた。


「スフィアさま。それは孤児院用か病院用の花ですか?」


「いいえ。これは違うわ」


 カンナの視線は私の手元のピンク色の薔薇に釘付けになっている。そして、カンナは迷うように間を置いてから、おずおずとこう言った。


「アニエスさまの墓前に行くのなら、謝罪では無くてスフィアさまが何をしているかを話した方が喜ぶと思います。慈善活動とか、領地の勉強とか。最近スフィアさまは熱心でしょう?」


「なぜそう思うの?」


 私が尋ねるとカンナは困ったように首をかしげ、「何となく」と曖昧に微笑んた。


 考えてみれば、確かにアニエスさまは私の謝罪など聞きたがらないかもしれない。きっとあの方は「もういいのよ」、と言って話を終わらせようとする。「ごめんなさい」よりも「ありがとう」を聞きたがる人だった。

 それにしても、なぜカンナはこんなに良くアニエスさまを知っているのだろう?ふとした疑問は私の中で次第に大きくなる。

 

「スフィアさま?どうかされましたか?」

 

 カンナに心配そうに見つめられ、私はハッとした。「いえ、なんでもないわ」と微笑む。


 大切な人が眠るその場所に、あの人が大好きだったピンク色の薔薇の花束を添えた。


──いつか必ず、生まれ変わったあなたに見せても恥ずかしくない自分になります。


 「ありがとう」の言葉とともに誓いを立て、私は彼女の来世での幸せを祈った。






全キャラ史上最も難産でした。いや、ホントに何回書き直したことか。でも、また書き直すかも・・・

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