第肆話 夜明けが来ても悪夢は醒めず
クローゼットの中に押し込まれてから一刻と経たないうちに、父の、怒りを遥かに超えた憎悪が静かに響いた。
「お前が結希を殺したのか?」
父の質問は、相手に問うというより自分の中で事実を確認するために発した言葉のように思えた。
「任務は能力者の捕縛、生死は問わない。なお、能力者の家族は確実に殺す…だったよな」
いまだに姿は見えていないが、おそらくこの声の主が母を殺したのだろう。声を聴いただけでは性別が分からないような中性的な響きを持ったその声はどこまでも冷め切っていて、およその人間が出せる声音ではないのは幼心に確信した。
そして父も、かつての優しかった声は消え失せ、相手とは対照的な、殺意を込めた声音で再び問う。
「任務だと?どこの差し金だ」
しかし相手も臆する様子はなく短く告げる。
「答える義理はない」
その声を合図とするかのように、激しい震動のようなものが響いた。そしてその震動は一度では終わらず、何度も、何度も僕の恐怖を増幅させていく。
しかし、終わりの見えなかった激しい震動音は、突如止まった。何が起こったのかを調べるために、恐る恐るクローゼットの隙間から目を凝らと、正面から黒い影のようなものがすぐ横の壁に鈍い音を立ててぶつかった。
そしてその影が飛んできた方向からゆっくりとした足取りで、パーカーのフードを深くかぶった男が歩いてきた。
「あまり原形をとどめてないと怒られるんだけどな――やっぱ無理だわ、僕には向いてない」
男がその言葉を発した途端に、自分の体温がわずかに下がった気がした。これが背筋が凍るということだろうか?
そして男の声に反応するように横の壁に埋もれていた影が動く。
「おま…てんだけは、必ず……こで……殺……す」
聞き取ることも困難なほどにかすれた声で父は男に憎悪をぶつける。そんな父の姿は、全身に穴が空き、右腕は人間の可動域をはるかに超えた方向を向いていた。
「光使いごときが僕に敵うわけがないだろ?諦めて潔く死になよ」
「黙……れ――」
父は短く答えると、突如姿を消した。それを見て男はため息交じりに呟いた。
「もうそれは見飽きたよ、それが僕に通用しないってことまだわかんないのかな?――まったく、学習能力ないな」
しかしその言葉に答える声はなく、かわりに先ほどの途切れ途切れのかすれた声を思わせないようなはっきりとした父の詩が聞こえてきた。
「我は力与えられし者、汚れなき光の神に仕えし覡。今ここに我が魂を代償に、愚かなる咎人に制裁を与えたまえ――」
父の声はそこで一呼吸置くと、最後の一節と思われる言葉を紡いぐ――
「――かはっ!」
――ことはなかった。
「捨て身の抵抗か、諦めが悪いのは嫌いじゃないけど、さすがにそれを喰らうのは危険だな…」
男の言葉を合図に、何もなかったはずの空間から父の姿が浮かび上がってきた。再び目の前に現れた父の体は手首、頭部、そして両足首を緋色の結晶が貫いていて、、まるで十字架を背負っているようだった。
男はそれを確認すると、パーカーのポケットから通信端末を取り出し、耳に当てた。
「こちらアザミ、花韮家当主、確保完了。回収班をよこしてくれ」
※ ※ ※ ※ ※
そこからはもう記憶がない。隠れながらずっと震えていたのかもしれないし、あまりに悲惨な出来事に気を失っていたのかもしれない。
しかし気が付いたときには僕は警察署で保護されていたらしく、誠さんが何度も「もう大丈夫だ」と優しく声をかけてくれたのは覚えている。
そのあとは何が起こったのかを警察の捜査官に何度も聞かれ、何があったのか思い出すたびに僕はその場で胃液を吐き出した。さすがにこれ以上取り調べを続けるのは良くないと判断した警察は、僕を父の実家に預けることにした。
祖父と祖母はやさしく僕を迎え、父と母の代わりに僕を育ててくれた。当時から仲の良かった透夜と椿姫もよく僕を心配して来てくれた。
それから半年の月日が経った頃、日本は人類を新たな存在へと変える発見をした。そう、能力者を生み出す方法だ。そのことが報道されるようになった時の祖父はどこか焦っている様子だった。
さらにその数週間後、日本は人類初の能力者開発に成功した。そのことが大々的に発表されたときには、祖父は何かを決意したかのように僕に語り始めた。
僕たちの能力はかつて、とある神によって与えられたということ、能力者の歴史は何千年にも及ぶこと、能力者の存在は誰にも気づかれてはいけないこと、能力はそれぞれの家系に代々引き継がれてきたこと、能力者同士の婚約は禁止されていたこと、花韮家に与えられた能力のこと。そして、能力の使い方を、長い時間をかけて教えてくれた。
※ ※ ※ ※ ※
季節は巡り、もうあの日から6年の月日が流れた。しかし、あの日の思いが消えることはない。それどころか、祖父に能力の使い方を学ぶたび、自分が力を使えるようになるたびに、魂に深く刻まれた憎しみは増していくばかりだ。もし僕が能力を完全に使いこなすことができれば、父さんと母さんを殺したあの男に復讐をすることができるのではないかと、よく考える。
手が届きそうな願望は、歯止めが利かなくなり、やがてそれに執着するようになるだろう
それが分かっていても僕はもう止まることはできない
あの日から続いているこの悪夢に終止符を打つために――
これで煌希の昔話はおしまいです。
次回からは、しばらく日常的な場面が続く予定です!






